偽りの救世主

第10話

 太陽が昇っても、灰色の森グレイフォレストから遠く離れても、なおレーヴェストは飛び続けていた。


 魔術による飛行は大きな魔力に加え強い集中力を必要とする。

 トールやスミとの連戦に加え、長時間の魔術の行使はその疲労を頂点へともたらしていた。

 それでも、レーヴェストは休む間を惜しみ帰還を急ぐ。


「(このまま行けば明日には帰還できる)」


 かすむ視界に眼を細め飛翔するレーヴェストを、突然の衝撃が襲った。

 展開していた魔術が崩れ、山間へと墜落し、急斜面を転がり落ちる。


「いったい何が!?」


 戸惑うレーヴェストにさらなる悲劇が見舞われる。

 首から提げていた水晶玉にヒビが入り、アヴェニールを封じていた術が解けた。


 解放されたアヴェニールはレーヴェストに馬乗りとなった状態で現れる。


「くっ、重い」

「失礼ね、重くなんてないわよ」


 呻くレーヴェストに年頃の少女らしい反論をする。

 しかし、アヴェニールの表情は不満から疑問のものへと変化した。


「あれ?」


 手にした感触を確かめるように指を動かす。


 モミモミモミモミ。

 モミモミモミモミ。


「なにをしているんです?」

「あなた女なの? 胸ちっちゃいけど」


 衣服越しにレーヴェストの胸をもみしだきながらアヴェニールが尋ねる。


「ちっちゃくない! ではなく、私は王子です。

 女のわけはないでしょう」

ダウト


 女ではないと言うところでアヴェニールは反応した。

 しかし、その指摘は行った本人が困惑することになる。

 『』というのは嘘なのに『』と言うところは嘘のだ。


「どういうこと?

(私が知らないだけで、女でも王子になれるのかしら?)」

「……なんとも面倒な人だ」


 レーヴェストは嘆息し言い直す。


「私はハズーの国の王子です。

 国にこの身を捧げるため、女であることは捨てました」

ダウト


「嘘ではありません!」

 レーヴェストは強い口調で反論する。


「私に言わないでよ、勝手に嘘に反応しちゃうんだから」

「それよりも、いつまで人の胸を揉んでいるつもりです」

 自らに乗ったままのアヴェニールに不満を漏らす。


「あっ、ごめんなさい」

 よろけながらも、レーヴェストから離れるアヴェニール。

 そして空いた手をなにげなく自分の胸にあてる。


「なに自分の胸と揉み比べてるんですか!

 しかもなんです、その勝ち誇ったような顔は!」


 レーヴェストは緩んだ布をまき直しながら指摘する。


「そんなことはないわよ……ちょっとしか」


「女の価値は胸ではありません、むしろ胸なんて飾りです!

 そりゃ少しくらいはあったほうが男は喜ぶかもしれませんが、あなたのように大きすぎる乳は邪魔でしかないのです。

 あえて言いましょう、ただの駄肉です。

 その乳では走ることができるんですか、できないでしょう。

 乳なんてないほうが下着にも困らず経済的なんです!」


「いや、もともとあたし走れないし」

 盲目の少女は困ったように言う。


「けっ、これだからいいとこのお嬢様は」

「あたしってお嬢様なのかな?

