第7章 断罪 その4
先代の<アレクルーサ>の記憶。
ルシータと<柱の結界>にまつわる事実。
滅びと形容される<アレクルーサ>が本当になすべきこと。
そのすべてが、今エルティスの中にあった。ルシータの民に街の滅びと表現され続けてきた事柄の本当の意味が、手に取るように分かる。
<アレクルーサ>の役割は、ルシータを滅ぼすこと。
だがそれはそこに住む民の命を奪うことを意味しない。あるいは、彼ら彼女らにとって見れば命を奪われることよりも恐ろしいことでもある。
神々の恩恵を強く受けその魔法の力により権勢を振るうルシータを滅びに導くのは、実に簡単なことなのだった。
世界から魔法がなくなれば、ルシータは存在意義を失う。世界から与えられた権力は失われる。今までの繁栄は崩れ去る。
どこの国からも独立して権勢を振るい贅を極めていたルシータの人々にとって、それは何よりも恐ろしいことのはずである。ルシータの民の力では、自身の生活をまかなうことはできない。
命を奪うことの程もない。このルシータを包む結界がなくなるだけで、確実にルシータは滅びるのだ。
今までと同じように、エルティスはルシータの空を飛んでいた。いつもより楽に風に乗り、いつもよりも速い速度で目的の場所へ向かっている。彼女の視線の先には、二本目の柱があった。
通り過ぎざまにエルティスは柱に向かって大きく腕を振る。呪文は要らない。彼女がそう望むだけでいいのだ。強大な力がぶつかり合うような痕跡もなく、柱は一瞬の間をおいて、音もなく静かに崩れていった。
柱を壊すこと。神々から与えられた魔力を送り出すための扉である<柱の結界>を抹消すること。それが、<アレクルーサ>に与えられた使命で、彼女の力はそのためにあるのだった。
エルティスにより否定されることで柱はその意義を失い、あっという間に姿を消してしまう。後には何ひとつ残っていない。
速度を緩めることなく、エルティスは三本目の柱へ向かって空を滑っていく。
太陽はまもなく姿を隠そうとしていて、空は真っ赤に染まっていた。彼女の足元では、石畳を慌てて走り回る人影がいくつも。必死の様子でエルティスについてくる影もあれば、まったく別方向へ走っていく影もある。しかしどんなに彼女についてきたところで、空にいるエルティスに対して彼らは何の対抗策もない。
三本目、四本目、五本目。ためらうこともなくエルティスは力を振るい、一瞬にして柱を消し去った。大きくそびえ立ち、今までずっとルシータの空を埋めていた柱は、もう既に半分以上失われている。
六本目の柱へ向かって飛びながら、エルティスはルシータ中央にある柱へちらりと視線を向けた。
今までの柱はほんの少しの力で抹消することができた。だが、この中央にある柱―――<柱の結界>の中央に位置するそれだけは、同じ方法では壊せない。
エルティスが飛び出すのと同時に巫女姫が叫んだ通り、その柱が<結界>の要なのだ。この柱がある限り<結界>は存在し続け、だからこそそう簡単には破壊できない。
だが、その方法を与えられているのが<アレクルーサ>なのだった。
エルティスは顔を前に向ける。夕日に照らされて赤く輝く六本目の柱が目前に迫っていた。
地上にほとんど人影はない。神殿に集まっているのか、空を舞うエルティスの速度についてこれなかったのか、そこにいるのはあくまで状況を見守っている人だけ。
六本目の柱の消滅を横目で見ながら、エルティスはさらに風を呼んで最後の柱を目指した。
その柱を壊すすべを与えられたのが<アレクルーサ>。だが、彼女だけでは柱を破壊することはできない。
先代の<アレクルーサ>、エルティスの叔母にあたるリアーナも力を覚醒させていた。だが、もし彼女が洞窟に閉じ込められず炎に襲われなかったとしても、リアーナではルシータを取り巻く<結界>を破壊することはできなかっただろう。
地上には、神殿を取り囲んで神官たちが集まっていた。騒ぎながら、こちらの様子を伺っている。武器を手にしているものもいるが、空中にいては手出しはできないだろう。弓を持っているものは、あれだけ人がいながら片手で足りるほどしかいない。
エルティスは速度を緩めると、最後の柱の近くで滞空した。綺麗に切り出された石を積み上げて作られたように見える柱の表面が、太陽の残り陽で赤く色付いている。
この柱、そして魔力を送り出す扉をかつて人々に与えたのは神々。神々の力で生み出されたものを消滅させるには同じだけの力が必要となる。そのために<アレクルーサ>は神々より地上に下された。
しかし、たとえ<アレクルーサ>がどれだけ膨大な力を持つとしても、地上の者に宿る以上、限界があるのだ。そのために、魔力を解放するための一瞬、その魔力を預かるものが必要だった。
それが、<器>と呼ばれる者。<アレクルーサ>に共鳴し、その魔力をともに操る者。
リアーナの<器>は彼女が覚醒したとき、近くにはいなかった。だが今は違う。
エルティスの魔力の<器>たる者は、すぐ傍にいる。
祀りの森の方角へ、エルティスは目を向ける。必死の様子で駆けてくる人影が、二つ。
一人は長衣の裾をつまんで走ってくる黒髪の娘。その後ろから走ってくるのは、神官の衣装を身にまとった茶髪の青年。二人の額に光っているのは同じ形をした翡翠色の宝石。
その緑の光を見つめているうちに、次第に視界がぼやけてすべての輪郭が曖昧になっていくことをエルティスは自覚した。
ぼやけて人の姿が曖昧になっても、エルティスは今誰がここにたどり着こうとしているのかがわかる。その人こそ、エルティスが待ち望んでいた彼女の魔力を預かる<器>。
エルティスがその身に宿す使命のために必要な人。そのために神々から与えられた不思議な絆と、ルシータの人々から与えられた似たような境遇が、今の二人を繋いでいる。
長い時間を一緒に過ごしてきたという繋がりは、全てを失くしたと思っていた彼女自身も驚くほどに強かった。
たとえミルフィネル姫とデュエールが同じ宝石を見につけ同じ未来を約束していたとしても、それでもまだ<アレクルーサ>と<器>の繋がりの方が強い。
これから先、その強さは逆転するのかもしれない。
だが、今ならすべてを終えられる。
(全部、終わりにしようね……デュエール)
昔からの思い出も、特別なつながりも、共有した価値観も。あなたを縛る繋がりは、ここですべて終わりにするから。
頬を伝い落ちる涙をそのままに、エルティスは静かに呟いた。
たとえルシータからすべてが失われたとしても。
彼女がいる限り、彼の居場所はここにある。
ならば、その居場所だけは護ろう。そこに、彼の幸せがあるのなら。
大好きな、あの人のために。
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