夜道迷子
斧間徒平
夜道迷子
男は
男は、毎日、
だが、月に一度、家を出るその足は
郊外の宿に狭い部屋を取り、女をくまなく愛でる。
その女は、
時折、女は泣いた。
貴方の臨終の間際、その枕元に私の席はない。それどころか、貴方の死を知ることすら敵わないかも知れない。
そう言って、狭い部屋の中で一つになりながら静かに涙を溢れさせた。
人の世はさまざまな形の愛に満ちていたが、不義の愛には、今もなお居場所はなかった。
故に、女も男も、この逢瀬が永遠に続くと信じた。否、信じようとした。
ある夜、男は唐突に自らの死を知った。
夢の中で丘の上に立ち、自らの名前が彫られた
「せめて女に私の死を伝えたい」
「今、
「それでも構わない。光を失おうとも最後に女の顔を見れるなら」
「亡者は
「例えそうでも、構わない」
しからば、と稚児は道を指し示した。人ひとり分ほどの幅の道が、針先ほどに極まる遠くに薄い光が見え、男は歩き出した。
夢の外では、男の身体はもう冷たくなっていた。寝台に同衾していた妻子に看取られることもない、不意の卒中であった。
光を手繰り寄せるように、男はゆっくりと歩き続けた。道を外れれば
次第に光が近づき、その眩しさに男は思わず目を細めた。
光を潜り抜け目を開けると、そこはほの暗い寝室であった。寝台には、愛した女が母の顔で眠っている。傍らには夫、腕には赤児を抱いている。
男は躊躇した。このまま忘れ去られるのが良いのではないか。記憶に残すことは、まるで呪いに似ている。
だが、最後に望みが出た。
言うや否や、男の目からは、はた、とあらゆる光が失われ、そして天地左右の別もかき消えた。
あれからどれだけの時間が経ったのか。
これは不義の愛を交わした罰なのだろうか、それとも不義の愛に
終わりのない永い放浪の果て、無明を探る触覚は視覚となり、嗅覚は味覚となり、聴覚は触覚となっていた。
五感は曖昧模糊となって一つとなり、さらに数えきれぬほどの歩みを進めた後、男は、ふと夜に何かを見出した。夜にひとりぼっちになって初めてのことであった。
そろり指先で救い上げると、一雫の涙が聞こえてきた。過ぎし日に腕の中に抱いた涙だった。それは、今もそこから静かに溢れ続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます