第25話:刺繍が好きなカチヤ

 私はカチヤといいます。

 三つ目族の出身で、魔王城へ住み込みで奉公しています。

 魔王城周辺への奉公といえば表向きは弱小種族の保護や出稼ぎなどとされていましたが、実際は体のいい口減らしや厄介払いでした。かく言う私も一族の中では力のない役立たずとして魔王城へと追いやられた一人です。

 ですがあまり不安は感じていませんでした。むしろ、邪魔者扱いされていた集落から離れる事ができてほっとしていたように思います。

 なにせ、当代の魔王様は変わり者として知られていましたから。先代もお変わりだったようですけど。

 それ以前の魔王は送られてきた者達を食べたり持ち馬や飛竜の餌にしたり、嬲り者にしたりと碌な扱いをしなかったそうです。中には収集目的で屍人形にしただとか、血液で満たした風呂に浸かるために全身の血を搾り取っただとか、今では考えられないような事までしていたとか。

 とはいえ、私が厄介払いされた事には変わりはありません。

 私のように力がなかったり、体が丈夫じゃなかったり、魔力が少なかったりという者たちは魔力を使うまでもない簡単な仕事を任されて日々をすごしていました。

 私は主に掃除をしていました。はたきや箒を使って人界人のように掃除をするのです。それくらいしか私はやる事がありませんでした。特殊能力を持っていれば庭作りや料理番を任されたそうですけど。

 十年ほど勤めていますが、命の危険などを感じる事もなくごくごく平穏にすごしていました。

 そんな生活が変わったのは魔王様が花嫁を迎えられてからの事です。

 人界人であるリオネッサ様を怖がらせないよう、人界人に近い容姿の者が側付きを任されました。私もその内の一人です。

 わたしのような非力な者でも王妃様の役に立てるのかと心配したものです。

 ですが、それは要らぬ心配でした。

 リオネッサ様は私達よりも非力な方だったのです。

 魔界の食事が人界人にとって毒になるのだと、私は全く知りませんでした。

 一番軽い鉄鍋を持ち上げる事はおろか、転がす事すら困難であるなんて想像すらもしませんでした。

 ですから、リオネッサ様が城内を移動する際はメイドが付くようになりました。リオネッサ様一人では扉を開ける事ができませんもの。

 習い事の時だって側に控えているのです。魔王様の所に行く時だけは例外ですけど。魔王様はリオネッサ様と二人きりになりたいのですって。

 さまざまな習い事をしているリオネッサ様ですが、私が見てきたその中でも一番やってみたかったのが手芸でした。糸と布だけでどうしてあそこまで素敵な物が作れるのか、不思議で不思議でたまりませんでした。

 刺繍の時間に控えていた私を誘ってくださったリオネッサ様には感謝しかありません。

 それにしても、アルバン様はどうして本を読んだだけであそこまで的確に教える事ができるのでしょう。さすが、としか言いようがありません。最初から上手だったリオネッサ様ですけど、さらに上達されましたもの。

 私も、もっともっとうまくなりたいです。

 リオネッサ様のように器用ではありませんが、三つ目族は目が良いので時間をかければとても細かい模様を描く事も不可能ではありません。普段は見えすぎるので額の下の両目はつむっておくのですけど。

 完成まで時間はかかってしまいますが、リオネッサ様の言っていた魔界ならではの特産品もできるはずです。

 今では糸を無駄遣いする事もなくなりました。

 リオネッサ様が持っていらした人界産の糸をどれだけちぎってしまった事か……。本当に申し訳ない事です。

 何か代わりになる物を、とあちこち探し回って新しい繊維を発見できたり、新しい織物が開発できたりしたのは良かったのですが。

 魔界の特産品として売り出せるかもしれないとリオネッサ様に両手を握られて感謝されましたが、リオネッサ様も一緒に探してくれださいましたし、ザデナロウプ族の説得はリオネッサ様がいなければとても無理でしたでしょう。

 なにせ、あの一族は報酬の貨幣よりもさし入れのお菓子の方を楽しみにしているのですから。

 織物事業を任されたメイドは交渉術だけではなく、製菓技術も習得しなければならなくなりました。それがきっかけで製菓に目覚めた者もいます。

 私などは蒸しケーキやホットケーキなどの簡単な物しか作れませんが、アルバン様が講師を務める製菓部に所属したウーテはいろいろな材料を使った難しいお菓子も作れるようになっていました。美味しかったです。

