第13話 新たな道行き

「多希子さんは、N女子大学校の家政学部に住居学科というのがあるのをご存じですか?」


 珈琲を前に、宇田川はそう切り出した。


「住居学科?」

「前にお話したでしょう? 女性の建築家は無い訳ではない、ということを」


 彼女はうなづく。


「他にもそういう学校があるかもしれませんが、僕が知っている限りでは、あの学校は、一級建築士の資格が取れるはずです」

「え」


 多希子は思わず声を立て、テーブルクロスを掴んでいた。彼は確か、というようにあごに手をやる。


「住居、だから家庭のこと、と皆あの学部のことを見がちですが、やっていることは何てことない、結構な理系の学問ですよ。いや、僕は、家事一切というものは、基本的に理系だと思いますがね」

「ということは」


 多希子の表情が見る見る間に変わる。


「それに、専門学校を…… ああ、女子大学は、専門学校だ、ということはご存じですよね」

「一応」


 皐月が進学する、と聞いた時に、聞いたことがあった。


「高等師範とかと同じように、あれは女子『大学』とは称していますが、実質、専門学校です。だがそこを卒業すれば、例えば帝大でも東北大とかなら、今では女性の入学を許しています。中には帝大の聴講生になって、そこから建築事務所に入っていく、という方法もある訳です。まああなたの場合は、お家がお家ですから、よその事務所に行くということはできないでしょうが」

「本当に、できるんですか? 女も大学で」

「全くできないことは、ないです。現にそうやっている人もいる」


 ぱん、と多希子の中で何かが弾けた。


「あなたがそうしたいのなら、僕も応援しましょうか?」


 応援。その言葉がひどく嬉しく感じる。だけど。


「お気持ちはとっても嬉しいですが、とにかく私、ひとまずは自分で当たってみたいと思いますの」


 そうですか、と彼は笑う。


「まず、父に当たってみたいと思います、ただ」

「ただ?」

「少し、お願いがありますの」



 がたがた、と食堂に皆一斉に入ってくる。

 窓の外には桜の木。満開だった。

 多希子はさすがにお尻がむずむずするような気持ちで、この食堂の椅子に腰掛けていた。


 四月。N女子大学校の入学式が今朝方あった。その後、彼女達新入生に、寮舎での歓迎会が行われることになっている。

 寮舎で一番人数が入る場所は、と言えばやはり食堂である。入寮してからせいぜい三日かそこらである。まだ顔も知らない人々ばかりの間で、柄にもなく多希子は緊張と孤独を両方味わっていた。

 官立の女学校からこの学校に入る者も無くはない。だが学部学科が違えば、どうしても会うことは少なくなるし、そもそも、入学していたのは仲のいい友達ではない。

 皐月は首尾良く高等師範に入学した。向こうは向こうで、新しい生活が始まったようである。きっとこれから手紙が忙しく往復することだろう。

 やがて歓迎会が始まった。選りすぐりの新入生は、そんなに人数が多い訳ではないから、ここで全員自己紹介を求められる。名前と、出身の学校と、これからの抱負をはっきりと言わなくてはならない。

 同じ出身の学校の先輩達は、それを聞いて、拍手や「がんばれ」などの声を飛ばす。自分の順の時、多希子の先輩達も結構居ることが、この時判った。少しだけ彼女はほっとする。寮舎ではそう見かけることが無かったので、あんまり居ないのではないか、という心配もあったのだ。

 学部学科別に自己紹介は行われていた。多希子が入学した家政学部はこの学校の顔だけあって、最初に行われた。「住居学科」が彼女のこの先数年間を過ごす場所だった。

 そしてその後に、「被服学科」が続いていた。

 数名、立ち上がって挨拶をした時だった。名前が告げられる。


 え?


 思わず多希子は振り返っていた。嘘。本当?

 がたん、と椅子を引く音がして、その場に立ち上がる音がする。低めの声が、食堂内に響いた。

 この声。多希子は思い切り顔を上げる。何処。


「磯山ハナです。私には出身の女学校はありません。私は専検です」


 一瞬場内は静まり返った。専検。それは高等女学校を出ていない者が、このような専門学校を受けるために通らなくてはならない試験のことである。

 努力が人一倍、必要なはずだ。

 誰ともなく、拍手がわき上がった。何処の出身でもない彼女に、一番の拍手が起こった。


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