第21話~本当の終わりの日~
城の最上階。扉に血しぶきが飛び、最後の一人が倒れる。
ボクは血糊のついた刃先を相手の服で拭い、顔に飛び散った血を拭った。ざっと二十人くらいが、床に折り重なって倒れている。皆、この国の王を守るために死んだ。殺したのは、ボクだ。
ボクがアドニを救うため、たった一人のために殺した人々が、肉塊となって転がっている。青ざめた顔で、それでも果敢に挑みかかる姿。しかし、次の瞬間、血を噴き出して倒れる。そうやって、瞬く間に彼らは死んでいった。あの王を守るために。
荒くなった息を整え、扉を見上げる。竜のエンブレムが掘られた扉。この奥に玉座がある。
レイト人を虐殺し、
アドニの家族を殺し、
イズミルを殺し、
ヤレンに残酷な仕打ちをした、
あの王がいる。
怒りと憎しみが沸々と湧いてくる。だが、王を殺しに来たわけじゃない。ボクはアドニを救いに来たんだ。
大きく息を吐き、扉に手を当てる。この扉は、兵士三人がかりで開けるほど重い。どうやっても、ボク一人の力では開けることができない。それでも、今はジユルがいる。
ジユルも同じように扉に手を当てた。顔を見合わせ、呼吸をそろえて、ぐっと押す。重い。重いが二人でなら、開けることができる。
ゆっくりと鈍い音を立てて、扉が開き始めた。すぐに、真っ赤な絨毯が目に入る。そして、もう一つ、金と宝石に飾られた玉座に座る男が、こちらを見ていることに気づいた。
金髪に青い瞳。ヤレンと同じ色を持つ男。だが、似ているのは色だけだ。人を慈しむこと、生き物を尊くことを知らないその顔は、ヤレンとかけ離れている。
竜王は苦々しい顔で、何かをブツブツとつぶやいていた。聞きたくなくとも、言葉が耳にが入ってくる。こいつを守るために死んでいった人々を罵っている。そう気づいた瞬間、腸が煮えくり返るような怒りが、頭の中を黒く染めた。
自分の手が刀の柄を掴み、身体が竜王を殺そうと戦闘態勢に入った。目が眩む、息ができない。こいつを、こいつを、殺したい。
地面を蹴るように走り出す。髪も服も手足も、すべてが鈍りのように重い。何かがボクの身体がにまとわりついているような感覚。それでも、刀は滑らかに空気を滑り、王ののど元に吸い込まれるように伸びていく。だが、すぐに黒い障壁に阻まれ、刀が止まった。ぎりぎりと刀に力を込めるが、びくともしない。ぐっと唇を結び、涙を流そうとする。
すると、今まで苦虫を噛み潰したような顔をしていた王が、急にニヤリと笑い、右手をボクの顔の前で広げた。そこには金色の指輪が輝いていた。
「我が名は竜、ヴォルガ・ブライト。我が盟約に従い、彼の者から奇跡を奪え。」
途端、何かが身体から抜けていくような感覚に襲われる。だが、それがどうした。ぎりっと奥歯を噛み締め、刀に力を込める。
剣先が大きく欠けても、噛み締めすぎた奥歯から痛んでも、力を込め続ける。宝石としての力を奪われようと知ったことではない。何を犠牲にしてでも、こいつを殺す。
障壁にビシッと亀裂は入った。あと少し。あと少しで、刃が届く。しかし、刃が届く前に、腹部に強い衝撃が走り、思いっきり後ろに吹き飛ばされた。げぇと嘔吐物を吐きながらも、体勢を整え、赤い絨毯に着地する。嘔吐物に交じって血も口から垂れる。ぐいっと袖で拭い、王を睨んだ。
王の隣にクモとフォレスが現れる。相変わらず、クモは表情がない。
フォレスは顔の半分が溶け、醜い姿に変わり果てていた。つまらなそうな顔をしていたが、ジユルを見た途端、動きを止めた。じーと穴が開くほど見つめ、何かに気づいたのか、その翠目が悪巧みする子どものように細くなった。
「ぼく、あの銀髪のレイト人がいい!ねぇ、いいでしょ!王様!」
「ああ、かまわん。さっさと殺せ。」
「やったー!前、殺し損ねたの、ずっと気になってたんだよね。これで、すっきりする!」
