第5話 七夕祭りでの再会

「あーあ…… もう完全にはぐれてしまったわ……」


 多希子はふう、と浴衣の袖で額の汗をぬぐった。

 七月。七夕祭りの人混みの中で、多希子は妹や、ついてきたばあやの滝とはぐれてしまった。

 仕方ないと言えば仕方がない。ついつい通りの、綺麗な電飾を見ていたら、二人がどんどん動いていくのを見失ってしまったのだ。

 どうしよう、と思いつつ、その一方でまあいいか、と思って多希子はふらふら歩き出した。道が判らない訳ではない。

 と、不意に誰かがどん、とぶつかった。手に持っていた袋が引っ張られる感覚がある。


「やめてよ!」


 多希子は慌ててそれを自分の方へ引き寄せた。するとおっと、という声がする。にらみつける。やはりひったくりだった。


「何だよ、ちょっと引っかかっただけじゃないか」

「冗談じゃないわ! あなた思いっきり引っ張ったじゃない! 取る気だったのね!」

「言いがかりはよしてくれ!」


 往来で思い切り口論になる。

 いや、口論ではない。「論」で闘うには、お互い同じくらいの語彙を持ってないといけないのだが、この相手にはその語彙が無い。そういうのが、一番困るんだ、と多希子は困る。こういう時は、下手に語彙があるほうが負ける。


「だいたいあんたがこの袋の持ち主だ、って誰が決めたよ」


 へ? と思わず彼女は思わず目を丸くした。

 さすがにとっとと背を向けて逃げて行きたい気分だった。ところが、その時には向こうが頭に血が上ってたようで、絶対に逃がさない、という目をしていた。

 と、その時、聞き覚えがある低い声が耳に飛び込んできた。


「何やってるんだよ! ああお前、上町のかすみのとこの奴じゃないか!」

「げ、ヒナギク団の、ハナか」

「悪いけどそこのお嬢はあたしの知り合いだ」

「わ、判ったよ」


 ぱっ、と袋からようやく手を離す。それまでずっと持っていたのだ。何って根性だ、と多希子は呆れる。


「ありがとう、助かったわ」


 ほっとして言うと、ハナはどういう訳かげらげら、と笑った。


「何がおかしいのよ」

「だってさ、あんた、あたしがやっぱり同じことするとは考えないのかい?」

「だってあなたこの間言ったじゃないの。危険になったら自分の名を出せって」

「出せば良かったじゃないか」


 にやり、とハナは笑う。


「ふん。どうせ頭がそこまで回らなかったわよ」


 どうも本当にありがとうじゃあね、と多希子は半ば投げやりに言い捨てる。

 だが進もうと思ったがそうできない。浴衣の袖が後ろから掴まれていたのだ。


「な、何よ」

「そんな逃げる様に行かなくてもいいじゃん」

「逃げてなんか」

「だったら、もう少し話さないかい? あんたとは二度目だけど、やっぱり面白そうなお嬢さんだ」

「そういう言い方、嫌ぁよ」 


 そうは言いつつも、多希子は手を引っ張る彼女に連れられて、そのまま近くの橋の上まで来てしまった。視界には、ハナの後ろ姿と、橋の灯りだけが飛び込んでくる。

 ハナは今日も「洋装」だった。それも、袖を見事なまで肩までちょん切った上に、思い切り広がるスカートを履いている。のびのびとした手足なので、よく似合っている。

 ここいらならあまり人も来ない、とハナはつぶやく。多希子は欄干にもたれる彼女の横に立った。


「浴衣、良く似合うじゃん」

「うん。好きだから。でもあなたもその服、格好いいわ」

「格好いい、かい?」

「違うの?」

「や、あたしはそう思うんだが、変だと言う奴もいてね」


 でも顔が笑ってる、と多希子は思う。


「まあ変でもおかしくはないけどね。自分で布買って縫ってるんだから。真っ当な洋装、なんて高くて、切符売りなんかには買える値段じゃない」


 切符売り。ああ、このひと働いてるんだな、と多希子は思う。

 映画館とか劇場の切符を売るのは、彼女達くらいの歳の女の子であることが多い。賃金も多い訳ではない、その中で洋装をちゃんと揃えるなんてことは難しい。


「自分で?」

「何、お嬢さん学校では、そういうことはしないのかい?」

「やるけれど…… でも、何かそういう形は見たことがないわよ。そんなまっすぐに大胆に、なんて教えてくれないし」

「そりゃあそうさ。あたしは別に習ったことがある訳じゃあないし。それに買った布は無駄にしたくないからねえ」


 そうか、と多希子は思う。着物の裁断みたいなものだ。まっすぐに取るから、布の無駄は出ない。


「ま、だからそう難しいものは作らないよ。ほら、今時分、おばちゃん達が暑いからって着てる、アッパッパみたいなもんさ。安い布を値切って、ちょっとぜいたくにひらひらさせてみたってわけ」


 アッパッパは、布を四角く切って、首と腕の所だけ開けて縫って作る、簡単な「洋服」だった。

 蒸し暑い日本の夏に、その簡単な服は、ずいぶん歓迎されたものだ。とは言え、多希子の家とは無縁だった。そういうものがあるということは、ばあやの滝が教えてくれたものだった。


「はあああ。それでこうなるの? 不思議」


 思わず多希子はその服の端をつまむ。


「私は型紙が無くちゃ絶対作ろうなんて思えないわよ」

「それができるんならいいさ。何って言うかね、こんな時、く……」

「苦肉の作?」

「そうそう。ああやっぱりあんた、頭いいお嬢さんだな」

「そうお嬢さんお嬢さんと言わないでよ。そのくらいは、ちゃんと授業受けてれば判るわ。でも何で? 苦肉の策って」

「そりゃあね、もちろんちゃんと型紙とか使えば、それなりにあんたの着てるような洋服も作れないことはないだろうけどさ、ただあたしも、ちゃんと習った訳じゃないから、それが正しいか、というとちょっと辛いんだよ」


 ふうん、と多希子はうなづいた。

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