王都リドアージェ
無意識に唾を飲みこんで、ごくりと鳴った自分の喉にリアは驚いた。
王都リドアージェの外壁を北西から南東へ沿うように流れるカルム川はロドルア王国随一の河幅をもつ。生活用水として利用されるだけでなく防護都市として名高い王都の特徴の一つである。
穏やかな水面のカルム川にかかる橋をリズムよく進む2頭の馬に引かれた荷馬車に揺られながら、川向こうにそびえ立つような外壁にリアは呆気にとられていた。灰色のかかった無機質な白のそれは高原から見ていた時より、ずっと高く、圧を感じる。
「本当に遠かったんだ」
口からこぼれたリアの言葉に少年は、淡い水色の瞳を細めて笑った。
「信じてなかったの?」
「そうじゃないけど、うん、でも信じられていなかったのかも」
リアがそう言うと少年は声をあげて笑った。
「ダン、笑いすぎて、馬車から転げ落ちるなよ」
御者台から青年の呆れた声が聞こえる。
ダンと呼ばれたその少年は堪えきれず、小さく笑い続けている。わけも分からず笑われたリアは少し不機嫌に言った。
「ダンはよく笑うのね」
「ちがうよ、リアがあまりに素直だから嬉しいんだよ」
「嬉しい?可笑しいの間違いじゃなくて?」
怪訝に覗き込んだダンの顔は少しだけ驚いたようにみせたがすぐに目を細めてリアに微笑みかける。
「こう見えて、僕は今機嫌がいいのかもしれないな」
いたずらに笑われていたと思っていたリアは思いがけない答えとその微笑みに身の置き所を探すような思いがした。慌てて、次の話題を探す。
「さっきの、ずいぶん大きな樹だね…神の手先はもうずっとあそこにあるの?」
冬は厳しくなるとは言え、魔法樹に縁深いクラントルでもあそこまで大きく育ったものはほとんどない。
「神の手先?あれは影の導きだよ」
「影…?」
「まだこの国が国になる前、魔法が存在した頃、あの樹があればなんでもできたんだって。でも、そのせいで政治も生命も陰っていった。だから、影の導き」
「今じゃ、あの樹はその頃の肖像としてあそこにある。特になにかあるわけじゃないが、好んで近寄るものもいない」
ダンの言葉を補足するように、御車台から青年が話し出す。ましてや昼寝なんてな、なんて皮肉を足しながら。
「リアが言う神の手先は違う樹のことなんじゃないかな」
リアはそうかもと曖昧に返事をして、大きく腕を広げたような荘厳な枝を持つあの樹を振り返った。そして、旅を始める以前、クラントルから外に出る度に大人たち言われた言葉を思い出す。
『ここを出たら、魔法についての一切を禁ず』
─なんでだったんだろう
背中に吹く冷めた風に一抹の不安を覚え、テクを見下ろすと、ダン達の話に興味が無いのか目を閉じてうたた寝をしている。そんなテクを、なんだか触りたくなって、リアは小さなテクの額を撫でた。
リアを乗せたその荷馬車が橋を渡り終える頃、太陽はその姿を潜め、空は濃い橙を西に残し、紺青の夜が訪れ始めていた。
「本当にここで大丈夫?」
馬車の端に腰かけ、飛び降りようとしたリアにダンは手を差し伸べた。
高さの無い馬車だったが、心許ないと思ったのだろうか。慣れたように差し出された手なのに、その手をとるのにリアは少しだけ緊張を感じるようだった。
「うん、大丈夫。ありが…」
「ダン、いくら年下の子どもでも、それくらいで男に手を貸すのは失礼だぞ」
関所で検問の手続きを終え、戻ってきた青年が2人を見て言った。
ダンとリアは顔を見合わせる。
リアはわかっていた、見合わせたダンの丸くなった瞳が次の時には大きな声と共に線のように細くなるであろうことを。
「すまない、悪気はなかったんだ」
ひとしきり笑い尽くしたダンの横で青年は耳を真っ赤にしていた。
「髪も都の子どもたちより短いし、君が着ているのはズボンであるから…」
と、慌てて言い訳を並べるその青年が初めに声を荒げて近づいてきた姿とどうにも結びつかず、リアもなんだか面白い気持ちになった。
そして、荷馬車に乗せてくれたこと、ここまで連れてきてくれたことのお礼を言ってリアは2人と別れた。
関所を抜けると、それは、騒然とした景色だった。
通りを行き交う人々の肩はお互いを避けるように動いているが、それでも時折ぶつかる様子が端々に見えるし、軒に並ぶ店舗や、通りの真ん中を割くようにひいた白い布の屋根の下に続く露店では、声を張って話をする姿がある。
王都リドアージェはロドルア王国の中心から南東にずれた所に位置する。冬が厳しい北部と比べると、穏やかな気候で暮らしやすい土地であり、さらに東側には外国との貿易も盛んな王国随一の港町が隣接していて、そこから最も近いこの市場はモノやヒトで溢れている。
その騒々しさにリアは呆気にとられていた。
山を降りて訪れた町にも、クラントルにもない、勢いだった。
