第23話:そして男は退団した

 男は魔界が嫌いだった。

 そこに生きる魔族の子孫が嫌いだった。嫌悪している。

 人界を巡って起きたとされる古代戦争で奴らが余計な事をしなければ今頃、人界人は天界人として生きていけたのに、と信じて止まなかった。

 男が幼い頃一度だけみた天界人は、それはもう美しかった。

 美しいという言葉では足りない程に美しかった。髪も肌も着ている服でさえきらきらと輝いて見えた。

 その時男は天界人こそがこの世界を統べる存在なのだと気付いて涙を流した。

 両親が慌てふためいていたけれど、ちっとも気にならなかった。

 人界を天界の物にすべきだ。人界人は天界人に従うべきだ。

 その為に魔族の血を受け継いでいる唾棄すべき存在を人界から排除べきだと考えた。

 それからの男は細々(こまごま)とした活動を続け、ついには魔界人排斥と天界至上主義を掲げる<光の使者団>への入団を許された。

 そこで自分が行ってきた活動がいかに幼稚であったかを知った。

 ビラを配ったり、該当演説をするだけでは駄目だっったのだ。

 野蛮で下等な獣(ケダモノ)共を追い返そうとするだけでは足りなかった。滅ぼすくらいの気概を持たなくてはならなかったのだ。

 新たな決意を胸に男は精力的に活動した。誰に何を言われても気にならない。男の考えを理解しようとしない家族とはとうの昔に縁を切っていた。男に届くのは目的を同じくした同志達の声だけだった。


此度こたび我らに任されたのは魔王に嫁がされ、洗脳されている女性の救出だ。

 ニファシオブ侯爵の館に向かうという情報を入手した。その途中で馬車を待ち伏せし、助け出す。

 護衛は人型の魔界人が二匹だそうだ。腕力では勝っているからと油断しているのだろう。愚かな事だ」

「全くもってその通りですね」


 返事をしながら男は感動に打ち震えた。

 まるで御伽噺の英雄になったような気分だった。自分が囚われの姫君を助け出せる幸運にまみえるとは!

 男はいつも以上に気合を入れた。嫌悪する魔界人共から何としてでも姫君を救い出してみせる!


***


 かくして、奪還作成は成功した。あっけないくらいにあっさりと。

 案の定洗脳されていた姫君は思いの外凡庸な容姿をしていた。どんな美姫だろうと期待していただけに拍子抜けをしたが、知能のない獣が攫ったのだから人間の美醜などわかるまい。

 この女性も好きで魔王に連れ去られた訳ではないのだから。そう思えば魔界の空気を吸って穢れているこの女性の事も許せる気がした。

 二言三言言葉を交わして外へ出れば空気が清々しく感じた。あとは別動隊の合流を待つだけだ。女性の洗脳が溶ければ魔王城内部も詳しく知れるだろう。そうなれば魔王を殺すのが楽になる。

 自分の功績で憎き魔王を排する事ができるのだ、なんと喜ばしい事か! ああ、早く到着しないものか……。

 指定の時間まであと少し。男は上等な酒を飲んだ気分で薔薇色に染まるだろう未来を夢想した。

 そこへ爆発音が叩き付けられた。思わず体制を崩して座り込む。

 何が怒ったのかわからなかった。兎にも角にも女性の安全を確認しなければ、と扉を開けた。

 小屋の中に女性はいなかった。それどころか小屋の壁はその役割を果たしていなかった。小屋は半壊していたのだ。


「リオネッサ様はどこに……」


 何という事だ。必ず生かして奪還せよと言われているのに。

 男の背に冷たい汗が流れる。任務失敗は即ち出世街道からの転落を意味した。


「探せ探せー!!」


 生きていると信じて探すしかない。クソッ! なんだってこんな爆発が! これだから悪魔に接触した人界人は! なぜ大人しくしていない!

