第5話(前)
――数日後
「なぁ、そろそろ機嫌なおせよー」
トールが機嫌をとろうとアヴェニールに声をかけるが、彼女は不機嫌そうにしたままそれに応えない。
屋敷にはスミは居らずふたりだけである。
スミが拾ってきた荷物から着替えを手に入れたアヴェニールは、装飾の少ない簡素なものを選んで着ている。
「(ボタンがとれたって、つけてくれる人がいるわけじゃないしね)」
彼女は自分でできる範囲を模索し、出来ることを見極めることによって、少しずつ自分の仕事を増やしていった。
彼女が自分ひとりでできることは限られていたが、努力を続けることで着実にできることを増やしている。
いまでは杖なしで屋敷内をひとりで歩けるようにもなっていた。
ひとりのときには失敗をしても助けてくれる者はいない。
けれど、そのことが彼女に繰り返し練習させる切っ掛けとなった。
街で使用人に助けられ生活していた頃は転ぶこともない生活だったが、転んでも自分の力で立ち上がる生活も悪くないと思っている。
身体に生傷が増え、いまだおぼつかないことも多いが、それでも彼女はこれまで感じたことのない達成感を得ていた。
「なぁ~ったらよぉ~」
そんな彼女の姿勢を気にもとめず、トールはしつこくアヴェニールに声をかける。
アヴェニールはトールの声を聞いても、初めて出会ったときのように眉をつり上げ無視を決め込んでいる。
自分を元気づけようとしたスミを、トールはくだらない勘違いで殺しかけたのだ。
彼女にはそのことを簡単に許すことはできなかった。当然、殺されかけた本人も許していない。
そんな訳で、ふたりから同時に冷たくされると、さすがのトールにも耐え難いものがあった。
スミとアヴェニールで会話をしていても、そこへトールがやってくるとそれが途切れるのだ。
彼としてみれば陰口を言われているのではないかと不安になる。
あるいは、自分を追い出しふたりで仲良くしようと相談しているのかもとネガティブな想像をしてしまう。
「そうだ、こないだ大蛇に変身したときに壊したペンダント、直しておいてやったぞ」
言ってペンダントをズボンから取り出すが、それは上手く直せてなかった。
彼女につけようとする直前に、留め具がまた外れ落ちてしまう。
それを慌てて隠しながら誤魔化す。
「あっ、いや、ペンダントの修理はまだ終わってないんだった。
こんど直しておいてやるよ。もう少し待っててくれ」
なにも応えないアヴェニールに、トールはなおも声をかける。
「なっなっ、肩凝ってないか、おっぱいでかいと肩が凝るんだろ?
オデ様がしっかりもんでやるぞ。
なんだったら直接そっちをもんでやってもいいぞ、なんちってな~」
しだいにトールの口調は必死になるが、声を掛けられる方は的外れな気の使い方に気分を悪くするだけだった。
「いいかげんにして」
無視を諦めたアヴェニールが不愉快さを声に乗せ吐き出す。
トールが来るとスミが席を外すせいで、その相手はアヴェニールへと集中する。その分彼女にかかるストレスも相当な量になっていた。
「そりゃ、俺の台詞だって。いい加減機嫌なおせよ」
「だったら、少しは態度で示したらどうなの!」
「だから、こうやって謝ってるだろ」
「あんたのやってることは、的外れなのよ!」
アヴェニールは唐突に立ち上がると、その場で服を脱ぎ始めた。
そして、左手にはめられた指輪を掲げ、
「『トール様は世界一』死ね!!」
命令語を唱え、その身を変化させる。
アヴェニールは飛膜のついた翼をもつ、
「畜生、目が見えないとこでも、飛べる蝙蝠じゃねーか」
トールは慌ててズボンをあさり、天使の羽を模した魔具をとりだす。
「じゃじゃーん、『
ベルトのついた羽をリュックのように背負うと、パタパタと羽ばたきだす。
トールの身体と比較すると、翼はとても小さかったが、それでも彼の身体を浮き上がらせるのに不都合はなかった。
トールはアヴェニールを追って窓から外へ出ようとする。しかし、コントロールが上手くいかずに窓枠に頭をぶつける。
「あいだ」
それでもめげることなく、トールは逃げるアヴェニールの後を追い薄墨色の木と木の間を追いかける。
その後、何度も木にぶつかりながらもトールはアヴェニールを追う。
やがて、アヴェニールは洞窟の中へと逃げ込み、トールも追いかけてその中へと入った。
洞窟内は暗かったが、蝙蝠に変身しているアヴェニールには外と同じように、障害物を避けて飛ぶ。
