6-8 依頼人

 車が目的地に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。

 街灯はまばらだ。それでも、車を降りる前から自分たちがどこにいるか分かっていた。知らない場所ならともかく、此処ほどよく知った場所はない。

「おかえり、かしらネ、この場合?」

『知った事か』

 駐車場に車を停め、運転席から降りた『暴力屋』が、出迎えに来ていた人と話している。苛立ちを隠そうともしない変声機越しの声に、しかし相手はクスクスと楽しそうな笑いを零している。

 そして、それぞれ車から出た私とカナを順に目で追って、

「二人は……どうかしら、あんまり驚いてない?」

「……この店の方に向かってるな、っていうのは、途中で分かりましたから」

 何も言わないカナに代わって、私はどうにか声を絞り出す。

 驚かなかったわけではないし、その可能性に思い至ってからも否定したい思いはあった。それでも、私たちと縁のある人物という時点で、人数はかなり絞られる。

「店長……どうして?」

 具体性のない問いを投げかけた私を、薫さんは細めた双眸で見据えた。さっきの大河内さんとは違う、どこか温かみのある視線。それでも、たとえついさっき怖気のする体験をしたあとだとしても、それを馬鹿正直に受け取るほど素直ではない。

 意図はどうあれ、薫さんが『暴力屋』などという違法な存在と手を組んだことは事実なのだから。

「詳しい話は中でしましょ? 外は冷えるわよ。あ、『暴力屋』さんも入ってくださるゥ?」

 促されるまま、私たちは店の中へ。言葉にはしていなかったが、ここでも『暴力屋』が「逆らったらただじゃ済まさない」と言わんばかりに存在を主張していた。

 店に明かりは点いていたが、札は『Closed』になっていた。扉を開けて、私たちは中に入る。

 最初に立ち止まったのは『暴力屋』だ。入口のすぐ傍の席にどかりと腰を下ろす。そうしながら、私たちにはもっと奥まで入るよう、手ぶりで示してくる。まるで気にせずカウンターまで進む薫さんの背に、私もやむなく続いた。

「さ、座って座って。あ、何かつまめるもの持ってくるワ」

 一人だけ明るく、というかいつもの調子ではしゃぐ薫さんは、軽い足取りで一度キッチンに引っ込むと、すぐにクラッカーにチーズを載せて持ってきた。さらに言葉を交わす間もなく、今度はお冷のグラスを持ってくる。

「コーヒーも淹れましょっか」

「い、いえ、それより……」

「はぁい、お願いします」

 薫さんが尋ねてきたのに、私は腰を浮かしかけたが、それを遮ってカナが言った。サイフォンに目をやっていた薫さんは、そこで一度私たちに顔を向けて、

「はいカナちゃん正解。やっぱりそういうトコは、アナタの方が鋭いわよネェ」

 ニマリと笑って意味深なことを言う。声をかけられたカナの方は、必ずしも嬉しくなさそうな顔で首を竦めた。

 訳が分からないまま眉根を寄せた私に、薫さんは笑みもそのままに目を向けて、

「今この場でイニシアチブをとってるのはア・タ・シ。何の策もないのにそれに逆らおうなんて、自分の身を危険に晒すだけよ」

「うっ……」

 思わず息を詰まらせた。

 指摘がもっともだったから、というのもある。だがそれ以上に、薫さんが敵対していることを前提としたような指摘が、ひどく重たく感じた。

 私の表情に影が落ちたのを、満足そうに見やってから、薫さんはサイフォンを弄る手を止めずに語り続ける。

「ま、そうは言っても、別に勿体ぶるようなことがあるわけじゃないんだケド。紗良ちゃんが聞きたいのは、「どうしてアタシが傑ちゃんのトコに『暴力屋』を差し向けたか」かしら?」

「……そうですね、知りたいです」

 腑に落ちないところはあったものの、直前のアドバイスに従ってひとまず頷く。薫さんが満足そうに笑ったのは、私が否定しなかったからか、それとも居心地の悪い表情でいたからか。

