第11話 ワルプルギスの女子会
時刻は一刻ほどさかのぼり、ワルプルギス骨董店。
アローの言いつけに従って、ミステルは仕方なくヒルダと一緒にその店を訪ねていた。
ミステルはうんざりとした顔で、ヒルダはやや緊張気味にその扉を開ける。
「……うっ」
ヒルダの足が止まった。一歩入ったその場から奇怪で恐ろしげな呪術道具がずらりと並んだこの店は、幽霊が苦手な彼女にしてみれば、トラウマになりそうな空気をぷんぷんと漂わせている。
「進んでください。霊体の私と会話できているのに、今更呪術道具ぐらいで怖気づかないでいただけますか?」
ツンと澄ました態度でどんどん先を行くミステルを、ヒルダは慌てて追いかける。
「ひっ……! ひゃっ!?」
棚に置かれた薬酒漬けの蛇と目があってはおののき、コウモリのミイラを見ては悲鳴を上げ、ついにミステルも立ち止まった。
「戦女神様、貴方はその剣で何を斬れるというんです?」
「ご、ごめんなさい。魔物と戦うのは平気でも、この店の空気が何と言うかその……ちょっと不気味すぎない?」
「私は呪術の専門家です。こんなもの、貴方にとっての剣の鞘くらいですよ」
「そ、その程度なの!? すごいね……」
「こんなことで尊敬のまなざしを向けられても困ります」
ミステルは心底呆れてそう言ったのだが、ヒルダの方も心底感心していた。
「本当に怖くないの?」
「私には、物理的に襲ってくる戦士や魔物の方がよほど脅威に感じます。貴方の方こそ、死の危険と隣り合わせで剣を振るうことは怖くないのですか? まぁ、この国は平和ですから、その機会もあまりないのかもしれませんけど」
ミステルのそれは単なる嫌味でしかなかったわけだが、ヒルダはきょとんとした顔になった。
「稽古でも人が死ぬ時は死ぬわよ。武器を手に取ると言うことはそういうこと。たとえば、私にとっては取るに足らない魔物も、戦う術を持たない人にとっては脅威でしょう。でも、そうね。私にとっての魔物や暴漢が、貴方にとっての死霊や呪術なのね」
「そのようですね」
ミステルがそっけなく言い放ったその時、二人に近づいてくる影があった。
「なぁんか話し声がすると思ったら、こんなところで何してるの、ミステルちゃん? アロー君はどうしたの? まさか迷子になっちゃった系?」
店の入り口付近で話し込んでしまったので、気になったカタリナが様子を見に来たようだった。
「ご心配には及びません、ワルプルギス女史。お兄様の居場所は把握しております。少々不本意ではありますが」
「んー、なになに、気になるじゃない。お姉さんに詳しく話してごらん?」
「お断りします。私たちはワルプルギス女史の好奇心を満たすために、この店に来たわけではありませんので」
すげなく断るミステルに、カタリナは子供のように頬を膨らませる。
「えーっ、知りたぁい。教えてくれないと、協力してあげられるかちょっとわかんないなぁ」
「……この女」
「あっ、ミステルちゃんダメダメ! アロー君が近くにいないからって、素を出したら。美少女が台無し! お姉さん泣いちゃう」
「好きなだけ泣いてください」
「ミステルちゃん、短気な子はアロー君もがっかりだと思うの」
「……ちっ」
「び、美少女は舌打ちとかしちゃダメ!」
付いていけずに呆然とするヒルダを置いてきぼりにして、ミステルとカタリナの不毛な会話は続き――結局、ミステルの方が折れることになった。
ナマグサ司祭の居場所を求めて、アローがどんな場所かもよくわかっていない娼館に連れて行かれたくだりを話した時のカタリナの表情はとても酷いものだった。端から見ていたヒルダもドン引きである。
「ねぇ、ちょっと、アロー君大丈夫? ねぇ、思春期の少年として大丈夫なの? そっちの教育ちゃんと行き届いてる?」