トールも陽光を嫌う岩鬼人であるため暗闇をものともしない。
もっとも『天使の羽』のコントロールが悪いため、ここでもあちこちぶつかることになってはいたが。
奥に進んで行くと地底湖がひろがっていた。
どこからか光が射し込んでいるのか、ぼんやりと湖面が光っている。
指輪の効果が切れたのだろう、変身の解けたアヴェニールが背の高い岩の上に座っていた。
湖面に反射するわずかな光が少女の裸体を照らしている。下方からの光は顔に影をつくり、彼女の表情を隠していた。
「本当にしつこいわね。
どうして、私をそこまでつけまわすの」
大きなトールを見下ろせるほどの位置で、アヴェニールが尋ねる。
「いや、だってよう……」
トールは言い訳をしつつも、なぜ自分がここまで相手をなだめなくてはならないのか疑問に感じていた。
彼はその性格から、他人から嫌われることに馴れている。
いままでそれを気に病んだことはなかった。
確かに三人でいて、自分だけがのけ者にされるのは面白くないが、それとていつまでも続くとは思えない。
いずれ許されることならば、ここまで必死になる必要はないのではないか。
そう考えると、弁解の言葉は止まってしまった。
◆
実のところ、アヴェニールはトールが思っているほど怒ってはいなかった。
いや、怒ってはいるのだが、怒りの根元がどこにあるのか自分でも上手く把握できていないのだ。
スミがトールに襲われた件には、彼女の知らない出来事が関係していることには気付いている。
そのせいでトールもあれほど怒っていたのだろうことも。
それにやはりあの事故は、自分がスミに触れたせいで起こったのではないかという不安が強かった。
そう考えるとトールへの仕打ちは八つ当たりにしか過ぎない。
それでも自分に優しくしてくれたスミを、直接傷つけたトールを無条件で許す気にはなれない。
だが、自分だって何度もトールを殺しかけている。
一方的にトールだけを責めるのは理不尽だとは思うものの、それでも彼女の腹の虫は収まらなかった。
「(私はいったい何に腹を立てているんだろう?)」
アヴェニールは心の内で疑問を言語化する。
そもそも自分は何が原因で、灰色の
いつまでそれを続けられるのだろうか。
ここでの生活を気に入りつつある彼女は漠然と不安に思った。
自分がここにいるのはトモの事故が原因だ。
しかし、父親の指示とはいえ、どうして自分が危険な森に入ってまで旅に出なければならなかったのか。
遠い街に呼び出され、そこでいつも街でしているように商談に立ち会うと聞かされていたが、父親は目の見えぬ自分が旅することを危険だとは考えなかったのか。
ゴツゴツと揺れる馬車の旅は快適にはほど遠かったし、山道を抜けるために徒歩で歩くことになった。
それを楽しめたのは足に豆ができるまでの僅かな間だけだった。
そして、山の中ではひとりで待たされることになり、トールとスミと出会うまで、獣の声や木々の葉が擦れる音に脅えていた。
もし、彼らが知能の低い魔物であれば自分の命はなかったろう。
こころない人間と会っても危なかったにちがいない。
何者と出会えなければ、そのまま飢え死にしていた。
自分が今生きているのは、ひとえに幸運だからにすぎない。
だが、自分の幸運は常に他者の不運を踏み台にしている。
……………………………………。
『捨てられたんじゃね?』
不意にトールの言葉が脳裏をよぎった。
「(そんなハズはない、ないハズよ)」
自分に言い聞かせるが、疑心暗鬼に捕らわれた心で、それを信じることはできなかった。
遠い街に呼び出したのは本当に父だったのだろうか。
父に呼び出されたと人づてで聞いただけで、それを自分で確認したわけではない。
対峙した相手の嘘は見抜けても、騙された相手の言葉に間違いがあるかは彼女にもわからない。
つまり、父親でなくても、誰かが自分を亡き者にしようと、彼女を灰色の森へと誘ったのかも知れない。トモという使用人を道連れにして。
だとすればそれは誰だろう。
店の者だろうか。それとも自分に関わり死んでしまった者の縁者だろうか。
商売で嘘を見抜かれた相手が逆恨みをしたのかも知れない。
少女の中の不安は考えるほどに増幅していく。
それまでしっかりとしていたハズの岩がグラグラと揺れているようだった。
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