第2話:厨房にて

 わたしの旦那さまは魔界の王様をしている魔王さまだ。

 黒いたてがみに青い目をしていて、角はきれいな宵闇色をしている。

 魔界人を見たことはあったけれど、魔王さまのように大きな人を見たのは初めてだった。

 いちおう、ギリギリ貴族であるとはいえ、貧乏なうちにお見合いの話がきたのにも驚いたけれど、お相手が魔界の、しかも王さまだと聞いたときにはなんの間違いかと思ったものだ。

 ガチガチに緊張して迎えたお見合いの日。

 わたしは初めて見た二メートル超えの魔王さまに驚いて、怯えて、腰を抜かした。

 ろれつもまわらず、噛みまくり、ティーカップをひっくり返して、いただいたドレスを台無しにしたうえ、やけどをしていないか心配してくれた魔王さまにろくな返事もできず、パニクってその場から逃走。森に入り込んで迷子になってしまった。おまけに魔界植物に食べられそうになっているところを魔王さまに助けられた。

 あのときの魔王さまはとてもかっこよかった。三階建ての家くらい大きな植物を相手にまったくひるまず、あっという間にわたしを植物のつるから助け出してくれた。

 たった一回殴られただけで、植物はばらばらのこなごなになって、飛び出してきた胃袋の内容物を見たわたしはとうとう吐いてしまったわけだけれども。

 吐しゃ物で魔王さまの服を汚してしまって、けれどそれどころではなかったわたしの精神はそこでぷっつり切れてしまったらしく、気がついたら宿泊所のベッドで寝ていた。

 ………こんな大失敗をやらかしたわたしをなぜ魔王さまがお嫁にしてくれたのかぜんぜんわからない。返ってくる答えがこわくて、聞くにも聞けないでいる。

 多大なる迷惑をかけてしまったというのに、花やドレスを届けてくれたし、お詫びの手紙までもらってしまった。迷惑かけたのはわたしです、魔王さま……。

 本当なら階級が下であるわたしから魔界語を話したり書いたりしなければいけなかったのに、魔王さまは丁寧な人界語で話しかけてくれたし、実家に帰りついてからもこまめに手紙も書いてくれた。見た目は怖かったけれど、中身はぜんぜんそんなことなかったんだと、わたしはその時初めて知ったのだ。

 それから思い出してみれば、お見合いの席でもにやりすぎではと思うほど気を使ってくれていたし、植物を倒したときだって、やさしく抱き留めてくれていた。

 わたしなんかにはもったいない旦那さまだと思う。

 わたしは、ちびでがりで、髪はあちこち跳ねていてちっともまとまらないし、頭だっていいわけじゃないし、貴族といっても最下級で資産はないようなものだし、もちろん使用人もいなくて、できることは全部自分でやってきたから、他の裕福なお嬢さまたちみたいにきれいな指じゃないし。

 幼なじみに昔から言われているとおり、嫁のもらい手なんてあるわけないと思っていた。

 自慢できることといえば家事全般できることくらい。なんて貴族らしくない。

 考えれば考えるほど魔王さまにふさわしくない自分に、呆れていっそ笑えてくる。

 けど! でも! 選んでもらえたからには努力して、今すぐは無理でも、いつかぜったいに魔王さまの隣に立っても恥ずかしくないわたしになる! と心に決めて花嫁修業にいそしんでいる最中だ。

 ヤギ顔執事のアルパインさんはなんでも親切に教えてくれるし、ほかのメイドさんたちもやさしい人ばっかりだ。

 いま教えてもらっている刺繍は、魔王さまの角と同じ宵闇色の糸で縫っている。本当に魔王さまの角によく似た糸で、よく見ないと月明りの淡く光る闇夜色だとわからないところも同じ。そんな糸を使っているから、いつでも魔王さまを思い出せてとても楽しい。

 練習だから自分用のハンカチに刺繍しているけれど、上達したら魔王さまのハンカチを用意して、プレゼントしようと考えている。その時は魔王さまの好きな花を刺繍したい。

 魔王さまはやさしくて、わたしが失敗しても怒らない。逆にケガはないかとか心配してくれたり、励ましてくれたりする。そんな魔王さまにおんぶにだっこじゃ、伴侶としてどうだろうと思うのだ。

 まずはできることを増やしていって、いずれ魔王さまの仕事も手伝えたらと思う。それにはまず魔界語を覚えなくっちゃ。

 簡単な日常会話なら話せるようになったけれど、専門用語なんかは覚えきれていない。アルパインさんたちに教えてもらっているけれど、まだまだだ。

 今日の習い事は全部終わったので厨房にいく。本当なら料理人がいて、わたしの出る幕なんかないのだけれど、わがままを許してもらってお手伝いをさせてもらっている。

 なにせ自慢できることといえばこれくらいしかない。そしてストレスも家事をしなくては発散ができないのだ。これがわかったときは正直落ち込んだ。わたしはどこまで所帯じみているのかと。そして、お嬢さま暮らしに慣れなければいけないとわかってはいるが、染みついた習慣はなかなかなおらないのだった。

 魔王さまは今日も魔素の濃度調査に出ているけれど、夕飯までには必ず帰ってきてくれると約束してくれたので、おいしいっていってもらえるように今日もがんばろう!


