今生結の遺言書

女良 息子

今生結の遺言書

 「どんなに困難な問題に直面しても解決できるくらい頭のいい子に育ちますように」という願いが込められた『飾森しきもり かい』という名前を両親から授かった私は、その期待を裏切ることなく勉強に励み、生まれて十年経った今ではみんなよりちょっとだけ頭がよくなっていた。

 ううん、ちょっとどころではない。

 かなり頭がいい。

 円の面積の求め方が分かるし、『人工衛星』を漢字で書ける。

 同学年はもちろんのこと、そんじょそこらの六年生が相手でも、学力で負けることはないはずだ。

 なんなら中学生にも勝てるかも。

 将来は東大に入れたりして。

 いやいやハーバードだって夢じゃない。

 自室にて、今日の帰りのホームルームで返ってきた全国学力模試の結果を眺めながら己の学力の高さに浮かれていた私だったが、その陽気な気分は一本の電話に阻害された。

 画面に映っているのは相手の番号だけであり、名前は無い。つまり電話帳に登録されていない相手からの着信だ。

 怪しみながら通話ボタンをタップする。


「責任を取ってくれ」


 挨拶も名乗りもなく開口一番に言い放たれたのは、そんな要求だった。

 イタズラ電話か間違い電話だと確信し、電話を切ろうとするが、直前で指が止まる。

 何故なら聞き覚えがあったからだ──聞くだけではらわたが煮えくり返りそうになる、その声に。


「もしかして今生こんじょうさん?」


 今生さん──今生 ゆい

 クラスメートだ。

 そして私の天敵でもある。


「どうして私の電話番号を知ってるの?」

「おかしなことを聞くなあ。わたしは算数の天才なんだぜ? 数式をちょちょいと応用すれば、飾森さんのスマートフォンに繋がる十一桁の数列を導き出すことくらい余裕に決まっているだろう」

「んなことできるわけあるかっ!」


 と突っ込んだが、あながち冗談と一蹴できない謎の説得力があるのも確かだった。

 何せ、今生結だ──自他共に認める算数の天才である。

 突出した計算能力を持っており、その能力には大人でも敵わないほどだ。担任の山岡先生が今生さんを試そうと大学の参考書から問題を出し、ものの数分で解かれた事件は記憶に新しい。

 悔しいことに、私でさえ算数科目で彼女に泥を付けたことは一度もない。とはいえ、それ以外の全教科できっちり勝利を収めているので、総合で見た天才の称号は私のものと言っていいだろう。


「……で、ええと、『責任を取ってくれ』だっけ? それってどういう意味?」

「実は近いうちに自殺しようと思っていてね」


 座っていた椅子から転がり落ちた。


「は? え。ええ!? 自殺? 自殺ってあの……自分で自分を殺すことでしょ!? 医者が患者の病態を診ることや、イエス・キリストの間違いじゃなくて!?」

「診察でなければジーザスでもない、自殺だ」


 死を決意した人間とは思えない飄々とした声で今生さんは答える。


「どうしたんだいそんなに慌てて。飾森さんは私のことが嫌いなんだろう? むしろここは喜ぶ場面じゃないのかな」


 そりゃ嫌いだけども。

 私より頭がいいし。話す時の距離感がおかしいし。

 だけどそこで「はい貴方のおっしゃる通り、私は貴方が嫌いです」と答えると、今生さんの推測を肯定したみたいで癪に障るので、


「いやあ、別に嫌いってわけではないけど……」


 と誤魔化した。

 

「誤魔化しても無駄だよ。飾森さんが私を敵視しているのは、周知の事実なんだ」


 看破された。


「ごほん」気まずさから咳ばらいをひとつ。「仮に私が今生さんを嫌っているとして、それがどうして最初の一言に繋がるの? もしかして、私ひとりに嫌われただけで死を決意したとか? だから責任を取れと? ……だとしたら案外メンタルが弱いのね、あなた」

「そんなことはない。私が自殺する理由に飾森さんは一切関わってないさ。だけどね、周囲の人たちはどう思うかな?」

「…………」

「『周知の事実』を知っている彼らはこう思うだろうね──『算数で勝てないからって暴力的手段で潰しにいったなんて、飾森さんサイテー!』」


 普段の落ち着いた口調からは考えられないくらい甲高い声で、架空の誰かの声真似をする今生さん。


「つまり自殺ではなく他殺──『飾森解が今生結を殺した』と疑うと?」

「そういうこと」

「あほらしい」

「まったくだ、天才の私たちでは理解しかねる愚か極まりない勘違いだよ。しかし、世間の多くの占めているのは、そういう考え方をする人間なのさ──その可能性に先ほど思い至ってね、こうして電話を掛けた次第だよ」

「…………」

 