満面の笑みでフォレスが言った。その言い方に、ぴくりと頬が痙攣する。
己の手が再び刀に伸びる。しかし、柄を握る前に、ジユルに腕を掴まれた。はっとして顔を上げると、ジユルがボクを見ていた。
「熱くなるなよ、ベオグラード。こういうのは、冷静さを欠いた方が負けるぜ。」
「…すみません。」
「まあ、あんたが怒る理由も分かる。オレも一人だったら、あのガキに掴みかかってたし。でも、今することじゃない。オレがすべきことは、あんたがクモを殺せるように環境を整えること。そして、あんたは他の事は何も考えずに、それに集中すること。分かるな?」
ジユルの言葉が、熱くなった身体を冷ましていく。うなづくと、ジユルが顔を寄せ、耳元で囁いた。それを聞き、驚いてジユルを見あげる。ジユルは「心配するなよ」と言うように微笑んだ。
不安が胸の中で渦巻く。だが、それでも、ボクはジユルを信じると決めた。
「やりましょう。」
ボクの返事に、ジユルがニッと笑って、ボクの頭をぽんぽんと叩いた。アドニが太陽なら、ジユルは穏やかな日向のようだ。その笑顔に、胸の中で渦巻いていた闇が晴れていくような気がした。
ジユルが離れていく。その背中には覚悟が滲んでいた。
フォレスが自分に近づいてくるジユルの姿を見て、怪訝そうな表情を浮かべた。
「何?何で近づいてくるの?フォレスの力知らないの?潰しちゃうよ?」
「もちろん、知ってるさ。でも、別に恐れるほどのものじゃない。」
「…ふーん。そう。」
フォレスの目がきらりと輝き、空気が軋む。途端、ジユルが何かを避けるように空中に飛び上がった。すると、少し前までジユルが立っていた地面がぐちゃっと潰れる。
ジユルは空中にふわりと浮かびながら、ニヤリと笑う。
「言ったろ、恐れるほどじゃないと。」
「…ムカつくなぁ。その顔が、フォレスよりずっと醜くなっても知らないから。」
「へえ、そうかよ。やれるもんなら、やってみな。」
ジユルが身を翻し、逃げ始めた。フォレスは犬歯を剥きだし、イライラとジユルを狙う。だが、すべて少しのところで外れ、床や壁を破壊していく。ぼろぼろと壁がはがれ、空が顔を出した。強風が吹き、一瞬顔をそむける。
顔を上げると、ジユルとフォレスの姿が消えていた。ボクが集中できるように、ジユルがフォレスを外におびきだしたのだ。分かっていたことだが、顔がどうしても不安で曇る。それでも、ジユルがくれたチャンスだ。今は何も考えるなと、気持ちを静める。
すうと息を吸い込み、柄を握って、刃先をクモに向けた。クモは無表情にボクを見ている。黒い髪、黒い瞳。その瞳は深淵のように、どこまでも真っ暗だ。昔のボクの瞳に少し似ている。
クモはゆっくりと瞬きし、口を開いた。
「…なぜだ。なぜ、死にかけてまで、我々を殺そうとする?それは復讐か?それとも、ヤナ・ブライトの呪いか?」
「…それを聞いて、どうするんですか。」
「単純に興味が沸いただけだ。今や力を奪われ、命も尽きようとしている。例え、我々を殺した所で、死ぬのは変わらないだろう。それなのに、なぜ抗う。なぜ殺す。」
なぜって…。自分の命を差し出しても構わないと思えるほどの人を、助けたいからに決まってるじゃないか。
「…復讐したい気持ちはあります。でも、一番は助けたい人がいるからです。もし、あなたがアドニの呪いを解いてくれるなら、あなたとは戦いません。」
「…セルシンか。ヤナ・ブライトに、お前に、あの男は随分と好かれやすい体質なようだな…。刺青を消すこともできるが…、あの男は重大な違反をした。生かしてはおけない。それに、お前は王を殺すつもりなのだろう?」
クモの黒い瞳が怪しく光る。
「竜王は我々に必要なお方。そう、みすみすと殺させるわけにはいかない。どうせ死ぬのだ。今ここで無様に殺されるがいい。」