 でも、あなただってお姫様なんでしょ?」


 やさぐれるレーヴェストにアヴェニールが質問する。


「だっ・かっ・らっ。

 さっきから言っているとおり、今の私は王子なんです!」


「そうなんだ」

 納得しがたかったが、レーヴェストが主張を譲らないので、

 アヴェニールは、これ以上彼女が女であることには触れないことにした。


「まったく、捕らわれの身でなにを考えてるんですか」

「う~ん、いろいろかな。

 ところで、あなたの胸って小さいの? すごく小さいの?」


 手でレーヴェストの胸の形を再現しながら尋ねる。


「まだ、乳の話をひきずりますかっ!」

「で、どっちなの?」


「普通ですよ!」

ダウト


 再びアヴェニールが解答を否定すると、レーヴェストはこめかみに青筋を浮かべ、吐き捨てるように言う。


「悪かったですね小さくて、でも私は男なので関係ありません!」

ダウト、ってゴメンナサイ、気にしてたのね」


「そんなところで謝るんじゃない!」

 アヴェニールと会話をしてるだけで、レーヴェストは疲労が倍になったような気がした。


『なにやら騒がしいようだな』

 大気を震わすほどの重苦しい声が、ふたりのやりとりに割り込む。


 レーヴェストが声の主を見上げると、そこには巨大なドラゴンの姿があった。


 トカゲを禍々しくしたような赤い身体は、家屋ほどの大きさがある。

 口からは鋭い牙がならび、人間など一呑みできそうなほど大きかった。


ドラゴンだとっ、なぜこんなところに!?」


 レーヴェストはその瞳に睨まれただけで、心臓が握り潰されそうなほどの圧迫感を受ける。


『それはこちらの台詞だ人間よ。

 ここは我が治めし山。

 何故なにゆえに結界を破り立ち入った』


 それはレーヴェストにとって、驚きの事実だった。


「(飛行魔術を打ち消したのはコイツの結界か)」


 彼女も竜の住む山の話は知っていたが、それは目的地とはだいぶ方角がちがう。

 疲労のせいで方角を誤ったのだ。


 レーヴェストが竜の聖域に立ち入ったことを謝罪しようとするが、それよりも先にアヴェニールがその逆鱗に触れてしまう。


ダウト


 こぼれた言葉を打ち消すように両手で口を塞ぐがそれは手遅れだった。

 それまでレーヴェストに向けられていたドラゴンの視線がアヴェニールへと移される。


『それはどういう意味だ、人間の娘。

 ここが我が地であることを否定するか』


 アヴェニールは耳にしてしまった嘘には勝手に反応してしまうのだ。

 空気が読めないと言われても自分ではそれを止める事はできない。

 しかも、本人は嘘に反応しているだけで、相手の真意に気付いているわけではない。


「否定したのは私ではないわ、あなた自身ではなくて?」

 ドラゴンを相手にどう答えるか迷いながらも、あいまいな返事をする。


『つまり、我はここが領地だと自分で認めていないと?』

「そっ、そうよ」


『ふふふふっ……、ふははははっ』


 アヴェニールがおそるおそる発した同意に、ドラゴンは突如として笑いだす。

 そして、アヴェニールの言葉を認めた。


『その通りだ。

 一〇〇年前に我は人間との争いに敗れ、惨めにもこの地へと逃げ込んだのだ。

 あの忌まわしき王の手によってな。

 それ以来、我は敗北を隠し、ここを新たな住処として過去を忘却したフリをしたのだ。

 人間の娘よ。我が屈辱をよくぞ暴いてみせた』


 自分の犯した過ちに気づいたアヴェニールの背筋が凍る。


『褒美に痛みすらなく葬ってやろうぞ』


 ドラゴンはそう宣言すると呼気を吸う。

 そして次の瞬間、あたりの木々もろとも紅蓮の炎でなぎ払った。


 その炎を浴びればアヴェニールは瞬時に焼き殺され、確かに痛みすら感じる暇もなかったろう。

 だが、そうはならなかった。


 アヴェニールが炎に包まれる直前、レーヴェストが竜との間に割って入ったのだ。

 とっさに『八頭蛇ヤマタノオロチ』を引き抜き、その八枚の刃で炎を拡散させる。

 しかし、一度はアヴェニールの身を守ったものの、その薄い刃は高温に耐えきれず融解してしまう。


「苦労して連れてきた客人を、みすみす殺させすわけにはいかん」


 背中に流れる冷たい汗を感じながら竜と対峙するレーヴェスト。

 彼女の力量をもってしても、強靭な肉体を持ち、魔法すらも使いこなすドラゴンを相手に勝利するのは至難の業だ。

 それもアヴェニールという使命のため、盲目の少女を守らなければならない。


『黙っていれば見逃してやったものを』

ダウト

 ドラゴンの脅すような言葉をアヴェニールが嘘と切り捨てる。


 空気を読まぬアヴェニールを見て、レーヴェストは苦笑する。

 そのことによって彼女を縛っていた緊張の糸がわずかに緩んだ。


「これを使って隠れていなさい」

 レーヴェストは『混沌の化身カオス・チェンジ』をアヴェニールに返すと、再び竜と向き合う。


「さきほどの話から察するに、人間をひどく恨んでいるようだな。

 それならばそう言えばいいものを、人外でありながら人間のように体裁を気にするから要らん恥をかくのだ。

 だが、安心しろ。

 その人間への恨みは、このレーヴェストが忘れさせてやろう、死をもってな!」


 レーヴェストの言葉に逆鱗を貫かれたドラゴンは、羽を広げ空高く舞い上がる。

 そして、再びブレスを吐き出そうと、大きく息を吸い込んだ。

 すでに『八頭竜』は使用できない。

 レーヴェストはとっさに魔術による防御を敢行する。


「(果たして今の体力であの術を制御できるだろうか。いや生きて国に戻るためにもやりきらねばならん)」


 ためらいを打ち消し、レーヴェストが手早く服の隙間から魔術文字に触れる。

 そして、いくつかの手順を踏むと、その文字がチカチカと明滅を始める。


 竜はトールよりも強靱な肉体を持っていて、スミよりも強い魔力を持っている。

 あのふたりの長所をかね合わせられているのは厄介だ。


 それでもレーヴェストは怯みはしなかった。

 自らの使命を果たすために、自らが扱える秘術のなかで最強の魔術を発動させる。


「我が身に来たれ災厄の力『暗黒装衣ダーククロス』!」


 発動した魔術は、レーヴェストの身体に刻まれた魔術文字の形を変える。

 そして、その先端がレーヴェストの身体を離れ、黒い触手なり蠢くと、飛翔する竜の体を捕まえる。


 闇色の触手は恐るべき力をもって、竜を大地へ引きずり落し縛りつけた。

 竜は強引に炎を吐こうとするが、口を触手で押さえられてはそれもできない。


「口の力というのは、噛みしめる時は強いものだが、開くときはそれほどでもない」


『なんだ、人間風情がこれほどの魔力を。何故だ!』

 口を縛られながらも、ドラゴンのうめきは山々の間に響き渡る。


「魔力の高さにあぐらをかいている貴様などに、人間の術を理解できるわけがない」


 レーヴェストから産み出された闇の触手は更に力を増し、ドラゴンの巨体を締め付ける。


『この力はまるで強欲……』

 悲鳴を上げる竜に触手は更なる力を込める。


「我が父より授かりし力、とくと見よ!」


 レーヴェストが刀を抜き、竜へ向かい跳躍する。

 雷のごとき速度で眼前に迫ると、全体重を魔剣に載せ眉間を貫く。


「死ねぇ!」

 突き刺した刃にさらなる力を込めた。


 竜が断末魔を上げると、大きな振動と共に大地へと崩れ落ちた。

 すると、まるで相打ちのように『確殺カース』が中ほどで折れる。


「勝った……だが……」


 二本の魔剣と封印の水晶、さらにトールとの戦いで精神抑制の仮面も破壊されている。

 代償の大きさに表情を歪めた。


 さらに強力な術を行使した反動が、レーヴェストの視界を揺らす。

「私は…まだ倒れるわけにはいかない……」


 倒れることを拒もうとするレーヴェストであったが、その意識は深い闇から逃れることはできなかった。

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