「下世話なことをおっしゃらないでください! お兄様は純粋無垢なんです!」
「それ大体ミステルちゃんのせいだよね? だって、アロー君が自分のことモテない容姿だって思い込んでるのも、ミステルちゃんが言い聞かせたせいでしょ? アロー君、基本的にミステルちゃんにゲロ甘で、ミステルちゃんのいう事ならなんでもホイホイ信じちゃうからね」
「……あ、やっぱりそうなんだ」
ヒルダは納得したように、深くうなずく。
「もう黙ってください、ワルプルギス女史! ヒルダ様も今のくだりはお忘れください! お兄様の純粋な心は私が守るのです!」
拳を握って力説するミステルに、ヒルダは苦笑するばかりだ。
実際のところ、アローはその娼館の役割を(男女の営みを売る店だと気づくのはかなり遅かったが)かなり邪推しまくっていて、純粋無垢でもなんでもなかった。ミステルの愛の重さゆえの暴走に限定して、とことん鈍いだけである。そういう意味では、ある意味似た者兄妹とも言える。
「ひー、面白かった。で、本題だけどさぁ、何の用事? それとそっちのミステルちゃんとは方向性の違う美人さん紹介して欲しいなー」
カタリナはひとしきり笑ってにじみ出た涙をぬぐい、カウンター奥の椅子にどさっと腰かけた。
「お兄様が、貴方に教えてほしいことがあると。それと、こちらの呪術道具に散々悲鳴を上げまくった情けない女性は、戦女神と名高い騎士ヒルダ様です」
ミステルの若干悪意混じりの紹介に、ヒルダは苦笑しながら頭を下げた。
「王国騎士団の騎士、ヒルデガルド・ティーヘと申します。とはいっても、今日は非番ですので、あくまで個人的にアローの手伝いをしているだけですが……」
「へぇー。噂に聞いたことあるわ。まだ十代で、しかも女性なのに王宮主催の武芸大会の騎士新人戦でぶっちぎりの優勝しちゃった戦女神さんね」
「あのー、ミステルさんもなんだけど、その通り名を連呼するのは恥ずかしいのでやめていただければとー……」
「うちの店を出るなり、アロー君を逮捕しちゃった戦女神さん」
どうやら、ヒルダがアローに剣を突き立てて連行したことには、気づいていたらしい。ぐっと押し黙るヒルダをすり抜けて前に出たミステルが、据わった目でカタリナを睨む。
「ワルプルギス女史、わかっていたなら止めてください」
「えー、やだやだぁ。面白くないじゃん? 普通に出てこられたみたいだし、気にしないで。世間知らずなアロー君にはいい社会勉強よ?」
「私に生身があったら殴っていました」
「やだ、こわぁーい!」
これ以上カタリナの調子に合わせていると、一向に話が進まない。
ミステルは会話をうちきって、アローからの依頼を伝える。
最近、美人薄命病の件で相談された件数、そして相談してきた相手の名前、職業、家柄など。そして取引先であったアローたち以外に、呪術道具を買っている人間がいたかどうか。この店ではなくても、そういった呪術に関する道具を所持している心当たりがあるか。
騎士団の捜査では見えてきづらいこれらの情報は、次の事件の防止はもちろん、表ざたになっていない被害者の割り出しにも有効だ。
「うーん、普段だったら取引にするところだけど、アロー君には宿の紹介代を無駄にさせちゃったし、今回は特別にタダで教えてあげるわ」
「当然です!」
カタリナは事件に関係がありそうな客の名前や、相談の時の状況などを簡単に説明していく。ミステルはペンを持てないので、情報はヒルダが紙に書きとめた。数はそう多くない。後ろ暗い人間の全員が占い師にすがるわけでもないだろうし、カタリナのところに来るのはある程度裕福な者たちだけだから、必然かもしれない。貧しい者には占いに金をかける余裕などないのだから。
「私が話せるのはこれくらいね。後のことは聞かれてもわかんないから、アロー君にはそう言っておいてくれる?」
