悩めるマジシャン

 陽子から受け取ったトランプをさらにシャッフルし、肩をすくめてみせる。


「これであなたの選んだカードがどこにあるのか、誰にも分かりません。そうですね?」


「はい、そうです」


 陽子は緊張した表情を作った。狭い和室の中で、蛍光灯の光を反射した髪が金色に輝いている。


「でも、私のマジックパワーを使えば、いとも簡単にあなたの選んだカードを探し当てることができます」


 俺はひとつ咳払いをした後、パチンと指を鳴らして叫んだ。


「クリティカルマジック!」


 必要以上に大きい声が反響し、おかしな余韻が残った。

 陽子は視線を下げ、笑いをこらえているように見える。


「あなたが選んだカードはこれですね?」


 一番上のカードをめくり陽子に見せた。


「えぇ!すごい!私ちゃんと混ぜましたよ?不思議!」


 陽子は指先だけで拍手しながら大袈裟にはしゃいだ。


「これがマジックパワーです」

「やっぱダサくない?」

「……だよな。くそっ!」


 床に叩きつけられたトランプの何枚かが、逃げるようにソファーの下へと滑り込んでいった。

 そのソファーに「ういっしょ」と、まるでおじさんのような声で陽子が座った。


「あー、もう!どうしたらいいんだ!」


 俺はテーブルから奪うように煙草を取って、火を付けた。


「ちょっと」


「あぁ、ごめんごめん」


 言いつつも一口だけ吸って、細く開けた窓から煙を吐き出す。

 11月下旬の夜気に肌が粟立ち、たまらず閉めた窓に自分の姿が映った。微かな希望を宿した体が弱々しい部屋の明かりに包まれている。ため息とともに灰皿に煙草を押し付けた。


 クリスマスのイベントまでもう時間がない。

 やっとこぎつけた初めてのマジシャンとしての仕事なのに。


 マジシャンはただマジックを披露すればいいという訳ではない。お客さんを惹き付けるトークもキャラクター作りも必要なのだが、今のところイマイチだ。


「やっぱり俺がマジシャンなんて無理だよ。才能がない」


「またそんなこと言って。本気でやり始めてからまだ1年も経ってないんだから、大丈夫よ」


 こんな会話はもう何回目だろう。

 俺が弱音を吐くたびに陽子は励ましてくれるのだが、自信なんてない。

 学生時代の万引きから始まり、友人や道行く人達の財布を盗み続けてきたのだ。ひとでなしと罵倒され親からも見放された人間に、誰かを楽しませることなど本当にできるのだろうか。


「とりあえずほら、ここ、座ったら」


 浮かない顔の俺を見かねてか、陽子はソファーをぽんぽんと叩いた。


 俺にマジックを勧めたのは陽子だった。

 日本中の空気が一年間で最も軽く穏やかになる正月の昼下がり。

 音割れのする小さなテレビの中、スタジオの芸能人達を大袈裟に湧かせているマジシャンを眺めていた陽子は、ふいに首を回転させて言った。


「あんたもさ、みんなの心を盗んじゃえば?」


 言葉とは裏腹に、真剣な目だった。


 やってみよう。素直にそう思った。


 でも、現実は甘くない。

 オーディションを受けようとしても、履歴書を前にすると固まってしまう。

 俺は今まで何をしてきた?

 嘘を書いてもありのままを書いても駄目だった。


 ときには商業施設やイベント会場に飛び込んで、自分を売り込むこともあったが、人との会話でさえも危ういのに、営業なんてできやしない。ほとんどが門前払いだった。


 それでも頭を下げ続け、なんとか手にした仕事だ。

 失敗することはできないのだ。


 陽子の隣に座ると、またため息が漏れた。


「ああ、どうしたらいいか……。やっぱり俺には……」


「また言ってる。大丈夫よ。みんなの心を盗むんでしょう?」


 陽子の笑顔は温かくて穏やかだった。


「陽子……。ありがとう」


 不思議なもので、こうして陽子と話しているといつも元気が湧いてくるのだ。

 今ならなんでもできる気がする。


「じゃあまず、陽子の心を盗んじゃおうかなー。ひょい、ひょい」


 陽子の胸の前に右手をかざし、クラゲのような動きでなにかを吸いとる真似をしてみせる。


「なにそれー?」

「これは……ハートキャッチです!」

「ははっ。やっぱりダサーい。そんなんじゃ私の心は盗めません」

「なんだとー?このっ。このっ」


 クラゲの動きをもっと激しく、何度も繰り返した。


「きゃはは。変なのー!そんなんじ……」


「え」


 電池の切れた人形のように陽子の動きが止まった。

 全身を脱力させ、ぐったりとソファーに体を預けている。

 そして、クラゲだったはずの俺の右手には、光の玉が握られていた。オレンジ色に発光し、ほのかに温かい。


「よ、陽子!おい!」


 いくら揺すっても、ぐったりとうなだれるだけだ。

 咄嗟に右手を光の玉ごと陽子の胸に押し付けると、体がビクンと跳ねた。


「陽子!陽子!」


「う、うーん……。あぁ、ごめん。私、寝ちゃってた?」


「いや、寝てたというか……なんというか……」


 なんだ今のは。どういうことだ。

 気を失って動かなくなった陽子。右手には温かい光の玉。

 その光の玉を胸に戻すと、再び気を取り戻し動き出した。


 まさか……。


「陽子、ごめん。もういっかい目、つぶっててくれないか?とっておきのマジックを思いついたんだ」


「えー、いいけどなに?」


 目を閉じた陽子の胸の前で、右手を激しく動かす。

 何度も。何度も。


「なになにー?なにし……」


 やっぱりだ。

 脱力した陽子と自分の右手を見て、俺は確信した。

 とてつもない能力を手に入れたのだ。

 喜びと興奮が沸き立ち、口から溢れる。


 色んな妄想が一瞬にして脳内を埋め尽くした。

 この力を使えば、一生お金に困らないだろう。


 これで俺は成功できる。マジシャンとして。あるいは……。


 希望に満ちた男が暗い窓の中で笑っていた。





 <了>

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