言い終わるや否や、黒い手がボクに向かって突っ込んできた。もう涙で術を消すことはできない。手をかわし走り出す。
一瞬でクモの間合いに入った。そのまま、刀を首に走らせる。しかし、クモの首を捉える前に、障壁に阻まれて刀が弾き飛ばされた。驚きで、一瞬身体の動きが止まる。それを狙って、黒い手が四方から一斉に伸びてきた。まずい。考えるより先に、心臓の上に手を当てた。リミッターが外れる。命を削る衝撃に眩暈を感じながらも、瞬間的に上に逃げて、ぎりぎりでかわす。だが、逃れるボクを手が追随する。
刀を構え、空中で身を捻り、思いっきり振るう。一瞬の間があり、手がパラパラと落ちた。そのまま重力に身を任せて、地面に落ちる。着地の衝撃で、口から血あふれ、顎を伝ってぽたぽたと落ちた。痛みに目の前が霞む。
黒いものが、こちらに突っ込んでくるのが、ぼんやりと見える。ボクを殺そうと伸びる黒い手。もはや感覚だけで、それを避ける。十数年、毎日人を殺していた経験が、ボクを生かしていた。それでも、少し反応が遅れ、顔に腕に足に攻撃が掠め、血が垂れる。頭が痛い。耳鳴りがする。内臓が悲鳴をあげている。
踊るように避けながら、クモから距離をとる。クモは無表情のまま、ボクを眺めていた。
「…なかなか死なないものだ。既に出血死してもおかしくないほど血が流れているが…。なぜ死なない?」
「…さあ…なんで…でしょうね…」
荒くなった息を整えながら、クモを睨む。まったく勝てる気がしない。それだけ、隙がない。貧血でクラクラし始めた。身体から生気が抜けていき、手足が震える。本当は今すぐ諦めて眠ってしまいたい。でも、それはできない。
涙以外でクモに勝つ方法を考えろ!
自分を鼓舞するように、頭の中で声が響く。ここまで来るまでに、たくさんの犠牲があった。信じてボクを待っていてくれる人が居る。それを無下にはできない。
あの固い障壁を壊さなければ、本体に傷がつけられない。ひびを入れるためには、一定時間同じ場所にとどまって力を込めなければならない。しかし、そうすれば、十中八九あの黒い手につかまれ、身動きがとれなくなる。
何かを犠牲にしなければ、目的を達成できない。考えろ、ベオグラード。お前に何ができる。
剣先が大きく欠けた刀。その欠けた剣先。ところどころ破け、血で重くなった服。生臭い身体。視界の端で揺れる白い髪。今ボクに残されたものはそれだけだ。これで一体、何ができる…?
考えろ、考えろ、考え続けろ。勝つまで、たとえ、腕一本になっても、ボクは勝つまで足掻き続ける。
その時、あるアイデアが脳裏にひらめいた。確かに、それならクモを殺せるかもしれない。だが、失敗すれば、あの手に押しつぶされて死ぬ。それでも、迷いは一瞬だった。可能性があるのなら、やるべきだ。
クモが再び攻撃を仕掛ける。それを避けながら、胸に手を当てた。これでリミッターを解除するのは、おそらく最後だ。痛みは想像を遥かに超える。命はもはやロウソクの火のように消える。
リミッターを外す衝撃に、目の前が一瞬暗くなる。何とか歯を食いしばって耐え、クモに向かって走り出す。
鬼の形相で迫りくるボクを、無表情で見ている。ボクがやけくそになって向かってきていると思っているはずだ。それでいい。少しの隙を作れれば、後はどうとでもなる。
黒い手が鋭く尖って、ボクをくし刺しにしようと迫りくる。致命傷になりうる場所を狙うものは切り、後は気にせず強引に突破する。
もうすぐ、間合いに入る。ボクは思いっきり地面を蹴って飛び上がり、クモの脳天をかち割ろうと刀を振り下ろした。だが、障壁に阻まれ、刀が止まる。その瞬間、柄から手を離し、刀を障壁に刺さしたまま、クモの背中側に頭から落ちた。クモが虚につかれ、一瞬、動きを止める。今だ。
