第73話:結婚記念日
青い月が真っ暗な空に浮かんでいる。
これから太っていく月はまだうっすらと紫色を残していた。
吹く風はいつもと同じく少し冷たい。肩掛けをはおりなおして雲の隙間から差しこむ月の光を浴びていた。
テラスにいても背後からにぎやかな声が聞こえてくる。みんな楽しそうでなによりだよ。
今日は牛の月の二日。
明日は魔王さまとの結婚杵日兼、わたしの誕生日なんだけど……、だからこそ? 前夜祭だー! とみんなで騒いでいる。
身内でささやかに祝うだけのはずだったのに、どうしてこうなった。
ホールには招待した覚えもない領内外からのお客さまがいらしている。新年祭再び、といった具合だ。
魔王さまが世間話で「牛の月の三日は結婚記念日で」と言っていたことが原因らしく、すまないこんなことになるとは、と謝られてしまった。
いえいえ魔王さまのせいじゃないですって。 招待状もなしに人の城に押しかけてくるほうが悪いんです。
そんな訳で今回断りもなく押しかけて来てくださったお客さまたちには厳しく注意させていただいた。
招待されていないのに押しかけて来ないこと。思いつきで来るにしても先ぶれくらいは出すこと。
でないと料理も寝床も用意しませんから!
そう宣言しておいたので次からは気をつけてくれると思う。お客さまのたいはんが料理目当てでいらしていたので。
そんなに人界風の味付けが気に入ったんですね。嬉しいけれど、もう少しこっちの事情も考えていただけるともっと嬉しいです。料理番と食材採集係が悲鳴を上げてました。
それを説明したら「ガハハハ任せろ!」って勇ましく飛び出して行って食材を取ってきてくれる人もいたけれど、あなたはお客さまなので城にいてください。防護の森を荒らされたバルタザールさんが本気で怒ってました。
食材を持ち寄ってくれた人もいたけれど、事前連絡もしてくださいね? ありがたいのだけれど、食材をさばくための準備とか保管場所の確保とかがありますからね?
忙しすぎていつも笑顔のマルガさんでさえ口元が引きつっていたし、問答無用でお客さまの付き人をらち……協力してもらって料理を手伝わせていると聞いた。ごしゅうしょうさまです。帰るころには立派な料理人になれていることだろう。
アルバンさんは客室の準備でてんてこ舞いだったらしいし、今も騒ぎすぎて興奮したお客さまが備品や壁を壊さないか気をもんでいると思う。
わたしといえば、魔王さまとエルフィーとあいさつ回りをしていたのだけれど、そろそろ休憩が必要だろうとテラスへ送り出されたところだった。
お酒類は一切出していないのだけれど、ホールの空気に酔い始めたお客さまが出てきたので避難させる意味もあったのだと思う。
そんな訳で魔王さまが迎えに来てくれるまで待機しているわたしなのであった。
ちなみにエンメルガルトさまはお祝いの手紙をくださった。機会があればまた伺いたいと言葉を添えて。
さすがエンメルガルトさま。できるおとなの人って感じ。わたしもあんなすてきな人になりたいな。
わずかな静けさに包まれながらあたたかなミルクを飲んでいると、にぎやかな人の声が一瞬大きくなって、またすぐに小さくなった。
振り返るとやっぱり魔王さまがいた。
「待たせてすまない」
「そんなに待ってませんよ」
少しばかり苦笑したふうな魔王さまの手がわたしにほっぺに伸びる。ぷにりと肉きゅうがほっぺを押した。
「こんなに冷えているのに?」
「魔王さまのことを考えていたので時間は気にならなかったんです。それに魔王さまがあたたかいのでだいじょぶです」
「そうか」
魔王さまがわたしのマグカップを空間魔術でしまう。それからわたしを抱き上げた。
魔王さま、照れてますね? わたしも負けないくらい照れてますけども!
顔をうずめた魔王さまの毛並みはいつも通りふわふわのふかふかで、ほのかにさわやかな香りがした。試しに作ってみた香水をつけてくれているのだ。
魔王さまにならもっとこう……ほわん、とした香りを足してもいいかもしれない。
魔王さまがわたしのほっぺにキスをした。
「リオネッサ、結婚記念日おめでとう。私と結婚してくれてありがとう」
目を細めてわたしのほおをなでる。嬉しそう。わたしだって嬉しい。
「魔王さまも結婚記念日おめでとうございます」
わたしは隠し持っていたプレゼントを取り出した。
「開けても?」
「もちろんです」
ウキウキと、けれどとても慎重に包みを開けた魔王さまがちょっとだけ目を見開いた。すぐもとに戻ったけれど。
わたしが送ったのは普段使いできるタイリボンだ。魔王さまの赤地のリボンに魔王さまの角色とよく似た糸を使って魔王さまの紋章を刺しゅうした。
布も糸も特別製で、これから何百年ももつものだ。
頼んだらびみょ~な顔をしたバルタザールさんが用意してくれた。
「私からもプレゼントだ。受け取ってくれ」
「ありがとうございます」
渡された小さな箱には髪留めが入っていた。
髪留めにはまっている石は魔王さまの瞳と同じ、きれいな青色。奥のほうでちかちかと光が瞬いていた。
その髪留めをつけてくれながら魔王さまは気まずげに言う。
「髪を伸ばしているようだったから贈ったのだが……」
勘違いだったらすまない、と言われる前にありがとうございます! とお礼を言った。
「ちょうど髪がじゃまになってきていたので嬉しいです」
「それならよかった」
ほっと胸をなでおろした魔王さまはそれから、ともうひとつ、今度は小さな箱を取り出した。
「十七歳の誕生日おめでとう」
魔王さまが跪き、開いた小箱の中身――指輪をわたしの左手の薬指にはめた。
「生まれてきてくれてありがとう。健やかに育ってくれてありがとう。私と出会ってくれてありがとう。リオネッサ。愛しの君。君の今まで、全てに感謝を。■■■■■■■■」
最後の一言だけは理解のできない魔界語だったけれど、わたしは感動してぼろぼろ泣いた。人界では結婚するときに指輪を贈るものだと話したことを覚えていてくれたなんて。
指輪にもきれいな青色の石がはまっていた。
何度も何度もお礼を言って、わたしの背をなでてくれていた魔王さまがいつまでも泣き止まないわたしにとうとうおろおろし始めたころ、ようやくわたしの涙は止まった。
目元が真っ赤にはれてしまい、会う人合う人に心配されてしまったけれど、わたしはひとり上機嫌だった。
今年の魔王さまの誕生日は期待していてくださいね!
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