「承知いたしました」
情報をもらったなら、ここにはもう用事がなかった。ミステルもヒルダがいる前では、アローが依頼した死体の斡旋について語る気はない。
「では、お兄様にお伝えします。また、協力をうかがうことがあるかもしれません。その時はお兄様と一緒に参ります」
「そうしてちょうだい。アロー君いじって遊びたいし」
「いじるのはおやめください」
はぁ、とため息をつき、ミステルはヒルダを急かす。
「さぁ、こんな店は早く出ましょう。一刻も早くお兄様を迎えに行かねばなりません。商売女によっていけない教育をほどこされる前に!」
「い、いけない教育ね……」
何だか苦笑いばかりしている気持ちになりながら、ヒルダも踵を返す。その時。
「あ、戦女神さん」
カタリナがヒルダの背に声をかけた。
「……? 何か? それと、戦女神はよしてください」
「いいじゃん、別にぃ。帰る前にお姉さんからちょーっと忠告。美人薄命病、本当に呪術かどうかまでは私にははっきり答えられないけど、ヒルダちゃんも年齢とか容姿からすると呪われる可能性があるから、注意してねぇ」
「……それは、占いですか?」
「んー、そうね。お姉さんの勘よ。アロー君にも伝えておいて。じゃーねぇ」
ヒラヒラと手を振られて、きっとこれ以上問い詰めても、彼女は何も答える気がないのだと言うことがわかる。
(私も……呪われる可能性がある? まさか……)
ヒルダは気味悪さを感じ、足早に出口へと向かった。
ミステルはその後を、どこか悲愴な顔つきになって追いかけた。
◆
ワルプルギス骨董店を逃げるように出た後、二人はしばらく黙々と歩いていく。
少しだけ冷静になって、ヒルダはカタリナのことを考えていた。
本当にあの女性は信用できるのだろうか。もちろん、彼女のもたらした情報は一考すべきものだし、アローとミステルは彼女のことをよく知っているようだから、それなりに信用はしているのだろう。それはわかる。
だけど、あの不気味な店を離れて頭が冷えた瞬間、アローが言っていた人の心に住む黒い獣の話を思い出したのだ。
カタリナが最後に聞かせてくれた忠告は、善意と悪意、どちらだっただろう。
彼女の中に黒い獣はどれくらいいるのだろう。
(考え過ぎよ……アローが八割の三割だと感じているなら、そもそもミステルさんをあの店に向かわせたりしないものね)
そう自分に言い聞かせて振り返ると、ミステルが何やら物言いたげな様子でヒルダを見つめていた。
「何かあった?」
「いえ、貴方の『理由』を考えていました」
「理由? ……ああ、そういうこと」
アローは都にきてナンパする『理由』は、ミステルのためだと語った。
事件に関わる『理由』についても、死を振りまく犯人は止めるべきだと語っている。
死は全てにおいて平等であるからこそ、何者も侵してはならない。彼は自身が亡くなったミステルの魂をこの世界にとどめていることですら、はっきりと間違っていると答えた。
彼の行動は一貫して、自分のためではなくて誰かのためだ。だから、世間知らずな行動で恥をかいても笑って受け流す。彼は自分の誇りを守ることについては、全く考慮していないからだ。
彼がそういう人物だからこそ、ヒルダも手を貸してあげたくなってしまった。怪しかったからといって剣を突き付けてしまった、浅慮のお詫びもある。
しかし、きっとミステルが言いたいのはそういう『理由』ではないのだ。
ヒルデガルド・ティーヘが、何故『戦女神』になりえたのかということ。
「私が騎士を目指したのは、子供の頃、誘拐されたことがあるからよ。貴族の娘なのに、よく屋敷を抜け出して、街中で遊んでいたから……さらうのも簡単だったんでしょうね」
これはミステルにとっても意外な答えだったようで、彼女は初めて純粋な興味の眼差しをヒルダへと向けた。
「一緒に遊んでいた、その辺の庶民の子まで巻き込んじゃって、大変だった。その後どうやって助かったのか、私も途中で気絶しちゃったみたいでよくわからないんだけど……助かって、でも一緒にいたはずの子はいなくなってて……その時に思ったのよね、悪い人から自分と友達を護るんなら、強くならないとダメだって」
「つつましく家で貴族令嬢らしく過ごそうとは考えなかったのですね」
「護られて過ごして、少しでも有力な貴族に嫁いでお世継ぎを産んで……それを選ぶご令嬢を否定するわけじゃないわ。家を存続させることは、意義のあることよ。領民だって、領主がころころ変わってはたまらないでしょう。でも私の家は、姉がその役割を背負ってくれたし……何よりも私は自分の手で何とかしたいって思ったから」
女性であるヒルダが騎士を目指すのは、容易ではなかった。
前例がないわけではない。下級騎士や衛生兵には女子も存在する。それでもやはり、重い剣を扱うには男の方が適している。どうしても男中心の社会になり、女騎士は功績をあげづらい。女騎士の行く末は、良くても王宮騎士団から離れ、高貴な女性の近衛として抜擢される程度だ。大半は、適齢期を過ぎる前に結婚して退団である。
そうとわかっていても、ヒルダは剣を手に取った。両親を説得し、辛い訓練に耐え、剣の才能を認められてついに騎士となることができた。
武芸大会で良い結果を残しても、やはりヒルダが女であることを揶揄する声はある。色仕掛けを使ったなどと、心無い噂を流されたこともあった。
それでもヒルダは自分の信じた道は間違っていないと思う。
「今の私だったら、誘拐されることもなく剣で黙らせられるわね」
「……話し合いも大切だと思われますが」
「アローに剣を突き付けたのは、本当に悪かったと思っているってば」
うろんな目を向けるミステルに、慌てて弁解をする。
そして、思考が再びカタリナのことに戻ってきてため息が出た。自分が呪われる可能性なんて考えたくないけれど、呪術に詳しい人間の忠告なのだから、恐怖に耳をふさいでいるわけにもいかない。
「呪いも剣で斬れたら楽なのに」
「魔術をそんな力技でどうこうされては困ります」
「うん、だよね……」
生ける屍の類だったら剣で斬れないこともないが、そもそもそんなものに出会いたくない。
「あ、そういえば……」
「……?」
「私が幽霊とか苦手になったの、誘拐事件の後だったな、って。助け出される前後のことは覚えてないんだけど、何だかすごーく怖い目にあった気がするのよね。そのせいか、しばらく幽霊やら死体やらが追いかけてくる夢を一週間くらい延々見続けて……それからもう、全然ダメなのよ。いくら剣が強くなっても、こればかりは斬れないんじゃ意味ないわ……」
「……なるほど」
ミステルは何やら考え込んでしまった。
そんな彼女の姿を、ヒルダはあらためて観察する。初めに見た時は半透明だったが、今はアローが魔力を使って可視化しているので、見た目は人間と変わらない。本体の遺灰はアローが持っているため、アローの魔力が届く範囲ならば行動できるようだ。遺灰がアローの手を離れない限りは、王都グリューネの端から端くらいまで離れなければ問題ないとのこと。
「……幽霊がみんなミステルさんみたいに綺麗だったら怖くないのに」
「貴方が私をナンパしてどうするんですか」
ミステルは心底呆れた声を出しながら、少しだけ頬を赤らめる。
血の通ってない幽霊にも、頬は染められるらしい。そのことが何だかおかしくて、ヒルダはやはりこの少女のことはもう怖がらずにいられそうだと微笑んだ。
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