第14話 正しい人の呪い方
墓地を出たらもう平気らしく、ヒルダはすっかりいつもの様子に戻っている。すぐそばに霊がいないとわかっていれば、怖くなくなるらしい。ミステルは例外。
普通の人には見えないしアローもあえて見ないというだけで、極めて意思の弱い浮幽霊なら実はその辺にいくらでも漂っていたりするのだが、彼女の精神の安寧のために口をつぐんでおく。
「そもそも、護符を他の犠牲者も買ったかどうかがわからないのよね」
「言っておくが、あんなの、一日に何度もやらないぞ。教会への忖度コミで昼間にやったけど、だいぶ疲れるんだ。他の犠牲者の墓の場所も聞いたし、続きをやるんならもっと楽にできる夜にやる」
そこまで言って、アローは「ふあぁ」とあくびをかみ殺した。魔力を一気に使ったので疲労感が酷い。
用事があるというハインツと別れて(その用事がどういう種類のものかについては知りたいとは思わない)、ヒルダと二人でクローディアの家の様子をうかがってみることになったのだ。騎士団寮への道すがらだったから、戻るついでに立ち寄れる。
「さっき軽く説明したが、今回の事件の場合は、呪殺といっても直接的な呪いではないのだと思う」
「地面に埋めるんだったっけ……その、呪いの道具を」
「そうだ。埋めるだけが方法じゃなくて、家の壁や門扉につけるとか、色々あるが、怪しいものがついていたらさすがに騎士団がすでに発見しているだろう? 呪殺事件かどうかはっきりしない段階でも、教会や騎士団は動いていたわけだしな」
怪しい風体だったアローが歩いていただけで犯人を疑われたのだから、それなりに神経質に不審者、不審物の捜索を行っていたということだ。恐らく、夜間も巡回があるのだろう。
だが、表だって怪しい人物は出てこない。
「そもそも、目的が不透明だ。何で若い女性ばかり呪うんだ」
「うーん、たとえば若く綺麗な女性がねたましいとか……あとはフラれたとか?」
「モテないと人を呪うのか……モテない理由が明白だな」
「アローって、ぼやっとしているようで、たまにえぐりこむようなこと言うわよね……」
「そうか?」
モテないからと人を呪うようでは、非モテ街道まっしぐらだ。人柄で勝つという道を自ら放棄しているのだから。極めて合理的な判断だと思うのだが、ヒルダはどこか微苦笑気味にアローを見つめていた。
それはともかく、と。
ヒルダは、クローディアから聞きだせたことを書きとめた羊皮紙をぺらぺらとめくる。下の紙には、既にわかっていることが記述されているらしい。
「他の推定被害者も、下級貴族とか、仕立て屋の娘、洗濯屋、見事にばらばらね。共通項はみんな女性で、大体十五歳から十八歳ってところ。カタリナさんから聞いたのを合わせても一貫してるわ。……だからこそ、騎士団が駆り出されてるんだけど、本来はこういうの、衛兵団の管轄なのよね」
基本的に武勇を示す存在である騎士団が、今回の事件をずっと追うのは無理があるだろう。呪殺という特殊な案件で、都の警備巡回を目的として構成される衛兵の手にはあまるから、出動しているにすぎない。
ハインツの適当さを見るに教会側は、協力はしてくれるが多大な尽力をする気はない、といったところだ。何せ「素性の知れない」アローに面倒を押しつけるくらいなのだから。教会として看過できないものの、重大な人物が殺されるわけではないから、騎士団が勝手に解決してくれればもうけものと思っているのかもしれない。
「クローディアから呪殺の犯人を直接たどるのは無理だった。犯人もそこまでアホじゃないか。カタリナは、呪術道具の購入者は特にいないと言っていたんだよな」
「ええ。滅多に買う人間がいないから、客がいたら間違いなく覚えているって言っていたわ」
カタリナの店の呪術道具は、ほとんどは彼女が占いで使用するか、単なるコレクションとしてかき集めたものだ。店として成立していない状態である。
聖霊魔法はともかく、呪術、黒魔術の使い手は、この国にはほとんどいない。カタリナをはじめとした。一部の貴族の道楽として取り上げられる程度である。
つまり、資金や伝手のないものが呪術の道具を手に入れることは困難ということでもある。森を越えた異国から仕入れるか、それこそカタリナのような好事家から譲ってもらう以外では、入手方法が限定されすぎる。
呪殺は相手を知ることが第一だ。相手の名前、私物、髪や爪などの身体の一部。そういったものが手に入るかどうかで、個人を攻撃する時の精度が段違いになる。
