破れた写真

相葉ミト

離別

 革命派と生き残った私の部下が繰り広げる銃撃戦の音が、私がいる地下作戦室に反響する。

 大元帥さえ生き残ればいい、この国を変えた英雄を死なせるわけにはいかない、なにより男が女を守らないなどありえない、と熱弁する部下に押しこめられたが、それは最期の瞬間を引き伸ばしただけだったようだ。

 きっと、ここで死ぬのがあの日にリイチャを助け出せなかった私の責任の取り方なんだろう。

 私は椅子に座ったまま、戦闘服の内ポケットから写真を取り出す。

 部下を盾にするはめになった時点で、不名誉な死は避けられない。なら、せめて一番幸せだった頃に浸っていたっていいじゃないか。

 訓練の成果か、大元帥と呼ばれるようになった年でもまだ垂れていない胸の真ん中から、半分に破られたモノクロ写真を取り出す。

 点滅する電灯の下でも、リイチャの笑顔は鮮やかだった。

 カラーなら、私のボサボサの黒髪とは比べようもない、リイチャの金糸のような艶やかな髪の色もはっきりと写っていたかもしれないが、ないものねだりをしてもしょうがない。

 貧しくとも親友二人で暮らしていたあの日々が、リイチャと私には一番幸せな日々だった。

 難民キャンプーーそんな言葉は軍人になってから知ったがーーそっくりのボロボロの寒村で、数十年前にジャーナリストと名乗る白人が私たち二人を撮って、私にくれたものだ。

 この国は、全ての人が平等だと言いながら、実際のところは国民を酷使して甘い汁を吸う軍事政権に治められた、革命前のフランスさながらの状況がつづいていた。

 現代の国際世論に許されるような政治体制ではなかったので、国民が苦しんでいるという情報を持ち出されると困るというのがこの国の本音だった。

 数年後、再びこの国を訪れた彼は、捕らえられ密かに処刑された。

 私がなぜそんなことを知っているかというと、国家への忠誠を証明するために彼を撃ったからだ。

 嫌だとは思わなかった。リイチャを解放するためには、そうするしかない、とおもっていた。


 何か重いものが倒れる音。びちゃりと嫌な水音が聞こえる。

 一瞬の静寂と、大きくなる足音。

 幸せな過去に浸れる時間は少ないらしい。そもそもそんなものは少ないのだから問題ない。


 十代中盤で私たちは、ひどい栄養状態だったのに、自分でいうのも自慢のようで恥ずかしいが、美人に育った。だから被写体としてあのジャーナリストも私たちを選んだのだろう。

 そろそろ結婚を、と古くからのしきたりを重視する大人たちが言い出していた。

 農作業の合間に、リイチャが話しかけてきたのを覚えている。


「ねえ」


「なに、リイチャ?」


「結婚しても、あたしたち友達でいようね」


「うん!」


 その約束は、果たされなかった。

 次の日、私たちの村を軍人たちが視察した。

 視察、といえば聞こえはいいが、要するに愛人探しだった。

 大人たちの勝手な理由で結婚相手を決められても、村の中にいるならリイチャと会える。だが、軍人にさらわれてしまえばリイチャと会えなくなる。

 だから私は、胸を潰して顔に墨を塗った。リイチャにもそうするように言いに行こうとした。

 でも遅かった。リイチャは、目立つ金髪が災いして、軍人の中でも一番家柄がいい男に見初められ、無理やり連れて行かれるところだった。

 もう会えない。だったら。


「リイチャ!」


 私はジャーナリストからもらった写真を二つに破る。私の顔が写った方を、リイチャの服にねじ込む。


「勝手なことをするな!」


 取り巻きの軍人に腹を蹴飛ばされ、私は地面に倒れる。こみ上げてくる吐き気に、リイチャを見ることすら叶わない。

 迷彩色に金色が飲まれて消えていく。

 幸か不幸か、あえて醜く見えるように装っていたから、私を連れて行こうとする取り巻きはいなかった。

 腹を蹴られた、ということで私は薬師のおばあさまのところに運び込まれた。

 夜が来て一人、おばあさまのところで横になっていると、リイチャを守れなかった悔しさに、止めどなく涙があふれてきた。


「リイチャが……許せない」


「軍人が嫌いかい?」


 おばあさまの問いかけに、私はうなずく。


「きらい。あいつら全員、死ねばいいのに」


「軍人を殺す方法がある、といったらやるかい?」


「あるの?」


「ある」


 おばあさまが教えてくれたのは、志願兵の申し込み方だった。


「軍人になれってこと?」


「そうさ。軍人は自分より偉い軍人には逆らえないのさ。目一杯偉くなって、あいつらに死ぬよう命令すればいいのさ」


 それからおばあさまは、身の上話をしてくれた。

 おばあさまは看護婦で、軍人の旦那さんがいたこと。旦那さんは、国に逆らったとしてある日突然殺されてしまったこと。町では暮らせなくなって、親戚のつてを頼ってこの村に来たこと。

 物知らずな田舎娘だった私も感じていたけれど、この国は腐りきっているということ。

 私の行動は決まった。

 毎日運動する。おばあさまのところで、今までできなかった読み書きを習う。そうやって私は志願兵になった。

 女が兵士になるとは、と面接官は難色を示したが、色仕掛けでどうにかした。

 村にはつまんない男しかいないけど、軍には素敵な方がたくさんいて最高ですわ。国家にも尽くせるし素敵な出会いもあるから軍務につきたいのです。

 ボサボサの髪は櫛を通して油を塗って、リイチャには負けるがカラスの羽さながらの艶やかさだったし、胸を押し付ければすぐ入隊できた。

 美貌も体も使い尽くし、言うまでもなく上官に命じられたものはなんであれ、任務に励んで士官に成り上がった。

 そこからも似たようなものだった。ただ、ライバルを蹴落とす作業が加わった。

 乱立する派閥の有力者の不正やら不倫やら、掘ればいくらでも出てくる弱みを握っておいて、適当なタイミングで私が情報源だと分からないように対立する派閥に流して蹴落とさせる。

 情報工作に励むうちに、どうしてこの国が時代遅れな王国のようになってしまったのかもわかるようになった。

 世界の片隅に張り付いている発展途上国だが、海と陸両方の交通の要地だったのだ。

 だから多様な民族が集まり、まとめ上げるには恐怖を用いる暴君となるのが一番手っ取り早いほど強力なリーダーシップが必要とされた。

 だからリイチャと私は貧しい村に押し込められていたのだ、と軍の潤沢な資材を見てげんなりしたが、次に手に入れた情報はさらにひどいあきれ果てたものだった。

 この地を自分の支配下に押さえたい先進国によって、様々な派閥に支援が行われていたのだ。

 だから国民の生活を向上させて生み出す富を増やすより、自分に金を出す外国にすり寄った方が得だと外道共が考えた結果、リイチャは守られることなく攫われたのだ。

 外国にすり寄っている派閥の筆頭は、リイチャをさらったあの男だった。

 その時に私は、自国を最優先し、海外からの経済支援は求めながらバランスを取ることを目指す派閥の一員として活動していた。

 愛国心という麗しいプロパガンダを掲げていることと、私の暗躍もあいまって、私の派閥は新興勢力ながら、名門の軍人家の派閥と対抗可能になっていた。

 もうすぐだよ、リイチャ。あなたをあの男から解放してあげる。

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