「まァ理由は幾つかあったんだケドねぇ。一つは、傑ちゃんがまず間違いなく、アナタたちにちょっかいかけるだろうと思ってたからネ」

「前例があるから、とかですか?」

「あら正解。紗良ちゃんもそれなりに分かってるじゃない」

 尋ね返すと、薫さんは一層楽しそうに笑みを深める。上機嫌な台詞が返ってきたが、正直あまり褒められた気はしない。ムスリと嘆息して、私はクラッカーに手を伸ばした。

 流石に出来合いのものを組み合わせただけあって、普通の味がした。

「……放っておかなかったのは、お店のためですか?」

 気になることは他にもあったが、どうしても確かめておきたい一点を、私は問いにした。同じくクラッカーを齧っていたカナが私の方を見やり、薫さんは少し驚いたような表情をした。問う言葉とは裏腹に、私の口調が断定的なことに気がついたのだろう。

 お店のためでもあると思う。けれど、それだけのようには思えなかった。言外の疑問に、薫さんがその双眸をスッと細めた。

「あ~らあら、ホント、面白いトコ突いてくるようになったじゃない。ちょっと感心しちゃった」

 そう嘯きながら、薫さんはコーヒーをカップに注ぎ分ける。三杯、ということは、薫さん自身か『暴力屋』のどちらかの分は用意する気がなかったようだ。

 彼は三つのカップをカウンターに並べて、お終い。つい背後を振り返ってしまったが、あの得体の知れない人物がそれを気に留めた風はない。

「そうねェ、どう答えるのが正解かしら。少なくとも、アナタの言うように、傑ちゃんに下手なことされたら、うちで働いてくれなくなるかも、って心配も無くはなかったんだけどねェ」

 他方、薫さんはカップを揺らしてコーヒーの香りを立てながら、数瞬遠い目をして呟く。私だけでなくカナも、彼の反応を真剣に待っていた。

 小さく鼻を鳴らして、薫さんが一口コーヒーを口にする。そして、

「まァそれ以上に、アナタたちが今後『特区ココ』でどんな風に成長するのか。アタシはそれに、とぉっても興味があるの。傑ちゃんはそうねェ、言い方悪いけど、そのためには邪魔だったのよ。序盤の障害としちゃ、ちょっと悪質過ぎるものネ」

 言われた言葉の意味が一度に飲み込み切れず、私はぽかんとして瞬きを繰り返した。

「成長……興味?」

 引っ掛かった単語を呟いてみるが、薫さんの表情に変化はない。細く鋭い目と、薄い笑み。冷ややかとも言い切れないが、少なくとも冗談というわけではなさそうに見える。

 思わず視線がカナの方へ引っ張られた。彼女もまた驚いた様子ではあったが、単に呆けていた私と違って、不信感を宿した眼差しを薫さんへと向けている。そんなカナの視線に、薫さんもまた気づいていた。

「そんなに睨まないの。言葉通りの意味で言ってるんだから、悪意も敵意も持ってないわよォ」

「だとしたら余計に意図が分からなくって怖いです」

「辛辣ねぇ」

 声音ばかりは朗らかに言ってのけるカナに、薫さんは苦笑しながら肩を竦めた。

 眼光は変わらず鋭い。そして同じく、攻撃的な色も帯びていない。一時は伏せがちだったその目が再びこちらを向いたとき、私は不意に背筋を擽られるような錯覚を受けた。

 今までに感じたことのない、不快なのかどうかも分からない感覚。言うなれば、「見られている」ということを激しく意識させられたような感覚だった。

「自分で「善意」なんて言う気にもなれないし、意図って言われても難しいんだけど……強いて言うなら」

 そんな眼差しと共に、薫さんは含みのある微笑を浮かべた。

「アナタたちみたいなコたち――もっと言えば、紗良ちゃんみたいなコ、『特区』じゃ珍しいのよ。すっごくレア。だから今後が気になるの。自覚はないでしょうケド」

「わ、私っ?」

 薫さんの言葉は、意外にもほどがあった。半ば以上信じられず聞き返したものの、彼はやはり微笑のまま微動だにしない。

 しばし彼と視線を交差していた私だったが、こればかりは冗談だろうと自分自身に言い聞かせ、溜息をついた。そこを深く突っ込むほどの余裕が、私にはなかった。

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