第4章 選択 その3

 ため息をひとつついて、巫女姫はデュエールを見た。まるで、困った子、とでも言い出しそうな表情だった。

「それほどにエルティスのことが気にかかりますか」

 デュエールは答えない。真っ直ぐ巫女姫を見たまま。

 巫女姫もミルフィネル姫も無言のデュエールをただ見つめていたが、やがて巫女姫が気を取り直したように口を開いた。



「――エルティスは居住空間にある一室に休ませています。昨夜から眠ったまま一度も目を覚ましません。おそらくは放出した魔力を回復しているのでしょう」

「何故そんなところに?」

 家にも帰さず閉じ込めているのか――とデュエールは間を置かずに尋ねる。

「この神殿に休ませているのは、エルティス・ファンを守るためでもあるのですよ」

 巫女姫の言葉にデュエールは目を瞬かせた。彼女を敵視する神官ばかりいる神殿に彼女を休ませていることが、どうして彼女を守ることに繋がるのか。

「神官たちのエルティスに対する態度を昨夜見たでしょう。家で一人休ませることの方が危険です。エルティスが休んでいる部屋は居住区域の中でも私たちの部屋に近い場所にあります。ごく限られた人しか出入りできない、このルシータの中で一番安全な場所なのですよ」

 巫女姫の言っていることに間違いはなかった――デュエールは唇を噛み締める。反論はできなかった。

 昨日の神官たちの態度を見れば一目瞭然。彼らは間違いなくエルティスに対して害意を持っている。もしエルティスが一人で自宅で休んでいれば、彼らは再び昨夜のような凶行に及ぶに違いない。

 神官たちにとって唯一神の声を聴ける巫女姫は絶対。巫女姫の居住空間は限られた人物しか入ることを許されない区域だ。神官たちはそこを侵してまでエルティスに何らかの行為をしようとは思わない。

 今、エルティスにとって一番安全な場所は巫女姫の傍なのだ。



「エルティスをずっとそこに居させるつもりなのですか」

 デュエールは思い切って尋ねる。

「エルティス・ファンは<アレクルーサ>として覚醒しました。<アレクルーサ>とはこのルシータを滅ぼす宿命を持つ者のこと。もう、彼女がルシータを滅ぼすか、私たちが彼女を滅ぼすかのどちらかしかありえないのです」

「それは……!」

 巫女姫の答は彼の問うたことに対し直接には答えていない。それでも、デュエールが言葉を失うには十分だった。

 その説明で、デュエールは昨夜の神官たちの騒ぎの理由を知る。

 つまり、彼らは今巫女姫が言ったことを実行に移したわけだ。自分たちが滅ぼされる前に、エルティスを滅ぼす。神官達の行動は、彼らの論理に従えば理にかなっているのだ。

 しかし。

 デュエールは心の奥底から怒りが湧き上がってくるのを抑えられなかった。それでも、それはただ一人の少女に対して許される行為なのか。



 しばらく黙って立ち尽くしたあと、デュエールはふと引っかかることがあることに気付く。

「一体、<アレクルーサ>は何のためにいるのですか。……どうしてエルティスが」

 デュエールの言葉に、巫女姫は表情を曇らせる。返事に困っている様子だった。

「……それは、私たちにもわかりません。私たちが何故滅ぼされようとしているのかはわかりませんが、それを望んでいる者がいるのです」

 巫女姫はゆっくりと言葉を選んで答える。ぎこちなく語る彼女の表情が引きつっているのも、その傍らにいるミルフィネル姫が慌てた様子でいるのも、デュエールの気のせいではなかった。

 巫女姫にしてみれば、思いもかけない質問だったに違いない。



「理由はわからなくても、それをもたらす者が"神の子"であることはわかっていたのです。<アレクルーサ>として覚醒したエルティスと、……そして彼女と同じように"神の子"と呼ばれるあなたも」

