ヘンな妹のこと

杜社

第1話 鉄分多め

電車のいちばん前から見る景色を、前面展望と言うらしい。

展望と言うと、高いところから広い範囲を見渡すイメージがあるので、ちょっと違和感が無いでもない。

だが、先が見通せて、左右も見ようと思えば見えるから、やはり展望でいいのかも、とも思う。


「あと一分」

俺の隣で、可憐な少女が呟いた。


前面展望を楽しむ行為を、かぶりつきと呼ぶことを最近知った。

なるほど、これは納得で、今まさに可憐な少女、つまり我が妹の様子を見ると、窓ガラスにかぶりついていると言える。

いったい何がそんなに楽しいのか。

いや、そういった行為をする人が珍しくないことは、今までに何度も見てきて判っている。

あからさまにかぶりつく子供だけでなく、結構な大人でさえ、さりげなくそれを楽しんでいる人は多いのだ。

ただ、基本的にそれは男性に限られた。

女性は皆無かいむに近いのである。


「あと三十秒?」

疑問形だがひとごとだ。

妹のスマホには、秒を表示するアプリと、GPSで速度を計測するアプリがインストールされている。


我が妹は当然のことながら女性であり、しかも女子中学生である。

瞳をキラキラさせながら見ているのは、アイドルでも無ければ素敵なアクセサリーでも無い。

目で追うのは、イケメンの異性でも無ければ、流行のファッションに身を包んだ同性でも無い。

ただ前に見える景色と、擦れ違う電車なのである。


妹が、俺の腕を遠慮がちにつついた。

前を見ろ、ということらしい。

何やらちょっと変わった列車が近付いてきて、あっという間に擦れ違う。

どうやらさっきから時間を計測していたのは、その為だったらしい。

妹は得意げに、「ニッ」と笑う。

可愛い。

可愛くはあるが、俺としては、だから? と言いたくなる。

「一両に355馬力のエンジンを二基搭載。六両編成だから4260馬力!」

それが凄いのかどうか判らないが、得意げな口調からすると凄いのだろう。

更にどういうわけか妹は、驚愕きょうがくの表情を作るとアニメのセリフのように大袈裟おおげさに言い放つ。

「バケモノか!」

……知らんがな、と思う。

だが俺は妹に甘い。

たぶん、妹のいる他の同級生の誰よりも甘いと思うし、同級生の女子の誰にも向けたことの無い優しい笑みを返すのだ。

そしてその笑みに、妹は満足げにうなづくから俺も満足だ。


「おにい

お兄ときたか。

妹とは血が繋がっていないからか、それとも、家族になってあまり月日が経っていないからか、呼び方がコロコロ変わる。

半年前に再婚した父の、新しい妻の連れ子。

メンドクサイなと思いはしたものの、その母親に隠れるようにしてペコリと頭を下げたコイツを見たとき、庇護欲ひごよくに目覚めたのは確かだ。

新しい母親は、「ちょっと変わった子だけど、よろしく頼むわね」と言ってコイツを紹介した。

七菜香ななかという名前も、好ましく感じた。

ただ、ちょっとどころか相当に変わった子で、引き籠りで学校には行かないし、引っ越しの時に運び込まれた漫画の数は尋常じんじょうじゃなかったし、正直、どう扱っていいのか戸惑うばかりだった。

その沢山の本の中に、鉄道の本があった。

いや、他にも訳の判らない本が沢山あったのだけど、まずは最初に目に入った鉄道から七菜香を攻略することにした。

その結果が今に繋がっている。

引き籠りだけど、「電車に乗りに行くか」と誘えばほいほい付いてくる。

いずれは学校にもちゃんと行って、友達もたくさん出来ればいいのだが。

「お兄、お腹空いた」

「そうか」

っす! 食料は生死に関わるのに反応薄っす! そんなことでは、将来のお兄の頭髪が心配になるのです」

「いや、俺はあまり腹が減ってないからな。というか、いらんお世話だ」

「七菜香はお腹が空きました。駅弁を所望しょもうします」

意識して笑顔を作る必要はなくて、勝手に笑みがこぼれてしまう。

自然に我儘わがままを言ってくれるようになったのだから、随分と前進したものだと思う。

「今日は寒いから、あったかいものでも食べないか?」

七菜香の目が輝いた。

駅弁よりそそられたのかと思ったが、七菜香の目は並走する電車を見ていた。

いや、並走というか、ぐんぐん追い抜かしていく。

「ふっ、時速130キロを甘くみないことね」

誰に言ってるんだろう?

まあ抜かされてる普通電車に言ってるんだろうなぁ。

「で、メシはどうするんだ?」

抜かしきったのを見計らって尋ねる。

追い抜いた普通電車を見えなくなるまで目で追っていた七菜香は、やっと俺の方へ顔を向けると、「へらっ」という感じで笑う。

締まりのない顔だけど、俺に気を許したような笑顔が嬉しくもある。

「お兄の好きなとこでいい」

変わってるし、ちょっと我儘なところはあるが、そんなに強情でもない。

可愛いし、普通に男子にモテそうでもある。

どうして学校に行かないのだろう。

今まであまり突っ込んだことをいたりはしなかったが、いつかもう少し距離が近くなったら、相談に乗ったりしてやりたいものだと思う。

「お兄」

ちょっと真剣な顔で俺を呼ぶ。

なんだろう?

背が小さいから、何かうったえかけるような目で俺を見上げる。

「トイレ」

……まあ、それは仕方がない。

「少し我慢しろ」

「この電車は遅い。まるで地をうナメクジのよう」

ひどっ! さっき130キロを甘くみないことね、って言ってたよね!?

でも、それほど切羽詰せっぱつまってるってことだろうか?

一応、何両目かにトイレもあったはずだが、女の子だし、車内のトイレは使いたくないかな?

「お兄、そわそわしてる。便意?」

「お前だろーが!」

「……鼻をかみたかっただけとは、今さら言えなくなっちゃったのであります」

「……」

「大丈夫、ちゃんとトイレもする」

誰もそんな心配はしとらん!

コイツと話していると、どうもテンポが狂わされるというか、脱力感を覚えることがある。

でも、何故か不快じゃなくてむしろ心地いい。

「ハンバーグステーキでいいか?」

「何故に私の大好物を!?」

「いや、前に家族で食べに行った時も、めっちゃ喜んで食べてただろ」

「……お兄より好きかも?」

「恥ずかしげに言うセリフじゃないよな!?」

「……ありがと」

ったく、どっちの言葉がどれだけ真剣なんだか判らないけど、お礼を言う妹の顔は小動物みたいで、やっぱり庇護欲をき立てられるのだ。

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