 製菓部では日々新しい調味料や食材の開発なども行っているというから驚きです。

 私の所属する服飾部も織物事業の一環でいろいろな材質の布や糸、色を真っ先に試せますけど、私達だけで新しく開発するには至っていません。開発部が頑張っていますけど、リオネッサ様のようにうまくはいっていないようです。きっと人界に疎いせいもあるのでしょう。

 レースであればどんな模様を編もうか、刺繍であればどんな色をどんなふうに縫いとめようか、私も考えるのですが、やっぱりそれも教えてもらった事で新しく考え付いたものではありませんもの。

 今回、人界に赴く魔王様やリオネッサ様の為に今持てる技術を全てつぎ込んでレースを編ませていただきましたが、人界人の目にはどのように映るでしょうか。

 リオネッサ様が持っていらした本やアルバン様が取り寄せた本を熟読して、今の時点では最高の出来栄えであると自負していますが……。

 私達が手にする知識はほんの一部でしかありません。

 リオネッサ様の本は初心者用のものでしたし、取り寄せた本は大衆用のそれでした。職人技とされる技術は門外不出であるそうで、師匠から弟子へ受け継がれるものであり、工房の顔となっているものばかりだそうです。専門の職人ですら一目見ただけではどのように編んだかわからないとか。

 それは刺繍にも同じ事が言えるそうで、最近はどうにかしてその技を習得できないかと考えてばかりいます。

 こういう時、人界人より腕力があっても、寿命が長くても、なんの役にもたちません。自分が人界人であったならと考える甲斐のない事ばかりが頭を占めています。

 もしくは、人界人の全てがリオネッサ様のようなお方だったなら、私は喜んで人界に出向き、刺繍工房の門を叩いていたでしょう。

 ……なんて、考えていても本当に仕方のない事です。

 どのような職人でも初めは素人でしたでしょうし、自分で新しい技術を発見していったのでしょうから、寿命は人界人よりもわずかばかり長い私の一生をかければ素晴らしいと言ってもらえる作品の一つくらいは作れるはずです。

 幸いな事に、刺繍に必要な目の良さは人界人より優れていますし、じっとしているのも苦ではありませんからきっとできるはずです。

 誰かの喜びが自らの喜びになるだなんて、知りませんでした。

 私の作ったレースや刺繍をあしらったドレスを着たリオネッサ様を見るだけで嬉しいだなんて、知らなかったのです。

 こんな気持ちを教えてくださったリオネッサ様に私は生涯感謝し続けるでしょう。

 リオネッサ様に言えばそんな事ありませんよとお笑いになるのでしょうけど。


「カチヤ。ここはこうでいいのかしら?」

「ええ、そのまま編んでしまって大丈夫ですよ」


 そういえば今は新しい糸でレースを編んでいる最中でした。

 いつの間にやら花のモチーフが三つできあがっていました。これがリオネッサ様の言っていらした無我の境地というものかもしれません。

 もしそうだとしたらリオネッサ様に近づけたということでしょうか。

 いえいえ。自惚れてはいけませんね。この世には自分が知り得ないものがまだまだあるのですから。


「こちらの糸はかぎ針に引っかかり難いのはいいのですが、つるつる滑って少し扱い難いです」

「そうね…。それに編む前と後で色が違って見えるわ」

「水色が銀色に、赤が銅色に、黄色が金色…。近いといえば近いですど」

「黒が灰色になるのはどうかと思うわ」

「要注意ですね。発色は良いから使っていきたいですし」

「使う場合は要注意要項として周知徹底をしていきましょう。できあがりが想像と違うとへこむもの…」

「あはは、そうですね…」


 ジビレ先輩は桃色の糸を使ったら完成品が臙脂色になってしまった事があるのです。

 レース編みが終わったので、私は刺繍に取り掛かりました。

 糸だけで編んだレースと布に縫い付ける刺繍とで完成品の色が違ったりしてしまうのです。だから試し編みと試し縫いが欠かせません。

 レースを編むと元の糸の白色のままだったのに布に刺繍をするとなぜか発光したり、その逆もありました。

 材料に通う魔力がその原因らしいと聞きました。知識の乏しいわたしにはわかりかねますが、おそらくそうなのでしょう。

 魔力を抜けば発色が安定するのでは、と思うのですが、魔力を抜き切るのは難しく、尚且つ手間も掛かってしまうようなのです。

 それに特産品とするのなら魔力がこもっていたほうが都合が良いのです。

 材料の組み合わせで温度を一定に保ったり、温かくしたり、冷たくしたりと様々な効果が現れますから、どんな製品に向いているのか、どんな製品が作れるのか、皆で探っている最中です。