 まさか、魔界人がもう取り返しに来たのか。嫌な予感が過るが頭を振って振り払った。

 別動隊は近くまで来ているだろうから、緊急時の呼び笛を吹いて男は仲間と共に森へと走った。

 女の足だ、そう遠くへは行けまい。とっとと捕まえてさっさと戻らなければ計画が水泡に帰してしまう。何がなんでも見つけなければ。


「リオネッサ様ー! どこですかー! 無事ですかー! 返事をしてください!」


 この森には猪や狼が出る。重傷までなら術士が治せるだろう。だが万が一、死なれでもしたら、どうしようもなくなる。


「そっちにはいたか?!」

「こっちにはいない!!」


 どれくらい捜しているだろう。それほど時間は経っていないはずだ。

 手分けをして探しているから、男は一人になっていた。

 簡単な任務であったはずなのに、と男は頬を伝う汗を拭った。

 全部、あの女が悪い。あの女が魔界人なんぞに目を付けられるから――


「ああ、いました。こちらです」


 いきなり聞こえた声に男は声をあげそうになった。すんでの所で抑えたそれを耐えながら頭上を仰ぐ。そこにいたのは眠らせたはずの魔界人であった。

 何故ここに、と考え、腰に手を伸ばす。

 念のために携帯していた香を手に取った。

 男の手の中に収まるほどの大きさしかない香は魔界人だけを眠らせるものだ。皮のベルトの擦り付けるだけで煙が上がるため、手軽に使えるがその分高価だった。

 だが、背に腹は代えられない。

 男は魔界人を嫌悪していたが、だからといって己の力量のみで勝てると驕ってなどいなかった。魔界人を攻撃するのはその動きを鈍らせるか封じてからが男の常だったのだ。

 すぐさま香から煙が上がる。十秒もあれば眠りにつく強力なものだ。血を流すなと言われているが、護衛ならば殺したところで大した問題にならないだろう。

 そう思った男が剣を抜こうとして気付く。おかしい。

 魔界人からはちっとも眠る気配がしてこない。体の動きが鈍らない。おかしい。

 さっきは眠っていた。直接確認をしたのは男なのだから間違いない。どういう事だ。

 男は狼狽えた。

 男を見下ろす魔界人は眠るどころかその姿を変えている。


「二度も同じ手段はくらいませんよ。それ、高かったでしょうに、残念でしたね」


 魔界人の口は耳まで裂け、耳も長く尖っていく。手指も、背も長く変形していった。


「私達にとっては安眠効果があるものですが、興奮状態にあればその限りではありません。

 何が言いたいかというと、つまりですね。

 その香を使わなければ貴方は大怪我をせずに済んだ、という事ですよ。ご愁傷様でした」


 男の体は立ちすくんだままの姿で吹き飛んだ。右腕が痛むと同時に背中に衝撃を受け、息を詰まらせる。

 呻く事すらできずに地面に転がった。

 痛い、苦しい。痛い。痛い。痛い。


「リオネッサ様はどこですか? ……まだ見つけていないのですね。

 ひと思いに八つ裂いてやりたいところですが、生け捕りにしなくては情報が入りませんし、口惜くちおしい事です。

 まあ、私では綺麗に八つにできないんですけど」


 魔界人は長く伸びた指で男の襟首を掴んで持ち上げた。まるで子猫を持ち上げるくらいの軽々しさだった。


「おや。折れてしまいましたね。やはり上手く加減ができませんでした。

 人界人も眠い時はイライラするでしょう? 私達もそうなんです。ですから、仕方ありませんよね?」


 耳まで裂けた魔界人の口の両端がぐいと上がる。鋭く細かな牙がそこから覗いた。

 男は折れた腕の痛みも、強かに打ち付けた背中の痛みも、喉元の息苦しさも気にならなかった。

 今はただ、痛い。痛い。痛い。

 こわい。


「……気を失ってしまいました………。

 こういう場合どうすれば……。怪我人の手当などしたことがないのですが……」

 仕方ありません、と魔界人――ホルガーは元来た道を戻る。

 制圧した小屋にいる人間ならば手当くらいできるだろう。たぶん。


「怪我人は揺らさない、投げない、齧らない…」


 運賃として高額な香を懐にちゃっかり忍ばせたホルガーは慎重に走っていった。

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