クモが振り返るよりもずっと早く、手に持っていた刀の剣先を首めがけて投げた。剣先は狙い通りまっすぐ飛び、頸動脈を切り裂く。一瞬の間があって、首から血が噴き出した。ほぼ同じタイミングで、地面に激突する。受け身をとる余裕もなく、頭を強かに打ちつけ、目の前がチカチカと点滅し、猛烈な吐き気に襲われた。
クモが首を押さえ、よろよろと振り返る。さっきまで無表情だったのに、今は絶望に歪んでいた。
「ガキ…が…。私だけ死んでたまるか…。お前も道連れに…」
伸ばした手は空を掴み、ボクを捉えることはなかった。身体を真っ赤に染め、力を失ってがっくりと倒れる。
痛む頭を擦りながら、起き上がる。つうーと額から血が垂れ、右目がふさがった。
よろよろと起きあがって、刀を拾い上げる。あんなに強く打ち付けたのに、何とか形を保っている。これなら、大丈夫だ。
顔の血を拭って、竜王を睨んだ。竜王は玉座から逃げようと腰を浮かせているところだった。その足めがけて、刀を投げる。
「ぎゃ!」という悲鳴が上がり、狙い通り刀が刺さる。鉛のように重くなった身体を引きずって、玉座に近づく。
竜王は脂汗を額に浮かべ、ボクを口汚く罵った。ぎゃーぎゃーとよくしゃべる。ボクはその言葉を無視して、竜王の足に刺さった刀を抜き、右脇腹に深く差した。柔らかい肉体を通り、玉座を貫通する。また、「ぎゃー!」とつんざくような悲鳴があがった。
竜王が何とか逃れようと刀に手を当て、引き抜きこうとした。だが、びくともしない。顔が見たことがないほど引きつる。慌てて指輪を使おうとするが、するりと指から落ち、地面に落ちて砕けた。所詮まがい物。クモの力がなければ、使うことすらできない。
ボクはよろよろと地面に座り込み、その様子をただ黙って眺めていた。首を落として殺してやるものか。お前は死の足音に怯えながら死ぬのがお似合いだ。
ボクを罵る声が聞こえる。それも何だか遠い。ただ、霞んだ景色の中、男が脇腹から血を流し、猛烈に怒っているのが見える。
本当はジユルを助けに行くべきなのに、もう立ち上がることができない。でも、大丈夫。ジユルはおそらく勝つ。だから、心配しなくて大丈夫。
血が抜けていくのと比例して、竜王の身体はだんだんと動かなくなっていった。もはや、ボクを罵る力もなく、最後にため息のような息を吐き、だらりと首を垂れた。
ボクも身体を支えることができず、ごろりと寝ころぶ。柔らかくて何だか心地がいい。
身体の痛みは消えていた。目の前も霞んでよく見えない。心臓の脈動も何だか弱弱しい。
ボクはもうすぐ死ぬ。
そう思った瞬間、瞳から涙がこぼれた。涙が目尻や目頭から溢れ、とめどなく流れていく。
ごめん、アドニ。
あなたと共に暮らすと約束したのに…
叶えられなくてごめん。
本当は、死にたくない。あなたとずっと生きていたい。
今まで一緒にいられなかった分まで、あなたを抱きしめ、キスしたかった。
髪は、頬は、唇は、どんな匂いだったんだろう。どんな感触で、どんな…
ああ、せめて、せめて、今日が終わりの日だと分かっていたら…
神様でもいい、誰でもいいから、教えてくれていたら…
そしたら、あなたに「愛してる」と伝えたのに…
ねえ、アドニ、
わがままなボクの願いを、もし叶えてくれるのなら、
ボクが死んだ後、ボクの唇にそっと口付けをして。
そして、少しの間でいいから、
どうか、ボクを愛して。
ゲホゲホと咳をして、横を向く。
最後に、あの人に人目会いたかった。
でも、それは無理みたいだ。
目を開いているはずなのに、目の前が真っ暗で、何も見えない。
遠くでボクを呼ぶ声がした気がした。でも、それに答えることはできない。
意識がゆっくりと消え、
眠るように目を閉じた。
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