その日彼女は童貞だった
烏川 ハル
童貞男(前編)
昔、こんな都市伝説があった。
女性経験のないまま30歳を迎えると男は魔法使いになれる、というものだ。
初めて聞いた時、俺は「なんて馬鹿な話だろう」と呆れた。魔法使いなんて実在するはずがない。そんなものは漫画やアニメだけの概念、と思ったからだ。
それに、魔法使いほどではないにしろ、女性経験のないまま30歳を迎えるという話も、かなり非現実的。当時中学生だった俺は、そう
この噂の変形バージョンなのだろうか。「女性経験のないまま30歳を迎えると異世界転生できる。転生先で女性を経験できる」という話を耳にした頃。
俺は、29歳になっていた。
まさに女性経験のない、正真正銘の童貞状態で。
そして、そのまま女性とお付き合いする機会もなく、30歳となり……。
誕生日の翌日。
交通事故で、天に召された。
――――――――――――
「ここは……?」
ゆっくりと目を開けた俺は、思いっきり戸惑っていた。
寝起きで朦朧としている、というのとは少し違う。意識を失う前の状況は、はっきりと覚えている。
交差点で横断歩道を渡っていたら、横から飛び出してきた黒い高級車。車種には疎い俺でも「いかにも外車」と感じられる車だった。
はねられて、空高く舞い、地面に叩きつけられた俺。激しい痛みと共に、グシャッと潰れる音も聞こえたような気がする。どう考えても助からない、それだけ理解したところで、意識が暗転した。
それなのに。
「……なぜ生きている?」
俺は、見慣れぬベッドに横たわっていた。
天井は普通に、木造家屋の私室という感じ。病院とか霊安室とか、そういう場所とも違う。
室内の調度品――椅子やテーブル、棚など――には、やはり見慣れぬ雰囲気が漂っていた。中世ヨーロッパを舞台にした海外ドラマに、こんな感じの部屋が出てきただろうか。
いや中世ヨーロッパ風といえば、海外ドラマよりも、むしろ馴染みがあるのは深夜アニメだ。それも、ある種の WEB小説を原作としたアニメ。そうしたWEB小説のテーマは異世界転生であり……。
「まさか……!」
ここで俺は、例の噂を思い出す。「女性経験のないまま30歳を迎えると異世界転生できる。転生先で女性を経験できる」というやつだ。
同時に。
室内を見回した際、大きな違和感があったことに気づく。異世界とか転生とかの件とは違うレベルの違和感。見えてはいけないものが視界に入ったような気がするのだが……。
あらためて、そちらに視線を向ける。
つまり、自分の体へ。
すると、今度は、はっきりと見えてきた。
まるで小山のように盛り上がった、
「そういえば、昔の有名人が言ってたっけ。『二つの胸の膨らみがあれば何でもできる』って。確かメグ何とかって名前のプロレスラーで……」
と、支離滅裂な言葉が口から漏れた後。
少しの時間を必要としたが、一応は混乱状態から脱して。
ようやく事態を把握した俺は、大声で叫んでいた。
「『転生先で女性を経験できる』って、こういう意味かよ! そんな女性経験、いらねーよ!」
そう。
転生した俺は、女性になっていたのだ!
「転生したら女の子だった件……」
現状認識の意味で、あらためて呟いてから。
俺はベッドから出て、再度、部屋の様子を観察する。
壁際に――ベッドに寝たままでは見えなかった位置に――、大きな鏡があるの発見。いわゆる姿見というやつで、俺の全身像が映っていた。
ちゃんと見ようと思って近づくと、鏡面にピンク色の文字が浮かび上がってくる。異世界ファンタジーの世界だというのであれば、魔法の仕掛けか何かだろうか。今の俺の肉体が持つ魔力に反応したのだろうか。
残念ながら、日本の文字でもアルファベットでもない。ギリシャ文字とかロシア文字とか、どうせ読めない外国語とも違う。
長さの違う縦横の棒がいくつかと、三つ以内の円で、一つの文字を形成しているらしい。そんな異世界文字が数十文字、鏡に浮かんでいる。
正直、鏡を鏡として使う上では邪魔でしかないのだが……。
それでも、だいたいの姿を確認するには十分だった。
今の俺は、金髪碧眼の美少女。深夜アニメに出てくる画一的な美少女キャラとは違い、頬のソバカスと、少し広めのおでこがチャーミングな感じ。髪の長さは肩くらいで、左右ともクルクルと巻き毛になっており、こちらはいかにもアニメ的な金髪縦ロールだった。
白いブラウスと緑のロングスカートに包まれたボディは、全体的にスラリとしており、でもバストだけは大きく存在を主張している。スイカとかメロンとか、そんな言葉が頭に浮かぶほどだった。
「いや、スタイルの話をするのであれば……」
服の上からでは、正確な体型はわからない!
そう気づいた俺は、
「まず服を脱ぎます」
と、どこかで聞いたようなフレーズを口にしてみた。
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