 それは困るなあ。

 かなり困る。

 今生さんが死ぬこと自体は別にどうでもいいし、寧ろ目の上のたんこぶが消えるから得しかないくらいなんだけど、それで私にあらぬ悪評が付くのは避けたいところだ。


「あ、そうだ。ひょっとすれば『私の死に飾森さんは一切関係ありません』と記した私直筆の遺言書を残せば、怪しまれないかもしれないぜ」

「そんなことしたらますます怪しまれる気がする……」


 名指しで否定してるのが露骨すぎるし。 


「そもそも自殺をしないという選択肢は今生さんにないの?」「ない」


 改行する間もない即答で返された。余程頑固な希死念慮を持っているらしい。

 うーん。どうしたものか。

 肩と耳で携帯電話を挟み、腕を組みながら考え込む。

 考えろ考えろ。ここで打開策を思いつかなくては解の名折れである。

 しかし私が閃きを得る前に、今生さんが口を開いた。   


「というわけで、現時点で私が自殺すると飾森さんにあらぬ風評被害が及んでしまうかもしれないんだ。そんな事態は私としても望ましくない。だから、責任を取ってくれ──私を嫌った責任を取ってくれよ」


 こうして話は一番最初のセリフに戻ったのだった。


「別に責任を取るといっても、そう難しい話じゃない。ようは周囲が抱いている『飾森解は今生結を憎悪している』というイメージを払拭すればいいんだ。自分で蒔いた種を自分で排除するだけのことさ──その後で私が死んでも、誰も君を疑わないだろう?」

「ええ、そうなるわね……ん? それってつまり──」

「そう」


 私たちが仲良くしている姿を周囲に見せつけてやればいいんだよ。

 今生はそう言い切った。


「…………」

「なんだいその嫌そうな顔は」

「電話越しで相手の表情が分かるはずないでしょ!?」

「数式で大体わかる」

「適当ぬかすなっ!」


 いや、まあ、嫌そうな顔はめちゃくちゃしているんだけどね。

 でも正解ってことにしたらムカつくので。

 ここ数分間の私の発言は、今生結への逆張り精神で構成されているのかもしれない。 


「期限は……そうだね、まずは一ヶ月でどうだろう。それで飾森さんと私の関係が良好だと思われるようになっていれば、それでおしまい。私は心置きなく死ねるってわけだ」

「……分かった。それでいい」


 渋々承諾する。


「それじゃあ明日から始めようか。私が死ぬまでよろしく頼むよ」


 通話はそこで終わった。

 肩を落とし、ため息を吐く──ため息どころか反吐が出そうになる案件だが、それでも今後の私の人生にいらぬ汚点が付くより遥かにマシだ。 

 …………。

 それにしても天敵と仲良くしなきゃいけないなんて。

 長い一ヶ月になりそうだなあ。



 八年後。

 誰でも知っている大学超有名学科選ばれし者のみが入れるコースに入学した私は、講堂の舞台の上で新入生代表挨拶をしている今生結を見ながら親指の爪を噛んでいた。

 がじがじがじ。

 受験の結果的に主席は絶対私の筈なのに、なんでアイツが新入生を代表しているんだ……!

 って、ああ……なんか高校在学中にリーマンだかオーエルだかアルバイトだかの数学問題を証明したことで世界的な有名人になったからだっけ?

 クソッ。

 そもそもどうして未だに生きているんだ。

 希死念慮はどうした希死念慮は。

 お願いだから死んでくれ。

 ……いや。聞けば、今も希死念慮自体はあるらしい(本人曰く「今すぐにでも喉を掻っ切ってやりたいくらいには死を望んでいるよ」)けど、八年経っても未だに周囲から『飾森解は今生結を親の仇の如く憎んでいるらしい』という風評が絶えない。それどころか、私がこの大学を選んだことすら『今生結を追って入学した』とストーカー紛いな噂を立てられる始末だ。

 いったい誰だよそんな噂を立てている奴は。少なくとも、絶対仲良くなれそうにない性格をしているのは確実だろう。

 そんな状況で自殺できるはずもなく、今日も今生結はのうのうと生きてやがるのだ。

 「現時点で相当な風評被害を負っているのでは? これ以上噂が酷くなる前に死なせた方がいいのでは? いっそこの手で引導を渡してやろうか」という危険思想が浮かんだ経験は数えきれないが、コンコルド効果めいた心理で今日もズルズルと『今生結と仲良し』を演じているわけである。

 惰性にして偽りの友情だ。

 と──そうこうしている間に今上結のスピーチが終わった。好評だったようで、彼女が頭を下げると同時に、会場中で拍手が沸き起こり、溢れんばかりの称賛が贈られた。私の手は微動だにしない。彼女に送るのはほんのちょっぴりの友情(偽)とありったけの憎悪と劣等感だけと決めているからだ。

 やれやれ。

 どうすればアイツが心置きなく死ねる状況を作れるのか。

 この問題はもうしばらく解けそうにない。

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