どの店構えも、並ぶ商品も、リアにとっては物珍しいもので、最初はその人の量に、次にその物の量に目が回っていたが、よく見ると店に並ぶのは名前のわかる野菜や魚だけではない。村では見たことのない果実や色鮮やかで甘そうなお菓子も並んでいた。
リアは目を見開いて目に入るあらゆるものを見渡していると、それは後ろからシュッと音を立てて、リアの顔の横を一瞬で過ぎ去っていった。
「あ!灯り火だ」と近くにいた子どもがそれを指す。
さす指の先には鳥の形を模した火が宙に漂っている。バサリと音を立てそうなほど、その炎の羽を大きく羽ばたかせ、近くに立つ街灯を見るようにすると、そこへ迷いなく飛んでいき、自らを分けるようにして明かりを灯す。通り沿いに立つ街灯に次々と火を分けていくそれを、リアよりも幼い子ども達が走って追いかけていく姿に、大人たちは和やかな雰囲気を纏う。
「素敵な街ね」
リアの言葉にテクは首を傾げる。僕はもう少し静かなところが好きだな、なんの衒いもなくいったそれがなんともその魔獣らしい反応で、リアが抱いていたほんの少しだけの寂しさをどこかに飛ばしてくようだった。
日が暮れても活気がある明るい通りを関所と逆の方向に足を進めながら、リアは市場を見渡していると、薄暗い店頭があった。
めいいっぱい開いた両開きの四角い木製のドアの上には半円のガラスに凝った蔦模様の鉄細工が施され、鉄の先に付いたガラス玉が光に反射して色を変える。
「なんのお店かな?」
「細工屋じゃないの?ねぇ、それよりなんか足下むずむずするよ」
そう言うとテクは、その小さな片方の前足を地面から離しながら怪訝な表情を浮かべた。
「虫でも、踏んずけて肉球に何か刺さったんじゃない?鞄の中にいる?」
「うーん、そういうのじゃないんだけどなぁ」
テクがリアの肩からかかる麻の鞄に飛び乗ると、リアはゆっくりと店内へ足を踏み出す。
テクが言う通り、その店は細工屋だった。細やかで優美な鉄細工やガラス細工がそこかしこに並んでいる。
「うわー…!」
リアの見開いた瞳は輝いていた。
棚に置かれた雫型のガラス瓶の周りを大小二種類の大きさの光るいくつかの丸い石が瓶の中心を交点にして、互いに斜め方向に円を描いている。宝石のようにきらめく置き物にひかれるようにリアは顔を近づけた。鞄の上にいたテクもいつの間にかリアの腕の中から顔を出している。猫も、年頃の少女も
その鮮やかな置き物の宙を描く動きは、彼女たちにとっては身近な現象であった。
「魔法みたい…?」
リアがぽつりとつぶやくと、店内にいた人々がぎょっとしたように、リアを見た。
すると、奥から大男が目くじらを立てながら走ってきて、リアの両肩をその大きな手で力強く掴みながら、低く大きな声を出した。
「おいおい、お嬢ちゃん。何てこと言ってくれんだ」
「ご、ごめんなさい」
驚いたリアは咄嗟に謝った。その大男は店主だった。リアの肩から手を離すと、棚に置いてあるガラス瓶を手に取り、もう片方でガラス瓶の下にひいてあった四角形の紙を店内の客に見えるようにして言った。
「この商品は、浮遊と移動に時を刻む動作の魔術を組み合わせた『魔導紙』をつかった時計さ。この娘が言ったような事実はどこにもないよ!」
店主の言葉に店内の客達は、またそれぞれ目当てのものへと顔を戻す。その様子をみると男はその紙を再び棚に敷き、その上に瓶を置いた。すると棚のうえにばらけていた丸い石は行き場をみつけたように宙に浮いて動き出し、また同じ速度でそれぞれが等間隔に並びながら、宙に円を描き始めた。
「全く。本当にやめてくれや、お嬢ちゃん」
「ごめんなさい、ねぇおじさんそれ何?」
「ん?魔導紙さ。お嬢ちゃん、他国からきたのかい?」
「そんなこともないけど…」
「まあでも確かに、この複雑な術式は地方では見慣れないかもしれないな、なんたって、うちの魔導紙は『ヴァンガルド』のとこから卸してもらってんだ!」
「ヴァ、ヴァン…?」
「そうそう、特別にうち専用のオーダーまで取ってくれてんだぜ。値は張るがうちの商品はどれも一流以上!お嬢ちゃんもママかパパを連れてきてくれよな」
と言いながら、その店主はリアの背中をぐいぐいと押し店先へと追いやった。
話が通じないことに、リアの家族は商売層ではないと判断したのか、それとも「魔法」という言葉がそんなにもおかしなことだったのか。
開け放たれたドアがリアの背中でパタンと音を立てたので、腕の中に抱かれたテクと目を合わせる。
「魔導紙ってなんだろう…」
小さくつぶやくリアの上で、先ほどまで残っていた空の橙は姿を消し、街の灯りに照らされた紺青の空には、瞬く星がぽつりぽつりとその姿を露わにしていた。
魔女の旅人 おさなみ音 @koto7
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