第30話 重要な事なので覚えてください

「いや、申し訳ありません。城の怪異の調査に……それも教会から、まさか黒魔術師がこの地にいらっしゃるとは……」

 アローを牢屋に蹴り入れた兵士は、ひたすら謝るばかりだった。

「一応訂正しておくが、死霊術師だ。黒魔術も使えないことはないが、基本的に全く別のものだ。理解しろ」

「は、はい……」

「それと、いくらこの地が黒魔術を厭うものが多いのだとしても、職業だけで罪を裁こうとするのは単なる差別だからな。この地の人間が野蛮だと思われたくないなら自制した方がいいぞ」

「肝に銘じます……」

 きっと彼にも内心の言い分はあるのだろうし、アローのような得体の知れない若造に説教をされているのは不愉快の極みであろう。表向きは平謝りしているものの、彼の顔つきはピクピクとひきつっている。

 アローに教会の代理人という肩書きがなければ、そしてヒルダという王都の貴族階級にある身分の騎士と同行していたのでなければ、牢から出る時にもうひと蹴りくらいされたかもしれない。

(ま、その場合は僕もおとなしくはしないし、僕が手を出すより早くミステルが怒るだろうからなぁ)

 遺灰がアローの手元に戻って、ミステルは出てくるなり怒り狂った。魔法で牢番を、身の丈の三倍ほどの距離を吹き飛ばした。

 幸い大した怪我にはならなかったのだが、結果的に喧嘩両成敗という形で互いに謝罪することになったのだ。おかげでミステルは今、むくれながら夜空をふわふわ浮いている。

「ミステル、行くぞ」

「はぁい、お兄様。……そこのあまりにも愚かで下浅なるごろつきどもは、もう二度と私とお兄様の目の前に姿を現さないでいただけます?」

 ミステルが本気で呪いかねない顔で捨て台詞を吐くのを横目に、誤認逮捕前科一犯のヒルダは複雑そうな顔をする。

 とはいえ、さすがにこれ以上お互いに争いの種をまくことはなかった。ランタンをひとつ借りて、兵士詰所の片隅にあった留置場を後にする。

 仮にも辺境伯に呼ばれた身分であるし、大げさな迎えのひとつくらいは覚悟していたのだが、来たのはヒルダだけらしい。あまり目立ったことをすると住民の不安をあおるので、とヒルダが理由を付けて断ってくれたようだ。これはありがたかった。変に目立つとまた何かしらの誤解を受けそうだ。