 例えば、キサグの実で染めたザデナロウプ族の糸を使って布を織ると重量が軽減されるのでリオネッサ様のドレスに使われています。

 人界では身分の高い者ほど着飾らなくてはならないらしく、リオネッサ様の訪問着はもちろん正装も重ね着が基本で、フリルやレースなどもふんだんに使わせていただきました。その上で宝飾品も身に着けるのですから、通常の人界人ならば動くだけでもひと苦労な重量に仕上がってしまうのです。けれど、重量軽減の効果のおかげでとても動き易いです! とリオネッサ様に大変喜んでいただけました。

 逆に魔王様の衣服には重量増加の効果が現れた布が多く使われています。重量増加の副産物として硬化、つまり防御の上昇もあるからなのですが、その効果は微々たるものです。

 アルバン様は難色を示していましたが、魔王様が是非にと仰られたので採用されました。

 少しでも威圧感が削がれるようにとの事でしたが、服飾部一同、逆効果なのではないかと思いました。何も言わず黙っていましたが。

 畏怖されているのも時には必要だと思うのです。

 アルバン様が難色を示したのは単純に人手がかかるからですね。こすぱ、というものが悪かったようです。

 三種類の糸を三種類の布に刺繍し終え、結果を報告書に書き込みます。

 魔王城ではリオネッサ様を真似て文字の読み書きが流行っているのです。リオネッサ様に質問されてもいいように皆必死です。かく言う私も必死で勉強してなんとか簡単な文章の読み書きができるようになったばかりです。

 図書室勤務のディーターとナータンさんなんかは司書を目指すようになったのだとか。リオネッサ様に本の場所を聞かれてもわからなかったばかりか、本の題名さえ読めなかったのがそうとう悔しかったようです。


「できました。報告書はここに置いておきますね」

「ええ。終わったらまとめて持ってくわね」

「お願いします」


 報告書を出してしまえば今日の仕事は終わりです。あとはやりたい事に時間をたっぷりあてられます。

 前までならただただ時間がすぎるのを待っていたのでしょうが、今は違います。実は自室でこっそり――同室者にはばっちり見られているのですが――縫っているものがあるのです。

 ザデナロウプ族が最後の最後に失敗してしまい、食べようとしていたところを慌てて止め、なんとか説得して、貰い受けた巨大な一枚布。ほつれも見当たりませんし、色だって偏りがあるようには見えません。私にはどこが失敗なのかさっぱりわからないので問題はありませんでした。

 壁一面を覆えるほどのそれに魔王様とリオネッサ様を刺繍しているのです。

 額縁代わりに魔王様の育てている植物を周囲に配置して、リオネッサ様が好きだと言っていた水色の月をお二人の上へ、それに似合うよう星も散らして。

 魔王様は猛々しく、けれど優しそうに見えるよう慎重に縫ってきました。本物より迫力が足りませんが、うまく表現できていると思います。今日貰った糸を使えば瞳を完成させる事ができるでしょう。

 問題はリオネッサ様です。

 魔王様と向かい合う形で、大輪の花を贈られているリオネッサ様のドレスも手も靴も縫えました。けれど、首から上が全然縫えないのです。

 縫う決心が未だつかないのです。

 おかげで周りの装飾ばかり手が込んでいきます。もう縫う隙間がなくなってしまいます。

 誰に見せる訳でもない、ただの趣味なのですからさっさと縫ってしまえとせかす私の後ろで、万が一リオネッサ様に見られたらどうするのだと叫ぶ私がいるのです。

 それを思うと針が止まってしまいます。

 魔王様に見られてもお怒りになる事はないでしょうし、お怒りになったとしても殺されるくらいで済むでしょう。ですが、リオネッサ様はそうではありません。なにせ、私達よりも腕力のない方ですから。

 もし見られてがっかりされてしまったら? 嫌われてしまったら?

 想像するだけで怖くなります。

 お見合いの日に見た、長い髪であった頃のリオネッサ様を縫い上げたい。

 ですが、それはリオネッサ様にとって不愉快な事であるかもしれないのです。

 魔王様の瞳を完成させた私は悩みながら、またも周りの装飾に取り掛かるのでした。


 壁掛けの存在がお二人に露見し、リオネッサ様に髪の事なんかぜんぜん気にしてないよー! と笑いながら言われた私が満足のいく壁掛けを完成させるのはそれから半年後の事である、と今の私は知らない。

 その完成品が魔王城の宝として扱われる事になるなど、十年経っても私は知らぬままだった。

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