「俺も……?」

 自分のことを出され、デュエールは目を瞬かせた。

 そういえば、神官がそんなことを言ってはいなかったか。『やはりお前たちはルシータを滅ぼす"神の子"なのだな』と。

 だからこそ幼い頃から敬遠されてきたのか、とデュエールは納得した。繁栄をもたらすが一歩間違えれば滅びを呼ぶという"神の子"だったからではない。始めから滅びをもたらす存在だと知っていたからこそ、自分たちは敬遠されてきたのだ。

「デュエール、あなたも<アレクルーサ>と共にルシータを滅ぼすとされています。けれど、もしあなたがその気になれば、エルティスを止めることができるのですよ」

 穏やかな声音で、巫女姫は続けた。その隣では、ミルフィネル姫が真剣な瞳でデュエールを見つめている。彼女はデュエールの報告が始まってから今まで、巫女姫の玉座の横から一歩も動かずに二人のやり取りを見守っているのだった。

「エルティスが<アレクルーサ>としてルシータを滅ぼすには、あなたの力が必要なのです。だから、あなたの行動次第では、彼女がルシータを滅ぼそうとするのを止めることができる――あなたなら、ルシータを滅びから救えるのです」



 デュエールは巫女姫が言っていることがにわかには信じられなかった。誰もが魔力を持ち、魔法を使えるこのルシータにあって、彼はさほど優遇される立場ではないからだ。魔力をひとかけらも身体に持つことができず、精霊を見ることも魔法を使うこともできない――。

「俺に何ができるというんです、魔力すら持っていないのに」

「だから、です。あなたが魔力を持つことができないのは、あなたが<アレクルーサ>の魔力の<器>だから。あなたの身体は、<アレクルーサ>が生み出した魔力を受け止める力しかないのですよ」

 <アレクルーサ>がルシータを滅ぼすには大量の魔力が必要で、そのためには彼女の魔力を預かる<器>という存在が不可欠。すなわち、<器>であるデュエールの行動によっては、<アレクルーサ>であるエルティスがルシータを滅ぼすのを止められる。

 デュエールは呆気にとられていた。彼の父親のジュノンは、同じように、魔力を持ち魔法を使うことが一切できなかった。自分が魔力を持たないのは、その父親の特性を継いだだけだとばかり思っていたのだ。それを口にすると、巫女姫は表現しがたい奇妙な顔をした。

「そう……ですね。血のせいとも言えますし、そうではないとも言えますね……」

 返答も実に歯にものの挟まったような物言いだ。

 自分が魔力を持たないのは、<アレクルーサ>の<器>であるせい。けれど、血筋のせいではないとしたら、誰もが魔力を持って生まれるこのルシータにおいて、何故ジュノンは魔力を持つことができないのだろう。



 考え込んだデュエールに、巫女姫はやや口調を改めて話しかけてきた。

「ですから、あなたの行動によって、ルシータの滅びを止められるのですよ」

「もし、俺がエルティスを止めたとして、そのあとエルティスはどうなるんです?」

「ここには、いられないでしょう。彼女がここにいる限りは、滅びの恐怖は残るのです」

 ルシータの滅亡を止めたところで、エルティスは<アレクルーサ>として覚醒している。彼女がいる限り、神官たちの恐れは残るだろう。

「エルティスがルシータから出て行けば、丸く収まるわけですか?」

 たとえルシータから居場所がなくなっても、麓のレンソルには姉夫婦がいる。彼女の行き先が、ないわけではない。あるいは、ここに住み続けるよりは両親の墓と故郷を捨てても――そもそも彼女はルシータを故郷として誇ってはいなかったが――そちらで生きていく方が、彼女には幸せなのかもしれない。

「……いいえ、それだけではありません。あなたとエルティスに繋がりがあっても駄目なのです。あなたたちが一緒にいる限り、<アレクルーサ>はいつでもルシータを滅ぼすことができるのですから」