だけど、今回の事件の被害者は若い女性というだけで職業や家柄に一貫性はなく、不特定多数を攻撃しているような感じがある。呪術を使う理由として、最もそれらしい『怨恨』の気配がしない。
「もしかしたら、潜在的な呪殺対象者はたくさんいるかもしれない」
「えっ? それじゃあ、たくさん人が死ぬ可能性があるってこと?」
「少なくとも、あと二、三人は死ぬ可能性がある。この事件、個人を順番に狙った呪殺事件だと思うと疑問だらけだが、一定の条件を満たした人間を無差別に攻撃する、というのだったら話は別になるんだ」
「ええと……つまり?」
「例えば、護符そのものに付与した呪いや、護符を目印にしてまき散らした弱い呪いで、特定の条件にあった女性を攻撃するとする。魔法への耐性は人それぞれだから、軽い呪いでは全く効果が出ない場合もある。悩みがあったりして心が弱ると魔法への耐性も鈍るから、軽い呪いでも効果覿面になる。クローディアは恋に悩んでいる風だったから、呪いが効きやすかったのかもしれないな」
問題は、その場合でもやはり犯人の目的が見えないことである。どうして若くて美しい娘を狙う必要があったのか、という疑問には答えがでない。それに――。
「この方法だと、魔術師であり、呪術を使う技術と知識を持っているミステルが、呪いにかかる理由については説明がつかない」
呪術は危険度が高い魔術だ。悪霊から間接的に魔力を借りる黒魔術を併用しても、失敗すれば呪詛の効果が倍になって自分に跳ね返ってくる。だから呪詛返しを防止するために身代わりを用意したり、呪いを写した自分の分身を作り、それを対象の家付近に埋めたりする。これが今回探そうとしているものだ。
だが、呪殺対象が同業となると、間に身代わりを立てるくらいでは済まない。自分の方がはるかに上手の術者でないかぎり、良くても相討ちだ。
「ミステルはどう思う?」
墓地を出てからずっと黙り込んでいるミステルに話を振ると、彼女はハッとしたようにこちらを向いた。
「申し訳ありません、お兄様。少し考え事をしておりました。何の話でしたでしょうか」
「クローディアが呪殺されたことには間違いなさそうだし、一連の事件も同様だと思う。だけど、個々を狙っているようには思えない、という話をしていた」
「そうですね……言い方は悪いですが、特定の相手を選んで狙っているというよりは、条件を満たせば誰でもいいという雑なやり方に思えます」
ミステルも、アローと同じような感想を抱いたようだった。
となると、やはり気になるのはミステルの死因だ。
「ミステルがそんな雑な呪いで死ぬわけがない。だから、ミステルの場合は他の被害者とは違って個別に狙われた可能性が高い。そう思わないか?」
ミステルは少しだけ困った様子で首をかしげた。
「申し訳ありませんがお兄様、呪術は私の専門分野です。お兄様以上に知識を得ていると自負しております。お兄様も呪術には詳しいですし、たとえ個別に私を狙ったのだとしても、二人ともを騙し切るのは難しいかと思います」
ミステルは死霊術の他に、黒魔術、呪術も学んでいる。師匠はミステルを弟子として扱わなかった。だから彼女は蔵書を借りて独学した。独学とはいえ、大魔術師とされるクロイツァの教えを関節的に受けて、その蔵書を読みつくした彼女の知識には目をみはるものがある。
王都に来るたびに珍しい魔法書を自力で探して買い付けていたので、師匠も感心したほどだ。死霊術に特化しすぎているアローよりも、知識だけなら彼女の方が深いかもしれない。
「私自身は今でも呪いなどではなく、ただの病気だったのではないかと思っています」
「そうか」
そこまで言われてしまうと、疑って問い詰めるのも悪い気がしてくる。好きこのんで死ぬ者などいないのだから、死因について掘り返されるのはよい心地ではないだろう。
(ミステルがそう言うのだから、事件とは別口で考えるべきかもしれないが……)
それでもやはりアローには、ミステルが病死したとは思えなかった。
ミステルが呪殺されたなら、それは呪術の知識が豊富で、自衛の手段も持っている魔術師すら呪い殺せる凶悪な術師が存在するということだ。放置しておくのは危険すぎる。
(ミステルには悪いけど、少し確認する必要が出て来たな)
考え込んでいると、ヒルダが立ち止まった。
「ついたわよ。ここがコリント邸」
都の大通りから少し外れ、整然とした美しい屋敷が並ぶ一角にその屋敷はあった。
クローディア・コリントの生家、コリント商会が所有する邸宅だ。
「さて、何か手がかりがみつかるといいんだけどな」