「ねぇ、アロー。爪が赤いけど、どうしたの? まさか爪をつぶされたりとか……」

 ヒルダが心配そうに、ランタンをかざしてアローの手をのぞき込む。

「それはない。そんなことがあったらさすがに僕も脅しのひとつくらい使うし、ミステルを出す前に回復魔法を使う」

「だ、だよね……」

「お兄様、回復魔法の前に私を出してください」

「ダメだよ。ミステルはさっきだって、僕が止めるより早く魔法を使っていたじゃないか。僕がケガをしていたら、吹き飛ばすだけじゃすまさなかっただろう」

「当然です」

「アローってぼんやりしているのに、そういうところはしっかりと把握しているのね」

 さりげなくミステルの暴走を予見するアローに、懲りずに胸をはるミステル。そんな二人を見て、ヒルダはやや遠い目になる。

「爪のことなら心配ない。牢の中で、死霊を封じてたからだ」

「えっ……」

 ヒルダは、今後はビクリとして少しずつ遠巻きになっていく。相変わらず、死霊がらみになるとどうしても苦手意識が出るようだ。

「出すって約束してたんだった。そら、出ていいぞ」

 爪が二本赤く染まった左手を、ひらひらと振る。しかし、全く変化がない。

「うーん、やっぱ素直に出ていったりしないか。爪をはがさないとだめか。痛いのは嫌だが仕方ないな」

 長くひとところに留まりすぎた死霊は、いざ自由になっても行くべきところを見失っていて、しばらく無意味にさまよう羽目になる。

 それでも時間をかけて浄化され、逝くべき場所へとたどりつくはずだが、このままアローに寄生して楽によい場所へとつれていってもらいたいのだろう。

 アローにはそこまでしてやる義理はない。相手は知り合いでもなんでもない、使い魔にするほどの力もないただの年季が入っただけの死霊だ。

 覚悟を決めて右手の指を左手の爪にかけたその時、ゆらりと上からミステルがのぞき込んできた。

「……百代先まで呪われたいのですか? それとも魂のかけらひとつも残さないほどに、練獄の炎で焼き尽くされたい? 今なら選ばせてさしあげます」

 シュッ、と一瞬にしてアローの爪が正常な色に戻る。たいまつの明かりの下でもはっきりとわかるほど、一瞬だった。

「ミステルはすごいなぁ」

「いえ。浅ましい死霊ごときのためにお兄様が傷つくことなどありませんので」

「…………」

 得意げになっているミステルと、ランタンの明かりでもわかるほど色が白く、まるで大理石の彫像のように表情が固まっているヒルダと、オステンワルドの中心街をゆっくり歩いていく。

 それほど夜更けではないからなのか、まだ酒場からは明かりと酔っぱらいのにぎやかな談笑が聞こえてくる。しかし、それ以外の場所は驚くほどに静かだ。明かりがついている家もそれほどない。

「オステンワルドでは、夜明けとともに起きて日が落ちると早々に家にこもって早く寝てしまう人が多いらしいわ。特に庶民はね。夜はスヴァルトの領域だから」

 ヒルダの話で納得した。酒場に入り浸っているのは、スヴァルトを恐れない他地域からの出稼ぎや傭兵が多いのかもしれない。

 しかし、ここまで徹底的にスヴァルトを忌避しているのだとすると、やはり城での怪異を放置していたらしきことが気になる。

 あの死霊たちが知っていたのだから、きっと貴族でなくとも城の怪異を知りえる程度には広く知られているのだ。もしかすると、ここがゼーヴァルトの王領として整備され、オステンワルドという街になる以前からの話かもしれない。

 この一帯がまだ荒れていて、盗賊が巣食っていた頃からの出来事だとしたら、それこそアールヴとスヴァルトの戦争直後辺りまで話が遡りかねないのだ。

 逆に言えば、現実的な脅威として城の怪異現象があるので、この地の人々はいまだにスヴァルトを過剰に恐れているのかもしれない。

「うーん、いまいち理由が判然としないな。今までにだってオステンワルドはアイゼンリーゼとの交易で栄えてきて、要人が来たことだって一度や二度ではないのに、舞踏会があるからって怪異の調査を求めてくるものか?」

「最近急に怪異が起こったからじゃなくて?」

「いや、多分違う。牢屋で適当に捕まえた死霊二人が、それぞれ城が『呪われている』と知っていた。二人は同じ時代を生きた人間じゃない。つまり、少なくとも二、三世代分くらいの長きにわたって怪異のうわさがあったはずなんだ」

「ああ……それは確かに妙な気がするわ」

 ヒルダが納得したようにうなずく。ミステルは通りに人がいないのをいいことにくるくると空中で回りながら、暗い街並みの陰にとけて見えない辺境伯の城の方角を眺めた。

「今になって突然怪異を鎮める必要ができた、ということは、今までは怪異と共存できていたということですよね。共存できない理由ができたのだとしたら、私たちが狙われた理由もその辺にあるのではないですか、お兄様」

「えっ、狙われてたの?」

 ミステルの言葉に、ヒルダはポカンとした顔になっている。襲われているとは露ほどにも思っていなかったらしい。

 彼女はリントヴルムの弱点はわかっていても習性にさほど詳しくはないだろうし、馬車の中の視線のことは知らないのだから無理もない。はっきり言ってしまえば、国の要人を乗せていたわけでもないあの馬車を、わざわざそうと知って襲う理由はあまりないからだ。

「馬車の中で急に視線を感じたんだ。多分、魔法で覗かれていた。その直後にリントヴルムの襲撃だ」

「全然気がつかなかったわ。不審者がいれば、開けた場所だし気づきそうなものだけど」

「魔法だからね、術者は近くにいなくても不思議ではないよ」

 オステンワルド近くは高原地帯。草原がほとんどで視界が開けている。確かに、普通の人間であれば潜むのは困難であろう。

 だけど、魔法を使っているなら話は別だ。ヒルダもギルベルトも、アローやミステルほど魔法に対する造詣は深くはない。ましてや馬にのりながら未知の魔法を察知するのは、彼らには無理だろう。

