第74話:修業出立前

 どんちゃん騒ぎになってしまったけれど、結婚記念日は無事に終わった。

 魔王さまからもらった髪飾りも指輪も毎日身に着けてますけどなーにーかー? 眺めるだけでも笑うのが止まらなくなってしまう。うへへへへ。


「……王妃様」

「うひゃい!」


 レギーナさんに咳払いされて我に返った。

 そうでした。薬指をながめてにやにやしている場合じゃなかった。


「ごほん。すみません。少しぼーっとしてました」


 気を取り直して書類に目を通す。

 人界に行く人たちの荷物の目録だ。趣味趣向や種族によって必需品が違ってくるので持ち物は各自に任されたけれど、人界に持ち込んでいいかどうかの判断はわたしに任された。

 カチヤさんとホルガーさんの荷物は着替えや櫛などの日用品がきちんとそろっていて、なんの問題もなかった。危険物もなくいたって常識の範囲内だ。

 それに比べてハイダさん……。

 持って行くものが料理道具と作業着だけって……。私服とか、裁縫道具とか、もう少し持っていくものありますよね? そりゃあ、修業しに行くんだから持ち物としては間違ってないんだけれども……。


「レギーナさん、ホルガーさんに申し訳ないのですがハイダさんの荷造りを監督するよう言ってください。ほんとに、ほんとに申し訳ないのですが。

 ホルガーさんの仕事は他の人に代行してもらってくださいね」

「はい。そのように」


 最近のホルガーさんは悟ってしまったのか鉄拳制裁も辞さないようになってきている。

 荷作りなどをせずに、すきあらばお菓子を作りまくるハイダさんを引きずって自室に放り込んでは、荷造りをするよう言っていたホルガーさんにこれ以上の負担をかけるのは心苦しいのだけれど、先方に迷惑をかけるわけにもいかない。仕方がないと言えば仕方がないのだけれど。

 せめてお給料をあげさせてください……とホルガーさんに相談したら給料よりも心の平穏をください、と虚ろな目をして言われてしまった。

 お菓子を前にしたハイダさんはちょっとやそっとじゃ止まらないものね……。

 出発が近づくにつれ、日に日に憔悴していくホルガーさんを見る度にハイダさんの人界行きを見直すべきなのではないかという考えが頭をよぎったりもした。たしかに城で一番の菓子職にだけれど、一番お菓子に狂ってるのもハイダさんだから。

 今さら取りやめるなんてことになったら、ハイダさんがどんな行動に出るかわかったものじゃないから、止めないけれども。

 せいぜいわたしにできるのは、安眠できるようにふかふかの抱き枕をプレゼントするくらいだった。

 服飾部の作った丈夫な布なので簡単に裂けたりせず、うっかり人化が解けているときに抱き着いても安心だ。

 それを聞いたバルタザールさんに、机仕事中にイスに座ったままでも眠れるような抱き枕を作れないか聞かれた。

 机で寝ないでベッドで寝て欲しかったので断ったけれど、その内自分で設計しだしそう。なにがバルタザールさんにそこまでさせるのだろう。

 なまじ体力があるから、目的のために自分の身体を二の次にしてしまうのが魔界人の特徴なんだろうか。うらやましいような、そうでもないような。

 お茶を飲みながら一息ついていると荒々しくドアが開いてホルガーさんが入ってきた。レギーナさんが「静かに!」と声を上げる。

 珍しさと大きな音にびっくりしているとげっそりしたホルガーさんが力なく頭を下げた。


「申し訳ございません、王妃様……」

「え、ええ。驚きましたけれど、だいじょぶです。それよりも、なにかあったのですね?」


 こっくり、とホルガーさんは深く、深くうなずいた。


「先程ハイダの荷造りの不手際を指摘され、彼女に注意をしに行ったのですが……」

「ええ、ご苦労さまでした。……それで?」

「ハイダは自分は必需品は持ったと言い張るばかりで菓子作りを止めようとせず、荷造りをしようとしません」

「それは……その、ええと」


 明日は二人の送別会だし、出立はその翌々日だけれど、これはだ、だいじょぶ、じゃないね……?


「あげく『そんなに言うならホルガーが荷作りしていいよ』などと……」

「そ、そう。そんなことを……」


 言ったの? なんて命知らずなの、ハイダさん。わたしの目の前には怒り狂ってるホルガーさんがいるんだけれど、よく言えたね?


「ええ。私はおとこですし、ハイダは一応あれでも学問上身体的にはおんななので、私室に入るのも私物に触れるのも遠慮していたのですが……」

「……ですが?」


 ホルガーさんはにっっっっこり、と笑った。

 目元はまったく笑っておらず、背後にはどす黒い雲が渦巻いているので、めちゃめちゃ怖い。


「そんな私の配慮はまったくの無駄だったようですあっはっは」

「そんなことは、ない……と、思います、よ?」

「気を使ってくださりありがとうございます、王妃様。けれどハイダあれに気を使うだけ無駄だという事を学びました」


 さわやかな笑顔だった。やっぱり目はすわっていたけれど。


「あれの頭の中身は菓子で詰まっているとわかっているつもりだったのですが、まだまだ理解が足りなかったようだえす。あれをじょせいだと思うのは止めようと思い明日。単なる菓子狂いで、何の気遣いも要りませんでした。

 と言う訳でハイダの部屋への立ち入り許可を頂けますか? やつの部屋から必要な物を取り出し、纏め、奴の荷造りを終えようと思います」


 ひえ。

 部屋に入る許可を本人じゃなくてこっちに言いに来た。いや、本人は立ち入り許可出してるけども。

 めちゃめちゃ怒ってるよ、ホルガーさん。

 頭痛を耐えている顔でレギーナさんが許可を出した。


「はあ。そこまでハイダが菓子狂いだと認識が足りなかったのはこちらも同じです。自分一人を責めないように。思い詰めすぎると体を壊しますよ」

「……はい。それは重々承知しております。お気遣い痛み入ります」

「王妃様。ホルガーが女子部屋に入れるよう手続きをしてまいります。

 クラーラ、この場を暫く頼みます」

「はい。了解いたしました」

「では失礼します。王妃様」

「いってらっしゃい」


 部屋を出て行く二人の背中にほんのり……ううん、わりとはっきり怒気が見えるのだけれど、大きな雷を落とされるなじゃないかなあ、ハイダさん。

 それでもめげない、しょげない、あきらめない、のがハイダさんなのだけれど。

 そういうところはちょっと見習いたいなあ。


「王妃様はそのままでいらしてくださいね」

「えっ、はい」


 クラーラさんまで読心術を……?!


***


「お騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした王妃様」

「わ、わたくしは、だいじょうぶですよ?」


 苦労していたのはホルガーさんたちだと思う。

 ちょっぴりこんがりしたハイダさんに謝られた。たぶんマルガさんに本気モードで怒られたんだろう。

 義務を放り投げて、やらなきゃいけないことをやらない人にマルガさんは厳しいのだ。


「でもこれからはもう少し、ホルガーさんや周りの人たっちの声にも、きちんと耳を傾けてくださいね。やることをきちんとやっていれば怒られることはありませんから」

「やることをきちんと……。はい!! わかりました!!

 これからはやる事やってからお菓子を作ります!」

「……ほどほどに、がんばってくださいね」


 瞳を輝かせて踊り出さんばかりのハイダさんの後ろで、ホルガーさんが「言ったはずだ……何回も言ったはずだ……」と呟いていた。

 お、お疲れ様です……。

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