5-4 新たな仲間
「へぇー、彼女さんがいるんですかぁ!」
何やら色めき立ったカナが、そんな声を上げていた。その隣に佇む薫さんも腕を組みしきりに頷きながら、
「そっかぁ。二人で来るって言うから、きっとパートナーのコがいるんだろうなぁとは思ってたけど。イイわねェ、そういうの。自分のことじゃなくても嬉しくなっちゃうわ」
「わたしもそう思います。何よりサラを取り合うことにならなくて済んだし。まあ負けないですけど」
冗談めかしてカナが言うと、薫さんは呆れたように笑った。
二人とカウンターを挟んで向かい合う男性も、戸惑い混じりながらも微笑を浮かべていた。 緊張が見え隠れしていた彼が表情を緩めたタイミングで、私もそこに現れる。
「楽しそうな話をしてますね」
「あらァ、紗良ちゃん聞いてたの?」
「少しだけ。酷いじゃないですか、私だけ除け者にして盛り上がって」
わざとらしく細い目で薫さんを睨んだあと、カナにも目を移す。彼女は彼女で、私が登場するなり一層眩い笑顔で私に視線を重ねてきた。
私は両手に一つずつ持ったドリアの皿をカウンターに置き、席に着いていた男性の前に差し出した。これも店にあったレシピ通りのものだ。
「お待たせしました……カナ、あと二つあるから、ちょっと手伝って」
「は~い」
恐縮したように縮こまる男性に一声かけたあと、私はカナに呼びかける。機嫌のいい返事が返ってきた。
男性は名を
先日電話をしてきた店員志望者のうち、片方である。電話口では「二人で来る」と言っていたらしいが、もう一人は土壇場で急用が入り、少し遅れるとのことだった。
カナとともに、店の奥から残る二皿のドリアと食器を持ってくる。私たちはそのまま、井端さんと向かい合って座る薫さんの横に、並んで腰を下ろした。
それを合図にするつもりだったのか、おもむろに薫さんは穏やかなトーンで語り始めた。
「さて、もう少し他愛ない話に付き合ってくれるかしら? 勿論、食べながらでいいから」
「いいんですか?」
「いいのいいの。冷めちゃう方が勿体ないワ」
軽い調子で答えながら、薫さんは率先してスプーンを手に取った。自分のドリアを掬い上げ、息を吹きかけ冷ましつつ食べる姿に、井端さんも緊張を緩めてスプーンを手にする。私やカナもそれに続いた。
ハフハフと息の音が、静寂の中では意外なほど耳につく。途中、井端さんがちらちらと視線を薫さんに送っていた。「話を」と言っていた割に薫さんは黙りっぱなしだが、横顔を見る限り、単に話題を探しているようでもあった。
彼にしても、二人同時に面接するつもりだったのが、片方が不在のまま口火を切った形だ。どう間を繋ぐか、またそれだけでいいのか、悩むことは多いだろう。
薫さんが喋りかけたのは、井端さんがドリアを半分以上食べた後だった。
「ところで時雨ちゃん。気のせいだったら悪いんだケド、アナタこの店は初めてだったかしら?」
探りをいれるような一言だ。少し間を置いて、井端さんは淡い苦笑とともに頷く。
「はい。といっても、彼女の方は何度か来てたみたいですよ。ここの話は以前から聞いてました」
「へぇ、何て?」
「えっ、いや、それは……」
尋ね返すなり、井端さんはとても言いづらそうに口ごもった。ちらりと視線が私に飛ぶ。
薫さんの料理の腕を思えば、どんな評判を聞いていたかは想像に難くない。同時に彼が抱いた誤解を察し、私は口を挟んだ。
「私とカナがここへ来たの、つい最近ですから。その人が食べたのは店長の料理ですよ」
「……ああ、そういうことかぁ」
得心した様子で、彼は大きく頷いた。薫さんが微かに表情を曇らせるが、無視。カナも私に続き、
「サラのお料理はちゃんと美味しいでしょ?」
「はい、とても。これなら彼女も「不味い」なんて言えるはずない」
「へぇ。カノジョはそう言ってたわけネ?」