「リントヴルムは川辺の近くに出現する場合が多いけれど、あそこは川辺からかなり遠かった。しかも本来なら積極的に人を襲わない幼竜だ。だから多分、誰かが遠くから僕らの様子を探った上で、あれをけしかけたんだと思う」

 良くも悪くも、ゼーヴァルト王国は平和だ。騎士も実戦慣れしていない者が多い。

 ヒルダは年齢と性別のおかげでまだまだ地位が低いが、剣の腕前なら熟練者級だ。ギルベルトも、本来ならこんな平和な国でくすぶることなく、戦場をわたりあるけば武功をあげればどこかの国で騎士になれたかもしれない。

 リントヴルムの幼竜は、同行者がこの二人でなければ、相手は一行のオステンワルド入りを一日か、それ以上に遅らせることはできたかもしれない。実際、アローたちも馬と馬車は失ってしまった。たまたまアローが死霊術師だったので、死んだ馬を使役するなんて突飛な方法に出ることができただけだ。

 ここまでの流れでは、アローたちは敵の裏をかくことができている、と考えていいだろう。

 ただし、相手が何を警戒しているのか、どうしてオステンワルドに入ることを妨害しようとしたのか。相手の手がかりが少なすぎて、現時点では予測がつかない。相手の想定よりこちらが上手であったとしても、それは結果論で偶然の産物だ。どれくらい有利に働いているかもわからなかった。

「ちょっと馬の死体を動かしただけで投獄されるような街で、黒魔術の使い手と戦う羽目になるなんてな……単なる怪異の話じゃなさそうだ」

「うん、アロー、あのね。単なる怪異じゃないってことには同意するし、私としては剣で斬れる相手の可能性が高くてちょっと気が楽ではあるんだけど、馬の死体を動かしたのを『ちょっと』で済ませるのはオススメしないわ」

「有効利用だぞ?」

「そういう問題じゃないの」

 そんな話をしている内に、目的地についたようだ。立派な鉄の門扉がついた邸宅の前で、ランタンを抱えた衛兵と、腕を組んで立っているギルベルト、眠そうにランタンを持つテオが待っていた。つまり、伯爵城ではない。

「辺境伯の城に行くのは明日か」

「ええ。今日はもう遅いので、別邸の一室を貸していただけるみたい」

 確かに、夜遅くに城にいったところで、辺境伯と会うのは難しいだろう。顔通しもなく部屋を用意してもらえただけ、感謝すべきところだ。

「おい、早くしてくれよ。腹減ったんだよ、俺は」

「俺、もう眠いです。寝ちゃダメですかね?」

 ギルベルトとテオがまるでアローのことを心配していなさそうな様子で口々にいったので、ミステルの顔が一気にむすっとしたが、アローはさして気にとめなかった。アローも空腹で、そして眠かったからだ。

「何でもいいからご飯にしよう。もう荷物の中に入ってた干し肉と固いパンでいいからお腹にいれたいぞ」

「これから、この屋敷で晩餐会だってよ。だからお前ら待っていたんじゃねえか。ずいぶん遅かったなぁ」

 ギルベルトの言葉がピンとこず、アローは首をかしげる。

「…………ばんさんかい?」

 アーロイス・シュバルツ、十七歳。生まれてから数年を墓地で過ごし、師匠に拾われた後はずっと森育ち。その上、つい最近都に移住するまでは七年ほど、一切街中に出てこなかった元ヒキコモリ。

「…………ばんさんかい、とは?」

「マジすか」とテオ。

「マジか」とギルベルト。

「存在くらいは知ってるかと思っていました」とミステル。

 そして、ヒルダが頭を抱えながらうめく。

「…………ナイフとフォークの使い方はわかるわね?」

「さすがにそれくらいは」

 ここまでくれば、さすがのアローも理解した。どうやら、お作法が大事な食事会の類。

「今晩から徹底的に指導する!」

 ヒルダが肩を揺すりながら叫ぶのに、アローは頷くしなかった。

 辺境伯の元へ行く前に、思わぬ落とし穴である。

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