「墓地からそのまま流れで来てしまったけれど、許可をとらなくて良かったのでしょうか」
ミステルの言葉に、ヒルダは少し考えた後「大丈夫だと思う」と答えた。
「急な話だったけど、墓地の訪問の件では許可をもらえたし。多分、娘の死には疑問を持っていたんじゃないかしら」
元気だった娘が急によくわからない病気で早逝したのだから、ただの病死とは思いたくない気持ちがあったのだろう。突然の死に納得がいかないのは当然の心理ではあるし、殺された可能性があるのならばなおさら、犯人を突き止めたいと思うのも必然。
――たとえ、それで娘が生き返るわけではなくとも、だ。
死は誰にでも平等だが、死が生きる者に与える影響は平等ではないのだから。
「とりあえず、ヒルダと一緒なら問題なさそうだ。もし何かを聞かれたら、教会から招かれた呪術の専門家ということで説明を頼む。間違ったことは言っていない」
専門家を名乗るにはアローは若すぎて説得力に欠けるが、実際のところ、アローとミステル以外に呪術に詳しい人間はそうそういないだろう。呪術の需要の少なさが、この国の平和を物語っている。捜査難航の原因とも言うが。
まずは屋敷周辺で、土が不自然に掘り返された跡がないかを確認する。呪いの基本は相手の生活している場所の近くに、呪いを込めた道具を配置することである。
クローディアが死んでから日にちが経っているから、すでに回収された後かもしれない。だが、土が掘り返された形跡を完全に風化させるほどの時間は経っていない。現物を見つけられたら回収できるし、跡を見つけられるだけでも、魔力の残滓をたどりやすい。
「玄関近くが好ましいとされている。呪われている本人が、呪術道具が埋まった地面の上を通ると、呪いが強化されるんだ」
「でも、コリント家は資産家だから、門番がちゃんといるわ。不審者がいたら気が付くんじゃないかしら」
ヒルダが玄関を差すと、確かに門番が不審そうにこちらを見ていた。騎士のヒルダが一緒でなければ、尋問されていたかもしれない。見知らぬ魔法使いが家の周りをうろうろしていれば、それは気になって当たり前だろう。大不評の服を着替えても、奇怪な(とされているらしい)杖は隠せないのだ。
「うーん、いや、待てよ。クローディアは恋を叶えるために護符を買ったと言っていたな。その護符が『門の前に埋めることで効果を発揮する』ものだと教えられていたとしたらどうだ?」
「なるほど、それなら本人が納得して埋めているのだから、門番に疑われることもないし、犯人がわざわざ行くこともないわね」
護符の話を聞いた時に、てっきり彼女自身が所持しているものだと思い込んでいた。だが、彼女はその護符をどうしたかまでは言わなかったのだ。アローも護符の使用方法を聞くことまでには意識が回らなかった。死霊との対話は油断すると自分や自分の周りにいる人間を冥府に引きずり込みかねない危険性があるから、悠長なことを考えている余裕などはなかった。
「ヒルダ、門番に聞いてみてくれるか? 騎士の君が行った方がいいだろう」
「そうね。いきなり死霊術師ですが、なんて言ったら相手が剣を抜きかねないわ」
「死霊術師への偏見は本当にどうにかならないのか」
はぁ、と頭を抱えたアローに、ミステルが拳を握って力強く答える。
「大丈夫です、お兄様に剣を向ける不逞の輩は、私が魔法で吹き飛ばして見せましょう。ヒルダ様の時に学びました。先手必勝だと。迷ってはいけませんね」
「あの、ミステルさん。アローを捕まえてしまったことは本当に悪かったと思っているから、問答無用で相手を吹き飛ばすのはやめてあげてね……。その場合、私が騎士として、貴方の主人のアローに責任を問わなければならないから……」
引きつった顔で止めに入ったヒルダに、ミステルは剣呑な目つきで呟いた。
「……面倒くさい世の中ですね」
「そ、そうね……。とりあえず門番には私が確認するから」
ヒルダがそそくさと門に向かい……。
アローはちらりと、ミステルを横目で見る。
「ミステル、ヒルダのことが嫌いなのか?」
「お兄様に害なす可能性がある人間は全て嫌いですし、それが女性であればなおのことです……が」
「……が?」
「困ったことに、ヒルダ様は最初のアレ以外は、きわめて誠実な女性のようですので対処に迷っているところです」
「そうだな。善人だと思う」
「……でも、お兄様に剣を向けたことは許しません。親密になるなんてもってのほかですっ」
ぷうっと頬を膨らませてプリプリと怒るミステルが何だか子供のように見えて、アローは彼女もまだ十五歳の少女でしかないのだということを思いだした。
