第4話 高等女学校の運動少女な友人
「おはようございます」
「おはよう、
いつもの朝が始まる。夏服に替わった女学生の群れが校門の中へと吸い込まれて行く。
多希子の通う府立の高等女学校は、官立ながら、リベラルな校風で知られていた。それは校長の考えが大きく反映していると言われている。
ポーン、とその反映した結果が耳に届く。彼女は教室に向かう前に、テニスコートへと向かっていた。
「
壁打ちをしていた一人が、手を止めた。ボールを拾い、ラケットを肩にかつぐと、小走りで彼女の方へと近付いてくる。
「おはよう、多希子」
耳の下くらいまで短くした髪を揺らし、皐月は汗をかいた額をぬぐいながら、多希子に笑いかけた。
「今日もあなた、朝早いのね」
「まあな。最後の試合も近いことだし」
ふふ、と多希子もつられて笑う。彼女達五年生は、次の試合で引退だった。
「高等師範でもあなた、続けるつもり?」
「まあ受かってからの心配さ。体育科だから、何かとできることはあるだろうし」
そうよね、と多希子はうなづいた。
「いいわね、皐月は」
「何だよいきなり」
タオルを首に掛け、皐月はコートのベンチに放り出してあったカバンを取ると、行こうか、と多希子をうながした。
二人が並んで歩くと、多希子は長身の皐月の肩くらいしか無い。その長身を活かして、友人はこの学校時代、運動にいそしんだのだ。
女子の体育活動が世間一般に認められるようになったのは、この頃からそう遠い昔のことではない。
激しい運動は体を損なう、とか、大事な部分を傷つけてしまう、等言われていて、「嫁入り前」の少女達の二の足を踏ませている。
だが近づくオリンピックは、多少その風向きを変えているようだったが。
そんな校風の中で学ぶ中には、進学して体育の教師になろう、と思う者も何人かは居た。皐月もその一人だった。
「だって、進学して、やろうと思ってることが決まってるじゃない」
「まあそうだけどさ」
んー、と皐月は首を傾げた。
「何、多希子、あんたは決まってるんじゃなかったの?」
「決められそう、で嫌なのよ」
「はあん?」
面白そうだ、と皐月はあごに指を掛ける。
歩きながら喋り続けていく二人の横を、級友や後輩達があいさつしたり、笑い掛けたりして行く。二人の仲の良さは、校内でも有名だった。
「何あんた、見合いの話でも出てるのかい?」
「まだよ」
「まだ」
「でも何となく、お母様の動きがここしばらく妙で」
うーん、と皐月はうなった。
「まあ、ねえ。仕方ないと言えば仕方ないよなあ。あんたは建築会社の一ノ瀬組のご令嬢。できれば早く良い所に縁付けて、会社とあんたの両方にとっていい結果に持って行きたいんだろうねえ」
「そういうあなたのずけずけ言う所、嫌ぁよ」
「でも間違っていないだろ、わたしは」
多希子は黙って肩をすくめた。間違ってはいない。間違っていないから、嫌なのだ。
「ところで、あんた昨日はどうしたんだ? ずいぶんと早く帰ったじゃないか」
「ああ…… お母様の用事があって、会社の方へ行ってたの」
「それだけかい?」
「それだけ、って何よ」
眉を寄せると、ふふん、と皐月は鼻で笑う。
「いや、あんたがそれだけで済ますとは思わないから」
「あなた私をどういう目で見てるのよ。間違いじゃないけど…… 銀座へ寄ってたの」
「へえ。何? 化粧品でも切らしたのかい? それとも舶来のレターペイパーでも入った?」
友人が行きそうな所を、皐月は次々に挙げてみせる。そしてそのたびに多希子は首を横に振った。
「全部はずれ」
「じゃ何だい」
「新しい、服部時計店を見に行ったの」
「へ? あの角の? ああ、そう言えば、新しいビルヂングができたらしいね。何でまた。時計をかい? 新調するなんて話は聞いてなかったけど」
「違うってば。時計台を、よ」
とけいだい? と皐月は足を止めた。
「それだけかい?」
「それだけよ。うん、思った通り。やっぱり綺麗だったわ」
はあ、と皐月はうなづいた。それは、果たしてどう答えたものか、という表情だった。
「でもね、聞いてよ皐月、その後にこんなことがあったのよ!」
多希子は昨日の不良少女団に囲まれた時のことを堰を切ったような勢いで喋り始めた。身振り手振り混じりで一生懸命な友人に、皐月はあはははは、と高笑いを返した。
「何よ、笑うことはないじゃないの」
「いや、ごめんごめん。いや、よっぽど喋りたかったんだろうなあ、と思ってさ。しかしあんた、そんなに服部時計店の時計台、見たかったのかい?」
うん、と多希子は大きくうなづく。よくわからん、と皐月は頭をかく。
「わたしは結構あんたと長いつきあいだけど、そういう趣味があったとはねえ」
知らなかった知らなかった、と皐月は手を広げ、大きな声で言う。
「あら私、ずっと好きだったわよ。大きな綺麗な建物ってのは。特に最近のものは。ただ、だって、あなただってそうやって、驚いてるじゃない」
「そりゃあ、まあね。でもまあ、あんたは建築屋の娘だし」
「そう言ってくれると、ね」
まだいいのだが、と彼女は思う。
「それにしても、その女ボス、なかなかだな」
「奴よばわりはないでしょう?」
「ふうん?」
腕組みをして皐月は興味深そうに友人を眺めた。
「何よ」
「ずいぶんと気に入ったもんだねえ。ちょっと妬けるよ」
もう、と多希子は友人の腕をはたく。
校内ではその仲の良さに、S《エス》だSだと半ば本気で彼女達は言われている。実際はそういう仲ではなく、あくまでさっぱりとした友達同士だったのだが。
「だまされてる、ってことはないのかい?」
「まああなたは」
ふふん、と皐月は笑う。
「や、あんたは石橋を叩いて壊すくらいのくせに、気に入ったものにはひどく甘いから」
「かもしれないけれど」
違わない。自分のことは良く知っているつもりだ。
「ま、あんたのことだから、止めはしないけれどさ。止めても聞かないし。ただ、深みに入りそうなら、とっとと逃げ出してきなよ」
「ご忠告ありがとう」
あ、時間、と彼女達は足早に教室へと入って行った。
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