横からねちっこい声で薫さんに言われ、たちまち井端さんが萎縮する。彼の反応を見ていけないと思ったか、薫さんは慌ててフォローに入った。
「冗談よォ。今までそういう風に噂されてたのはアタシだって知ってるわ。だからこそ、改装を機にこれまでのイメージを払拭したいのよ」
「これまでの……」
まだ陰のある表情で、同じ言葉を繰り返す。そんな井端さんに頷いて、薫さんは続けた。
「そ。色々変えるつもりよ。紗良ちゃんやカナちゃんに来てもらったのもそう。お料理だってちゃんとしたものを出せるようにしたかったし、人ももっと増やして活気ある感じにしたいの。そのために時雨ちゃんの力も借りたいのよ」
語るほどにその口調が真剣みを増していく。井端さんも徐々に、萎縮するような気配を薄れさせてその言葉に聞き入った。
「そういうわけだから、まずは時雨ちゃんのことを知りたいわ。幾つか聞いていいかしら?」
「……はい」
背筋を伸ばして顔を見合わす二人の姿に、私もつい手を止めて、会話の成り行きを見守ろうとしていた。
聞いた限りはこうだ。
歳は十九歳。ついこの間まで、東区のスーパーで働いていたが、労働条件の悪さに辟易していたところで『Kaoru』の求人を知り、応募したという。恋人とは同居していて、彼女は診療所の事務仕事をしていたらしいが、こちらも条件が悪くて辞めることを決めた。ただ、引き継ぎが予定より長引いてしまったため、今日は少し遅れているのだそうだ。
二人は『特区』に来る以前からの仲で、『特区』に来たのはおよそ一年半前。それを聞いた薫さんは、
「へぇ、長いのね」
と感想を漏らした。
「長いんですか?」
思わず私が尋ねると、薫さんの目が一瞬だけこちらを向く。彼はすぐに正面へ視線を戻し、微笑のままで答えた。
「まぁねェ……で、料理とかはどう?」
妙に短くあしらわれた気もする。薫さんよりむしろ、対面する井端さんの方が戸惑っているようでもあった。それでも、質問されたことにはきちんと答える。
「正直あまり。『特区』に来てからは多少やるようになりましたけど、それ以前は全くだったので」
「そう。接客の方はどうかしら」
「前はどちらかというと裏方の仕事が多かったので、経験はあまりないです。苦手意識があるってわけでもありませんけど」
「なるほどネ」
何度か首を振り、薫さんが唸る。そんな反応に何を感じたか、井端さんはまた肩身が狭そうに身体を縮める。
「すいません、あまり戦力にならなくて……」
「そんなことないわよォ! こっちの二人も接客は未経験だっていうし、アタシなんか料理全然駄目だもの。まずはいてくれることが大事。新人は育ててナンボよ」
薫さんの発言に合わせて、私とカナも無言で首肯。それを見て、井端さんは少し肩の力を抜いた。
それから思い出したように、
「ああでも、僕はともかく、彼女の方は料理得意ですよ。それに人前でアガったりはしないから、多分接客もできます」
「へぇ、そのコのことは随分信頼してるのネ」
意外そうに眉を上げて薫さんが言う。井端さんはそれに、照れくさそうに微笑みつつも頷いた。
私としても、それまでどちらかというと弱気な方に見えた彼が、恋人についてはストレートに褒めるのが意外ではあった。一方、カナは別のことが気になったらしい。丁度食べ終わった自分の皿をスプーンで示しつつ、
「お料理上手いんだぁ。サラとどっちが美味しいだろうね?」
「答えにくいこと聞かないのっ」
軽くカナの頭を叩いて黙らせる。「あたっ」と零したカナが、恨めしそうに私を見上げてきた。また気落ちされては面倒だ、と思っていた井端さんはしかし、そんな私たちのやり取りを微笑ましそうに見つめていた。
「僕からも、ちょっといいでしょうか」
遠慮がちに手を挙げた井端さんが、やはり控え目な声で言う。薫さんはすかさず応じた。
「もっちろん。何でも聞いて」
「そちらのお二人、名前もまだ窺ってませんでしたから」
