ヒノモト恋愛特区
えどわーど
Prologue
一キロメートル近い吊橋が、黒一色のラインとなって、斜陽に染まった海面を一直線に裂いている。ウツロ大橋の印象は、一言でいえば物々しかった。
実用一点張りで作られた飾りけのないフォルムは、さながら刑務所や軍用施設のような雰囲気を醸し出している。無機質な橋の上を照らす、冷たい白の照明。そんなただ中を、一台のバスが走っていく。
列島国ヒノモトの最西端。海に伸びた直線を、ヘッドライトの光点が真っ直ぐなぞる。その光景は酷く頼りなく、儚げで、また不穏であった。
他方、バスから眺める光景もまた、息苦しさばかりが募る。延々と続く道路。ひたすら左右にのさばる海。背後の本土の風景は既に遠く、代わって正面にそびえる目的地が、その重量感ばかり目に着く外観とともに、暗澹たる存在感を刻一刻と増していく。朱に染まった空を背負ったその威容は、かえって黒々と影を落とし、見る者を圧倒した。
感情が抜け落ちた表情の運転手の後ろで、二人の少女がごくりと息を呑んだ。このバスの、たった二人きりの乗客だ。
その道程も、決して時間のかかるものではない。ものの数分でバスは橋を渡り切り、対岸の停留所に到着した。僅かに軋みを上げてドアが開く。
少女二人が降車すると、バスはドアを閉めた。そして、すぐに発車した。こちらから本土へと向かう乗客を待つ気はないらしい。
というよりも、いないのだ。ここはそういう場所なのである。
「……来ちゃったね」
少女の片割れが言う。小さな声は、隠しようもなく震えていた。
「うん。やっと、ここまで来れた」
もう一方の少女が相槌を打った。その声もまた震えていたが、そこから滲んでみえるのは怯えではなく、力み過ぎた者特有の緊張感だ。
後から応えた方の少女がポケットから携帯電話を取り出し、時間を見る。十七時五五分。ちょうど日没の時間だ。
「……行こう。すぐに暗くなる」
覚悟に据わった双眸が、既に辺りを包み始めた宵闇の中、鋭く光を放った。彼女の言葉に、もう一人は弱々しく頷いてから、正面の壁を見上げた。
巨大な壁は、ちっぽけな少女たちを無言のまま睥睨していた。まるで巨人だ。今にも丸呑みにされそうなプレッシャーに、思わず足が竦む。
全身が強張る。眼前の威容から目が離せない。無意識に呼吸が浅く、早くなり、痛いほどに心臓が早鐘を――
「――大丈夫」
その手を、相方の少女が優しく握った。
途端、暴れていた心臓が落ち着きを取り戻す。トクン、トクンと、平素より少しだけ早い、それでいて心地よい鼓動を刻み始める。手のひらから伝わる温もりが、血に溶け込んで全身を駆け巡りながら、恐怖を拭い取っていくような気がした。
壁に釘付けになっていた視線を動かし、傍らの少女を見た。その視線を受けた少女は、頼もしい微笑を浮かべながら小さく頷く。
もう一度心臓が跳ねた。
「……うん」
怯えの消えた少女は、微笑み返しながら、自分の手を握る指に己の指を絡ませた。解けないようしっかりと握り合い、二人は足並みを揃えて一つの方向に歩き出した。
壁の一部にぽっかりと空いた穴――来訪者に向けて解放された窓口へと、二人は進む。係員らしき人影が、二人に気づき、無機質な眼差しを向ける。それでも少女たちは、もう歩調を緩めはしなかった。
目の前までやってきた少女たちに、窓口の女性は、やはり無感情な目を向ける。
「ご用件は?」
短く発した問いかけには、二人がこんな場所へやって来たことに対する疑問や、再考を促すようなニュアンスはなかった。ただ淡々と、処務の一つとして彼女たちへの応対を済まそうとする反応だ。
上等だ。変に関心を寄せられるより、余程いい。
少女は下腹に力を込め、顎を引き、眼光を研ぐ。そして、低い声で問いに答えた。
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