「今日もよろしくお願いします。マルガさん」

「はいはい~、よろしくね。りっちゃん」


 マルガさんは火トカゲ族の女性だ。赤いうろこは炎に照らされると七色にきらめいてとてもきれいで、額の角は族長の証なんだとか。


「いつもお忙しいところにおじゃましてしまって、すみません」

「い~のい~の。むしろ助かってるわ~。

 魔界人わたしたちは食べて死ななけりゃいいって奴ばっかりだからねぇ~。だいたい煮るか焼くかだし~。

 坊ちゃんもりっちゃんが作るようになってから食事が楽しみになったみたいだしね~」

 それに、と言いながらモルガさんは大鍋をおろしてかまどに置いてくれた。

「人界人が食べても平気な食材は私たちにはわからないもの~。

 魔王様なんて、私達が死ぬ程の毒を喰らっても平気なお方だし~」

 そうなのだ。わたしが厨房に入る理由はストレス発散ばかりではない。

 貧乏暮らしが長く粗末な食事に慣れているわたしだが、魔界の食事がのどを通らなかったのだ。それはもう、文字通りに。

 なにかの肉の丸焼きは固すぎてナイフもフォークも刺さらず、刺さったものはフォークがとけた。野菜類も、魚類も以下略。みなさん手づかみで食べられるなんてすごい。

 果物だけはなんとかまともに食べられたのだけれど、栄養が足りるはずもなく、もとからなかった肉がさらになくなった。どこのとは聞かないでほしい。

 魔界の食事に慣れようとがんばったけれど、どうにもできなかった。あれは慣れたらダメなやつ。慣れる以前に口に入らなかったけれども。

 小食だからとごまかし続け、栄養失調寸前になって倒れたところで、まともに食事がとれていないことがばれてお説教。魔王さまには泣かれてしまった。

 手のかかる人界人だと思われたくない一心だったと決死の思いで告白すると、さらに泣かれた。お説教していたアルパインさんたちもなぜか目頭をおさえていた。きっと不出来すぎる嫁を迎えてしまったと頭を抱えていたのだと思う。たいへん申しわけない。

 魔王さまは涙をぬぐいながら、この先はわたしが帰ると言わないかぎりずっと魔界にいてもいいんだと、だから人界と違うところがあれば遠慮せずになんでも言ってほしいといわれた。

 みんなやさしいひとたちばかりで、ほんとうにわたしは恵まれている。

 マルガさんたち厨房組の助けを借りて図書室で魔界の植物についてあれこれ調べたのだけれど、これ図書館ですよね?! というレベルの蔵書量だった。

 だだっ広い空間の壁という壁、棚という棚のすべてにみっしりと本が埋まっていて、料理や食材関連の本だけに限定して一週間調べ回ったけれど、まだ一割も探索が終わってないと思う。

 この膨大な量の本はすべて魔王さまが集めたものばかりらしい。魔界人には珍しい本好きだということだけれど、あれを全部読まれているのならなるほど、博識なわけだよなあと感心してしまう。わたしも暇ができたら挑戦してみよう。その時には難しい魔界語も読めるようになってたらいいなあ。

 ちなみに魔王さまは一緒に調べようとしてくれたけど笑顔のアルパインさんに「仕事です」とつれていかれた。お気持ちだけで十分ですよ、魔王さま。


「りっちゃん、これくらいでどうかしら~」

「バッチリです、マルガさん」


 マルガさんの作ってくれたホワイトソースは文句なしの出来だった。火トカゲ族らしく火加減が絶妙なマルガさんのおかげで大量に作ることができている。

 厨房で一番大きい鍋いっぱいにシチューを作って、残ったら明日の朝はグラタンにするつもりなのだけれど、残るかな? 魔界人のみなさんは健啖家が多いのだ。

 残らなかったら来週のシチューの日はグラタンに変更しようと思う。

 簡単な料理を繰り返し作って、マルガさんがマスターしたら他の人たちに教えて料理技術の向上を図る計画をアルパインさんが立てたので、最近は週一でシチューを作っているのだ。

 飲みこみがはやくてホワイトソース作りも板についてきたマルガさんなので、そろそろ別の料理にしても大丈夫だろう。

 グラタンもチーズをかけて焼くだけのお手軽料理だし。火加減もマルガさんなら心配いらない。パンを入れたり、パスタを入れたりで応用が利くシチューはとても便利だと思う。


「りっちゃーん。ルーネのアク抜き完了よ~。次はみじん切りでいいのよね~?」

「はい。みじん切りのあとは炒めてサラダの上にのせてください」

「はいは~い。了解よ~。油は適量適量~っと。

 りっちゃんのおかげで毎日美味しいご飯が食べられる魔王様は幸せ者ね~。今日もお弁当作ってあげたんでしょう~?」

「は、はい。そうですか? 喜んでもらえてるなら嬉しいんですけど」

「うふふ。大喜びよ~。デザートも気に入ってるし~。アルバンさんなんてデザート作りの腕をめきめき上げてるじゃな~い? そうとう気に入ってる証拠よ~」

「すごいですよね」


 今ではわたしが知らないお菓子さえ作れるようになったアルパインさんはわたしの目標だ。わたしもアルパインさんみたいにさらなる努力をしなければ。

 身近にすごい人がいると、落ちこむときもあるけれど、がんばろうと思えるし、がんばれる気がしているのだ。

 シチューもサラダも完成して、デザートは昼に作って冷やしておいた蒸しプリン。あとは食堂に運ぶだけだ。


「あとは私がやっておくから、りっちゃんは急いで部屋に戻って着替えてらっしゃい~。

 そろそろ魔王様もお帰りになるでしょうから~」

「はい、お言葉に甘えさせてもらいますね。お願いします」


 マルガさんに言われて少し照れてしまう。お見送りとお出迎えは夫婦の間で普通のことなんだから、別に照れることはない……はずだ。


「それじゃ失礼します」

「は~い。魔王様によろしくね~?」


 楽しそうに目を細めたマルガさんから顔を隠すために小走りで部屋を出た。

 今日は抱き上げられて運ばれないようにしなくちゃ!

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