「あらやだ、アタシったらつい忘れてたわ」
口元に手を当てて驚いた仕草をしてみせる薫さんの隣で、私とカナはアイコンタクト。タイミングを計り、二人で井端さんに向き直る。
「私は上杉紗良です」
「わたしは、小鳥遊香奈江です」
私に続き、カナが軽く頭を下げて告げた。かと思えば、顔を上げたカナはおもむろに私の腕に軽く抱きつき、
「サラの恋人です」
そう付け加えた。すぐに離れてしまったが、腕には一瞬感じた温もりと柔らかさが残っていた。
ほんの一時の接触に呆けていた自分を叱咤して、再び私は井端さんに目を向けた。彼は先ほどと同じ、和やかな目でこっちを見ていた。
今更だが、年齢的にも『特区』在住期間的にも、彼は私たちの先輩なのだ。彼の眼差しも、後進を見守っているのだと思えばそれほど不自然ではないのかもしれない。
「上杉さんに、小鳥遊さんですね。よろしくお願いします」
そんな彼はしかし先輩風を吹かせるわけでもなく、柔和な声で私たちの名前を復唱して、深々と頭を下げた。むしろこちらが恐縮してしまいそうな居住まいだ。
が、私が反応するより早く、別の場所から声が上がった。
「……ちょっと時雨。「よろしく」ってどういうことよ」
井端さんの台詞とともに、店のドアが開いた。そして現れた人影が、頭を下げた井端さんの背中に声をかける。
そこに立っていたのは若い女性だった。吊り上がった目元と敵愾心を感じさせる声音。だが声をかけられた当の本人は、パッと表情を輝かせて背後を振り返る。
「
弾む口調で呼びかける井端さんだったが、対する女性――小雪さんは、早足で彼の前まで歩み寄ると腰に手を当てて、
「そうよっ。だから急いで来たのに、時雨は一人で楽しそうにっ。女の子たちに頭下げて!」
「へ?」
自分が批難されていることにようやく気づいたか、井端さんが目を丸くして間の抜けた声を漏らした。
端で見ていた私たちも同じ心境だ。カナも目を点にして閉口している。薫さんは驚きつつも、成り行きを楽しむ余裕が浮かんでいるようにも思えた。
一身に集められた視線の意味など介した様子もなく、小雪さんは何故か泣きそうなほど思いつめた表情で、
「私のいないとこで、他の女の子たちと、何をそんなに楽しそうにしてたのよ!」
小雪さんの言い分はあまりに突飛に聞こえた。急な展開に目を白黒させる私だったが、井端さんは違った。彼は椅子から立ち上がるなり、小雪さんの肩を抱いた。
彼はしかも、私たちとは違って戸惑った様子もなく、穏やかな声で囁きかける。
「ここで働いてる人たちに挨拶しただけだよ。大丈夫、何も心配ないから」
言い聞かせるように、彼は片手を小雪さんの頭に移すと、何度も髪に指を潜らせた。さらに背中に手を回して抱き寄せ、ぽんぽんと叩く。まるであやしているようだ。
少しして、井端さんは小雪さんを放すと隣に並び、私たちの方へ向き直った。
「紹介します。僕の彼女の小雪です」
「…………」
紹介を受けた小雪さんはというと、まだ不機嫌そうな顔をしたままだ。睨むような眼差しで私たちの姿を撫でながら、片手で井端さんのシャツの裾を握りしめている。
もっとも目つきに関しては、元々吊り目がちなのかもしれない。鋭利な印象を受ける一方で、顔立ちには少女の甘さが残り、大人びた落ち着き寄りは可愛さを感じさせた。背は私と同じくらいで、歳も近いだろう。
威嚇されながらも一歩引いた心境で彼女の観察をしたあと、さて彼女の眼光にどう応えたものかと思案する。が、私より先にカナが動いた。
「サラ、ちょっと動かないでいてね」
私にしか聞こえないほど小声で囁かれた。そう認識した直後には、私はカナに抱きしめられていた。
「!?」
混乱したものの、咄嗟にカナの頼みを思い出し、とりあえず身を任せる。カナの左手が背中を這い上がり、身体が密着する。さっきよりもはっきりとカナの肢体の柔らかさが伝わってきた。
