季華 ~オリジナル百合短編集~

蒼井華音

リナリア ~この恋に気づいて~

「――私、バンドマンの彼女になる!」


 放課後の教室。子どものように目を輝かせた結花ゆいかは、ふと私にそんなことを宣言した。


「はぁ、今度はバンドマンねぇ……」


 自作小説がしたためられた原稿用紙から視線を上げ、その力強い宣言にため息を返す。


「3ヶ月前は古書店の店員、半年前は陸上選手で、さらにその3ヶ月前は――」


「イケメン俳優!」


「あー、そうそう。そうだったわ」


 夕暮れに照らされた教室には、もう私と結花の二人だけ。この静まり返った空間を満たすほど響く元気な声が、結花の快活な性格を物語っている。

 端正な顔立ちや社交性も相まって彼女のファンは男女問わず多いのだが、彼女にはひとつ悪癖とも呼ぶべきものがあった。


「……で、またドラマ?」


 ――そう、ドラマに感化されやすいのである。


 3ヶ月ごとに異性の好みが変わるのは、3ヶ月が連続ドラマの1クール分だから。

 新しい恋愛ドラマが始まると、毎回こうなのだ。そして、また3ヶ月限定の恋心にまっしぐら。


「うん! わかっちゃった?」


 私に悪癖を言い当てられるも、へへへ、と照れた微笑みがどこか嬉しそうだった。


「いやぁ~、今年の春ドラマの主人公がギタリストで、ほんっとカッコよくて、物語も良くてぇ~……――」


「あー、はいはい。それで、バンドマンの彼女ってわけ?」


「そう! 私、バンドマンの彼女になる!」


 大事なことは2回言う。と、言わんばかりにまた拳を握って宣言する。

 だが、これだけでは終わらない。いつも、これには続く定型句のようなものがあるのだ。


「だから、私もギター始めてみるよっ! いつきちゃん、楽器屋さんまでついてきて!」


 宣言を終えた結花は、満を持してそのお決まりのセリフを口にした。


   ◆


「うーん、ギターって高いね」


 それが、楽器屋に着いて早々、結花がこぼした感想だった。


「当たり前でしょ? あと、それギターじゃなくて、ベースね? 弦の本数も太さも違うでしょ?」


「……べ、べーす? げん?」


「はぁ、せめてギター始めたいって言うなら、予習ぐらいしておきなさいよ……」


 入り口近くにディスプレイされている木目調のベースとにらめっこしながら、結花は目を白黒させている。本当に何も下調べをせずに、勢いだけで来たようだ。


(まあ、それも毎回のことだけど……)


 結花とは、小学校からのいわゆる幼馴染。こうして付き合わされるのも、もう数えきれないくらいに多い。せめて、もう少し考えてから行動してほしいとは思うが、この有り余るほどの行動力は良いところでもあるのだろう。


「で、買うの?」


 一応、高校に入ってからバイトはしていたはず。そう思い、ベースの傍らにあった白黒のギターに釘付けになっている結花へと尋ねかける。

 しかし、返ってきたのは、渋い表情と苦い財布事情だった。


「それが、財布にこれだけしか入ってなくて……」


 言って、指を一本立てる。


(1万円かぁ。でも、ここらへんのものならギリギリ買えるんじゃ……)


 見回すと、『初心者用!』や『ギタースタートセット1万円!』と強調されたポップが目に入ってくる。

 確かに、今月は他の事にお金を使えなくなるが、買えなくはないだろう。


 そう考えていると、結花は予想外の言葉を口に出した。


「い、今、所持金『100円』なの。ど、どうしよう……?」


「………………ひゃく、えん?」


 一瞬、私の脳が理解を拒否した気がした。


「え、なんで……?」


「えっと、さっきの電車代でお小遣いの残りを使っちゃって……」


「じゃあ、買えないじゃん!」


 その所持金でどうやってギターなどという高い買い物に挑戦しようと思い切れたんだろうか。本当に彼女の頭の中が見てみたい。

 私が頭を抱えていると、結花は泣きそうな表情でしゅんと肩を落としてしまう。


 ――その表情は、ずるい。


(はぁ、しょうがないなぁ……)


 財布を開き、結花と同じように所持金を確認する。

 私も決して多くを持っているわけではなかったが、どうにか1万円の初心者用セットを買えるくらいはありそうだった。


 心の中でもため息をこぼしながら、私は近くを通りかかった店員に声をかける。


「すいません、このギターセットをください」


「え、樹ちゃん……?」


 目を丸くしてこちらを見上げる結花は、驚きと嬉しさが入り混じった表情のまま動きを止めている。

 だから、私は精一杯いたずらっぽく笑って、彼女に言い放つ。


「今回だけだからね?」


 ああ、孫になんでも買ってあげたくなるおじいちゃんやおばあちゃんって、こんな気持ちなんだろうか。

 そんな果てしなく失礼なことを考えながら、私は一人、レジへと向かった。


   ◆


 背中にギターケースの重みを感じながら、私と結花は帰路についていた。


「いやぁ、持つべきは親友だよねぇ~!」


 私の背を凝視して、熱っぽいため息を漏らす結花。その情熱的な視線から逃すように身体の前にギターケースを抱え、ジト目を送った。


「……一応、私が小説の資料用に欲しかっただけだからね?」


「うんうん、わかってるって! ありがと!」


「いや、全然わかってないじゃん……」


 嬉しさのあまり舞い上がった状態の彼女には、何を言っても無駄だろう。

 深く息を漏らしながら、私は些細な抵抗を口にした。


「ほんと、今回は3ヶ月で飽きないでよ?」


「大丈夫大丈夫! 今度は大丈夫な気がするから!」


 この根拠のない自信はどこから来るのだろうか。


(でも、結局いつも飽きるのよねぇ……)


 直接は言わないものの、もう結果は目に見えていた。


「アンタって、ほんと飽き性っていうか移り気っていうか、そういうところあるわよね」


「ひどっ!?」


 本人には自覚がなかったらしい。少し優位に立った気分だ。

 だが、それも束の間。今度は反撃と言わんばかりに、結花の方からぐいっと詰め寄ってきた。


「それを言ったら、樹ちゃんだって飽き性じゃん!」


 私が抱えたギターを指さして、語調を強める。


「3か月前まで文芸部にいたのに、もう辞めちゃったし。その前にも陸上部とか入ってたじゃん! 樹ちゃんだって、私と同じだよ~っ!」


 頬を可愛らしく膨らませて異議を唱える様に笑いが堪え切れなくなり、思わず少しだけ吹き出してしまう。それを見た結花がまた「もう~っ!」と顔を赤らめるものだから、口元のにやけが止まらない。

 それでも咳払いで平常心を取り戻すと、私はすまし顔でギターを背負いなおした。


「いつも言ってるでしょ? 私は小説のネタになることを探して、部活を転々としてるだけだって」


「でも、読ませてもらったことありませーん! ぶーぶー! 不公平はんたーい!」


「別に、不公平じゃないってば……」


 苦笑して結花の頭に手を添え、なだめる。最初こそ不服そうに口を尖らせるが、数十秒もすればご機嫌状態に元通りだ。まるで、猫のご機嫌取りだ。


 すると、すっかり笑顔満点になった結花が、私を追い越すように足早に駆けて振り返った。


「樹ちゃん! 重罪人のあなたには『私にギターを教えるの刑』を言い渡します!」


 いたずらっぽく口角を上げ、私をビシッと指さす。

 こういう芝居がかった言い回しをするときは、だいたい決まっている。だから、私は肩をすくめて、観念したようにこぼすのだった。


「はいはい、きちんとギター練習には付き合わせていただきますよー、っと」


 半ば棒読みだったが、それで満足したようだ。結花は「よしっ!」と言い残すと、再び家の方へと駆けだす。


「あー、ホントに持つべきは『親友』だねぇ~」


 そして、満足感からか、結花は何気なく『その言葉』を吐いた。


「――


 その呪いにも似た言葉に、私の足はいつの間にか動きを止めてしまっていた。


   ◆


 部屋に足を踏み入れると、真っ暗闇。手探りで明かりを点け、私は床を見つめた。


(あれはひとつ前の原稿かな。確か、文芸少女のやつ。こっちはもうひとつ前の原稿だから、陸上部のやつかな……?)


 床一面にばら撒かれているのは、無数の紙束。さらに、紙と紙の隙間からは、その資料となったランニングシューズなどが見え隠れしている。

 足の踏み場もない部屋とは、まさにこういう状態のことなのだろう。


 ふと、テレビの電源をつける。別に何か見たい番組があったわけではないが、なんとなく手持ち無沙汰。まあ、BGMぐらいにはなるだろう。


「さて、ギターの練習しなくちゃ……」


 約束だから、と言い聞かせ、ケースから取り出す。そして、取り出したギターとともに、唯一の安地であるベッドに腰かけた。


 弾き方も、弦の調整すらもわからない。

 とりあえず教則本でも見ようかと手を伸ばした瞬間、目の前のテレビ画面が切り替わった。


「あっ……」


 思わず声が漏れた。


 ――だってそれは、結花が夢中になっているドラマだったのだから。


 言葉を失う。脳裏に彼女の顔がよぎる。

 そして、『あの言葉』がよみがえる。


『――


 苦虫を噛みつぶしたように顔をしかめ、おもむろに床に散らばった原稿用紙に目を落とした。


「……これを読めば、気づいてくれるのかな?」


 それはないだろう。わかっている。


 だって、現実でも、ドラマの中でも、描かれるのは男女の恋模様ばかり。

 それが普通。だから、彼女も誰も、私の想いに気づかない。


「誰か、女の子同士の恋愛ドラマを描いてくれればいいのに……」


 恨み言のように諦めを吐きつけ、私はそっとギターの弦を撫でた。

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