第4章 選択 その4
「お母様、デュエールは……どちらを選ぶのでしょうか……?」
二人で私室に戻ると、ミルフィネルは開口一番そう言った。女官にお茶の用意をするよう言付けたカルファクスは、まじまじと自分の娘の顔を見つめている。
カルファクスは少しの間をおいて、微笑んだ。
「答えなど、わかりきっていますよ。デュエールは、間違いなくあなたとの婚約を選びます」
自信を持って断言する。ミルフィネルにもそれはわかっていた。
デュエールは間違いなくミルフィネルとの婚約を選ぶ。父親を守るため、――そしてエルティスを助けるために。
カルファクスが席に座るように促すのに従い、ミルフィネルは複雑な表情のまま椅子を引いて座った。本来なら椅子を引いてもらって座るような身分ではあるが、この場には母子二人しかいないのだから、構うことはない。
腰を下ろした途端に、ミルフィネルの脳裏に昨夜の光景が蘇る。
『乱暴に扱うなッッ!!』
吠えるようなデュエールの叫びが、耳に響いて離れない。
ミルフィネルは今まで、デュエールがその時ほど怒りを露わにするところを見たことがなかった。もし、ミルフィネル自身が同じような目に合っていたとしても、決してあそこまで怒ることはないはず。
あのときの叫びと、なりふり構わない振る舞いを見れば、エルティスが彼の中でどれほどの位置にいるかは明らかである。
その光景を、あの時ミルフィネルは整った眉をしかめて見つめていたのだった。
共に同じ預言を受けた"神の子"同士。幼い頃から一緒に育ってきた幼馴染み。親を亡くし、そして同じような扱いを受けてきた、その立場はお互いが一番理解できる。
そして、エルティスはデュエールの感覚を共有することさえできるのだ。
ミルフィネルはあらためて、二人の繋がりを感じずにはいられない。昨夜のデュエールの姿を見たカルファクスが、憮然とした様子で呟いた言葉は、今なお鮮明にミルフィネルの心に焼き付いていた。
『それが、あなたの答ですか……』
腰を下ろした状態のまま、一点を見つめて動かない娘に気付いたらしい、いぶかしげな口調でカルファクスが声をかけてくる。
「どうか、しましたか、ミルフィネル」
「いいえ、なんでもありません」
不思議そうなカルファクスに、ミルフィネルは首を振った。
デュエールは必ずミルフィネルとの婚約を承諾する。父親を守るため、エルティスを助けるために。彼が望みを叶えるための選択肢は、ただそれだけしか与えられなかったのだから。
どんな経過を辿るとしても、この先、デュエールの隣にいるのは間違いなくミルフィネルだ。
それは、望んでいたことだった。ミルフィネルが心の底から望んでいたこと。何を引き換えにしても、叶えたいと思っていたこと。
しかし、この期に及んでミルフィネルは気付いたのだった。
誰よりも傍にいても、――間違いなく、彼の心は、そこにはない。
ノックの音が響き、ミルフィネルは我に返る。ちょうど、それに応えてカルファクスが返事をしたところだった。
「あの……巫女姫様」
「どうしましたか」
一瞬の沈黙の後、扉の外にいる女性は言いにくそうに返事をした。
「デュエール・ザラートが、居住区域の入り口で待っているのです。巫女姫様に大事な話がある、と。いかが致しましょうか?」
ミルフィネルとカルファクスは顔を見合わせる。まだ、お茶の用意を頼んだ女官すら戻ってきていない。そんなわずかな時間で、彼は決意を決めたのだろう――否、それは迷うことすらできない選択だった。
「わかりました、そこで待つように伝えなさい。今から参ります」
たとえ傍にはいられなくても。
同じこの空の下、確かに生きているなら。
ミルフィネルを部屋に残し、女官への指示を任せるとカルファクスは先ほど言われた場所へと向かう。
デュエールは律儀に一般人立ち入り禁止区域の境界で待っていた。
「……考えは、まとまりましたか」
カルファクスは彼に向かってありがちな言葉をかける。まとまっているだろう。無理やりにでも、結論を出すしかない。それも、ただひとつの。
彼がその選択肢しか選べないように、カルファクスが仕組んだのだから。
デュエールは睨み付けるような目でこちらを見ていた。
「……俺が、ミルフィネル姫と婚約するのなら……、エルティスは解放されるのですね……?」
「ええ、約束しましょう」
答を聞くと、デュエールは沈黙する。わずかに離れているここからでも、デュエールが歯を食いしばっていることが見て取れた。必死に言葉を搾り出しているかのようだった。
「それなら……もうひとつだけ、神々の前に約束してください」
神々への約束。それは絶対の誓い。
「何ですか」
「解放されたエルティスが、ルシータの領地から完全に立ち去るまで、誰もエルティスに手を出さないこと」
射抜くような強い輝きの瞳が、カルファクスを見据える。普段から父親譲りの穏やかさが印象的であったから、昨日からの彼の様子は、彼女も初めて見るものであった。
「わかりました。約束しましょう。エルティスがルシータの領地から完全に離れるまで、ルシータの民には誰も手を出させません。私の命は彼らには絶対です」
神々へと祈りを捧げる印を切り、ゆっくりと言葉を紡いで、カルファクスは頷いた。それが誓いだ。文書は必要ない。たとえどこで紡がれた誓いであろうと、神々は全てを聴いている。ルシータでは当たり前の文化。
デュエールは静かに瞳を閉じた。一呼吸おいて目を開けると、デュエールもカルファクスと同じように印を切る。
神々への誓い。
「今後一切、エルティスと関わりを持ちません。――ミルフィネル姫との婚約を、……お受けします」
望むことはただひとつ。
ずっと一緒にいたいだけ。
それでも、もう他愛ない約束も果たせない。傍にいることさえできない。
ごめんな、エルティス――……。
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