そして、永遠に十五歳のまま動くことはない。たとえアローが頑張って魂を集め、遺体を手に入れ、彼女の身体を作ることに成功しても、だ。
彼女は器を得るだけで、人間としての彼女が生き返るわけではない。アローが死ねば彼女も一緒に消える。一蓮托生の存在になっただけだ。
ヒルダはほどなくして戻って来た。
「確認したけど、やっぱりクローディアさんは門の下に護符を埋めていたみたい。埋めるために、石畳を剥がす手伝いをしたと言っていたわ」
「なるほど。じゃあ、もう一度石畳を剥がすか。本人に埋めさせたということは、護符は回収されていない可能性が高い。そして、他の被害者の娘も、同様にして護符を埋めている可能性がある」
「もし、護符を売った人間が見つかれば呪いが不発に終わって生き延びた少女や、これから呪われる可能性が高い少女が見つかるかもしれない、ってことね」
「そういうことだ」
「じゃあ、さっそく石畳を剥がしてみてもらうわね」
幽霊が出てくるようなことでなければ、ヒルダは割と乗り気である。早くこんな物騒な事件の捜査は終わらせて、剣の鍛錬に励む日々を取り戻したいのかもしれない。
門番に許可を得て、問題の箇所の石畳を剥がす。クローディアが埋めた護符は、それほど深くない場所にうまっていた。石畳があったとはいえ、踏み固められた地面だ。浅くしか掘れなかったのだろう。
護符はどこにでもありそうな、ごく普通のものだった。魔法文字の書かれた錫の台座に、薄紅色の石を埋め込んだだけのものである。魔術の知識なしに、これを呪殺の道具だと思う人間はあまりいなさそうだ。
「お兄様、何か不審な点はありますか?」
どこか不安げにミステルがそう尋ねてきたが、アローは苦笑して首を横に振った。
「普通の護符に見えるな。表向きは。書かれている魔法文字も、想いを伝える願いをこめたものだ。これなら、多少魔法文字を読める素養があっても、騙されるかもしれないな」
「じゃあ、この護符が原因じゃないかもってこと?」
「そうは言ってない。この台座の錫メッキを剥がしてみればいいと思う」
台座の泥をある程度綺麗にすると、傷がついたところは金属の色が違っていた。錫の台座はメッキで、下地に別の金属が使われていることがわかる。
ミステルが「ああ」と納得して、うなずいた。
「つまり、下の金属の方に呪殺に使う魔法文字を刻むというわけですね」
「単純だが、効果的だな。上に書かれている恋の魔法とやらは、ほとんど拘束力のない、ごく弱いものだ。さして邪魔にはならないだろう」
アローは護符を手ぬぐいで包み込むと、巾着袋にいれて腰に下げる。
「これはハインツに届けよう。騎士団でも、これと同じものが売られていないか調べて欲しい。できれば売られた先も」
「そうね。これから被害が増える可能性があるんだし、早めに探さないと……そういえば」
ふと、ヒルダが何か思い出したように声をあげ、そして思い出さなければ良かったと言わんばかりに表情を歪める。
「何かあったのか?」
「ええと……、カタリナさんのお店に行った時に私も呪われる可能性があるかも、と聞いたの思い出して。私は護符なんて買っていないけど、ちょっと気味が悪いよね。カタリナさんの占いって、当たるのでしょう? 私、その護符触っちゃったけど、大丈夫かな?」
「……カタリナが?」
カタリナは下世話な冗談をよく言う方だが、そんな洒落にもならないような嘘を教えるような人間ではない。そのが忠告したのだというのなら、何かはあるのだろう。
「……とりあえず、護符についてはひとつだけで何人も殺せる力はないと思う。安心していい。どうしても不安なら、君にはこれを渡そう」
ローブの懐に入れていた、紅い石を彼女に渡す。
ヒルダはきょとんとした顔でそれを受け取った。
「綺麗な石ね。何の鉱石?」
「魔物の血を固めたものだ」
「ひぇっ!?」
正体を知った途端、ヒルダはあわあわと落としそうになったので、アローはため息まじりにそれを拾い、今度こそ彼女の掌に握らせる。
「この護符よりは呪われていない。もし、それが黒く変色したら、僕のところに来てくれ。何とかする」
「そ、そう……ありがとう」
おそるおそる、それでも彼女は素直にそれを騎士制服のポケットに入れる。
「ああ……目的のものが見つかったはいいが、確認しなければならないことが増えてしまったな」
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