「わたしは小鳥遊香奈江っていいまぁす。それで、この子は上杉紗良」
カナの言葉が聞こえてくるが、その声はそのまま耳を素通りしていく。カナはさらに右手で私の左腕を捉え、カウンターに載せた。
「あっ」
背中越しに小雪さんの声が聞こえる。一歩遅れて私もカナの意図に気づいた。
カウンターに置いた左手にはカナの右手が添えられている。感触で、その右手が私の指に嵌った指輪を指しているのが分かった。同じく、背中の左手は小雪さんの視線に晒されているはずだ。
にしたって、普通に見せるだけでも良かったんじゃないだろうか、と思ったのだが。
「わたしたち、恋人同士なんです。分かってもらえましたぁ?」
続く言葉には、カナにしては妙に刺々しい響きが含まれていた。私は抱きしめられたまま、少し顔をずらして問いかける。
「カナ、ひょっとしてちょっと怒ってる?」
聞いた瞬間、電流が走ったようにカナが震えた。図星らしい。それにしても何故、と問う間もなく、カナは視線の矛先を小雪さんに移して、
「……わたしはサラだけの恋人だし、サラはわたしのものだもん」
子供っぽい怒りの滲む声で零した。あくまで言いがかりとはいえ、私たちの関係に水を差されたように感じたのが、よほど腹に据えかねたと見える。
カナの腕を敢えて解かず、どうにか首だけ回して小雪さんの方を見ようとする。だが彼女の姿が視界に入るより早く、井端さんの声が聞こえてくる。
「だってさ、小雪」
「う、ごめんなさい……」
続いて、消沈したような小雪さんの声。満足げなカナの鼻息が聞こえるとともに腕が解かれる。
ちょっとした喪失感を意識から追い出して、私は小雪さんたちに目を向けた。俯く小雪さんの肩に、井端さんは腕を回しながら私たちを見つめ返した。
「済みません。小雪が――」
「いい、時雨。ちゃんと自分で謝るから」
彼の言葉を遮って、小雪さんが言う。一度目を閉じて深呼吸した彼女が再び私たちの方を見たとき、そこには初めに見た苛立ちや焦りはなく、しおらしい態度で彼女は頭を下げた。
「本当にごめんなさい。私、時雨が私と同じくらいの子と仲良さそうにしてるの見ると、たまにすごく不安になっちゃうの……自分のいるところでなら心配しなくて済むんだけど、今日は時雨一人であなたたちと会ってたし、二人とも可愛かったから、抑えが利かなくなっちゃって」
矢継ぎ早に言葉を連ねる彼女の姿からは、心底申し訳なく思っているのが伝わってきた。
ちらりとカナの横顔を窺う。意外にもまだ機嫌は収まり切っていない様子だが、それでも彼女に対する怒りは冷めているようだった。
敢えて私は黙ったまま、カナに返事を促した。気づいたカナは驚いたように目を瞬いた後、無言で頬を膨らませ、さらに遅れて短く嘆息した。
「……恋人取られちゃうかも、って不安は痛いほど分かります。だから、十分謝ってもらったし、もういいです」
言葉とは裏腹に、まだ若干の恨み節が混じってはいたが、それ以上言及する気はないらしい。対面では、再度反省を促すように井端さんが小雪さんを小突いていた。
パンパン、と手を打ち鳴らしたのは薫さんだ。ひとまず場が落ち着いたのを見て取った彼は、仕切り直すように全員の注目を集めた。
「まあまあ、まずはよく来てくれたわネ、小雪ちゃん。順番狂っちゃったけど、まずは改めて自己紹介してもらっていいかしら?」
よく通る声で彼が言うと、反射的に身が引き締まるようだった。背筋を伸ばして小雪さんたち二人に私たちが身体を向けると、小雪さんも足を揃えて胸を張った。
「――初めまして、
そう言いながら彼女は、自分の左手を掲げながら、もう片方の手で井端さんの手を持ち上げる。
その薬指に、お揃いのリングが輝いていた。
「時雨の恋人です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます