第11話 喫茶店での攻防。
「それじゃあ、今度の時には、赤坂の葵館へ行きましょう」
「葵館?」
「洋画の映画館ですがね、建物のつくりが面白いのですよ。ほらこないだお話した、震災後の建築集団」
「ああ」
彼女は目を輝かせる。あれから見合い相手の宇田川とは時々会っていた。
親の側からしてみたら、「おつきあい」が順調だ、ということで喜ばしいのだろう。
度重なる外出も、喜んで許してくれていた。もっとも多希子は、と言えば、彼からとにかく建築関係の話を聞きたくて仕方ないから、だったのだが。
「けど本当に多希子さんはお好きなんですね」
「え?」
「建築が」
「ええ。なぜだか判らないんですけど」
「何故だか判らないけど好き、というのが一番大きいんですよ。金のためとか、誰かのため、というのでは、その目的が無くなった時、やる意味を無くしてしまうでしょう?」
「そういうものですか?」
「まあそういうものです。大陸ではそういう人も時々見ました」
「そうですか」
そう言えば、と多希子は思う。自分は建築の話を色々このそひとから聞いたが、このひと自身の話はほとんど聞いていないのではないか。
少しばかり、彼にも興味が湧いてくる自分を感じた。
「お腹、空きませんか?」
「あ、そんなには」
「じゃあ、ちょっと何処か喫茶店で軽くサンドウィッチでもいただきましょうか」
ええ、と多希子は言う。そういえば、このあたりを以前歩いていた時、ハナが「ここに行ったことがある」と言った喫茶店があるはずだった。珈琲とケーキが美味しかった、と。
「ちょっと入ってみたいところがあるんですけど」
扉を開けると、クラシック音楽が耳に飛び込んできた。
喫茶店そのものに多希子はほとんど入ったことが無い。それでも一度二度、夫人と一緒に入った所は、天井も高く、たくさんの客席があるような所だった。
だけどどうもこの店はそうではないらしい。
店全体がこぢんまりとしている。照明もそう明るくはない。あちこちに置かれている南国の植物が、この場所をいきなり異国の何処かの街めかせる。
こんな所にハナは出入りしているのかしら、と多希子は思う。
「だからそれはね」
そして案の定、その声が耳に飛び込んできた。
「どうしました?」
「あ、知り合いが」
「知り合い?」
宇田川は訝しげに首を傾ける。令嬢が知り合いを持つような場所ではないはずなのだ。
「ちょっと私彼女に」
足を踏み出し掛けたときだった。
「……でも多希さんはね」
自分の名前? はっとして多希子は踏みだしかけた足を引っ込めた。どうしたんですか、と問いかける宇田川にしっ、と指を一本唇の前に立てた。
「多希さん、ね。何か君、最近変わったよね」
「そんなこと、ないよ」
「だいたい、君があのお嬢さんとよく続いてるね、と俺は思っているのだけど」
「……」
「あの時君は言ったよね。わざわざ芝居組んで、仲良くなって、できるだけ金巻き上げようって思ったからって。違う?」
顔は見えない。だけどその声は何処か楽しそうで。あれがハナの言っていた「男爵の次男坊」だろうか、と多希子は思う。
いやそれどころではない。多希子は内容に耳を傾ける。お席に、と言いたそうなウェイターには、宇田川が少々待つように、と言っていた。
「そんな!」
何か言い返そうとは思うが、ハナはいまいち上手く言い返せないようだった。
「この間、君の団の連中に会ったけれど、何か君が、最近何の指示も出してくれないから、くすぶってるし。いっそもう、手を切ったらどう?」
「そんなことを、あんたに言われる筋合いはないよ、日比野さん!」
「でも私には言う筋合いがあるんじゃなくて?」
ずい、と多希子は一歩踏み出した。
「多希さん!?」
ハナの目と口は大きく見開かれた。
多希子は数歩大股で歩くと、思い切り手を振り上げる。
ばしん! と音が響く。
「いっ、たい! じゃないの!」
ハナは頬を押さえる。学校の部活動でテニスを時々やっていた多希子は割合腕力があった。
「あなた、私のこと、そう思ってたの!?」
聞いてたのか。ハナはちっ、と舌打ちをする。
こんな場所に多希子が来るとは思ってもみなかったから、平気で喋っていた。
背後に男の姿があることから、この男が連れてきたのだ、と納得する。保護者同伴って訳ね。
「そりゃあ思ってたさ! いい鴨だってね。何不自由ないお嬢さんだからさ!」
「って。本当にじゃあ、今までだましてたって訳なの?」
「それじゃあ悪いかい?」
「悪い、わよ!」
もう一発、と彼女は手を振り上げる。だがハナも今度は黙っていなかった。飛んでくる平手をぱっと掴み、ねじ上げる。
「痛いじゃないの!」
「あたしだって今の痛かったんだからね!」
だけど多希子の力は思いの外強かった。ぶるん、と思い切り腕を振ると、拘束していた手が外れる。
「ずっと話してたことも、嘘だったって言うの!? あたしが勝手に話してただけなの?」
「それは嘘じゃない」
きっぱりとハナは言う。
「確かに最初はそう思ってたさ。いいとこのお嬢さんだったら、つきあってそのたびに金出させる方が得だってね。だけど」
「だけど何よ」
「あんたが変な奴だから悪いんだよ!」
「変な奴って何よ! あなただって変わってるじゃない!」
「あんた程じゃないよ! それにそうだよ。なのにうだうだうだうだしてさあ。あたしがあんただったら、親が何って言おうが、親だましてでも、今したいことするように持ってくよ! あんたはまだそこまでしてないじゃないか!」
「あなただって何よ! 男爵の援助、受けられようと思えば受けられるんじゃない! 何突っ張ってんのよ!」
「って」
席に案内しようとしていたウェイターは、その様子をはらはらしながら見ていた。何処で止めようかと迷っているかのようでもある。
「相変わらずだな、日比野」
「なあんだ宇田川か。お前こそ、ずいぶんと立派になったもんだ。ふうん、一ノ瀬の令嬢と、おつきあい、している訳ね?」
「別に立派になろうと思った訳じゃないさ。好きなことをしてたたけだ」
その会話を聞いているうちに、何となく女の子二人の手と口が止まった。
「俺もそうだよ。好きなことをしている」
「本当にそうか?」
日比野の表情が、ほんの少し硬くなった。
「お前はずいぶん父上の事業のことについては批判的だったがな、やり方が横暴だとか、貧しい人達が可哀想だとか」
「そんなこと言ったかね」
「言ったさ。だからそういう父親の事業には荷担したくない。それには僕も賛成した。だが今は何だ? 綺麗な服も、父親の金だろう」
「ふうん? 別に今は否定している訳じゃあないさ。ただ、気力が湧かなくなってたんだよ」
「日比野さん」
ハナが口をはさむ。
「それで、ずっと、そんな暮らし続ける気なのか?」
「さあて」
多希子はハナがそんな彼をやや不安げに見ているのに気付く。
確かに今は怒りたいことも山々だったが、それ以上に、今はここに自分達が居てはいけない、と思った。
行きましょう、と多希子は宇田川に言った。
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