 巫女姫の言葉に、デュエールは愕然とした。幼馴染みとして一緒に過ごしてきた、その繋がりさえ否定されようとしている。

「だから、そう簡単にエルティスを解放できないのです」

 エルティスを助けたいと、デュエールは思っていた。こんなところに閉じ込められて生活するよりも、自由に生きられる場所を――。

「……エルティスを解放するには、どうすればいいのです?」

 デュエールは、力なくそう尋ねていた。昨夜のことからも、想像はつく。きっと、それは自分の持つ何かと引き換えの行為。

 それでも――。



「神々の前で、誓いを。二度とエルティスと関わりを持たない、と」

 巫女姫の言葉は、デュエールの予想通りのものだった。自分とエルティスに繋がりがあれば、いつか必ず<アレクルーサ>と<器>としてルシータを滅ぼす。命を奪う、という方法以外でそれを防ぐには、二人の間の繋がりを断つことしかないはずだ。

 神々の御前での誓いは、決して破ることを許されない絶対のもの。ルシータの民であれば、それは幼い頃から身についている。もし誓ったなら、デュエールは今後一切、エルティスと言葉を交わすことすらできなくなる。

「それで……いいのですか」

「そうですね……。けれど、あなたが父親と共にルシータに住み続けるのであれば、それだけでは足りません。あなたを滅びを呼ぶ"神の子"と認めた神官たちは、あなたやジュノンがいることを納得しないでしょうから」

 父親のことを出され、デュエールは表情を険しくする。

「……昨夜から思っていたのですが、何故、俺の行動で父まで一緒にされるのですか。エルティスを助けようとしたのは、俺だけの考えなのに」

「あなたを育てたのはジュノンですよ。あなたの考え方も価値観も、育てられる中で得てきたものです。そんなあなたが、一緒に育ってきたエルティスを助けたいと思う。彼女を育てたも同然のジュノンが同じような行動を取ると、誰もが考えるでしょう」

 あまりにも理不尽だ。巫女姫の言葉に、デュエールはそう思った。

 自分自身がそう言われることにはなんら躊躇いはないが、父親が同じように見なされるということがデュエールには納得できない。しかし、昨日の神官たちの態度を考えれば、その考え方がいかに理不尽だとしてもこちらの言い分は受け入れられないに違いない。

「それも、あなたがもしミルフィネルと婚約する……というのであれば、話は別ですが」

 デュエールは弾けたように顔を上げる。その表情が歪むのを止められなかった。

「神官たちにとって巫女姫……私たちは絶対の存在です。あなたが"神の子"だとしても、次代の巫女姫であるミルフィネルの伴侶になるというのであれば、神官たちもジュノン共々あなたを受け入れるでしょう」



 それが、つまりは交換条件なのだった。

 エルティスを神殿から解放しその命を守り、父親をこの地に残す方法。

 神々の前にエルティスと二度と関わらないことを誓い、ミルフィネルの婚約を誓えば、デュエールとエルティスの繋がりは完全に断たれるだろう。<アレクルーサ>と<器>の絆が失われれば、ルシータを滅ぼすことは叶わなくなる。

 そして、巫女姫の一族となる者に、神官たちは手を出さない。ジュノンは静かにこの地で生きていける。

 しかし、それはすなわち、デュエールの内に在る、最も深い望みを捨てること。

 とっさに言葉も出せず、デュエールは立ち尽くした。

 父がいつも言っていたことをふとデュエールは思い出す。

『私は、眠るならルシータだろう。きっとここで一生を終えるよ』

 若くして逝った妻が、ここに眠っているから。墓の守りをして、同じ場所へ眠ること。それが妻を早くに亡くした父ジュノンの願い。

 傍にいたいという気持ちは、痛いほどにわかるから。――できない、それだけは。

「私があなたに対してできることはそれだけです。……ゆっくりと考えてください。あなたのこれからに深く関わることですから……」

 巫女姫はそう言い残し静かに一礼すると、デュエールが入ってきたところとは別の、玉座よりの扉から出て行ってしまう。

 一点を見つめたまま微動だにしないデュエールは、巫女姫のあとに続くミルフィネル姫が扉の前で立ち止まって振り返り、何かを言いたそうな様子で自分を見つめたことに気付かなかった。

 ミルフィネル姫が謁見の間を出、扉が閉められると、静寂の中に残されたのはデュエール一人きり。

 小さく漏れる、呟き。

「そんなの、ありかよ……」

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