第4話~選択~

 その人は金色の髪を肩まで伸ばし、青空のように真っ青な瞳を持つ男性とも女性ともつかない人だった。

 歳はボクよりも、2、3歳上だろうか。光で髪がきらめき、ボクには神様のように見えた。

 その人は無表情にボクを眺め、それから、血を流して倒れているアドニを見た。目を見開き、小さく呟く。

「アドニ…!どうして…」

 手を血まみれにして、泣いているボクを見て、顔をしかめた。

「なぜ、君はアドニを助けもせず、泣いているんだい?」

「ボ、ボク…、どうしたら…いいか…、分からなくて…。」

「…そう。どいてくれるかい。邪魔。」

 ボクを押しのけて、アドニの隣にしゃがみ込んだ。アドニは既に意識がほとんど消えかけていた。その人は傷口に布をぐっと押し付け圧迫止血しながら、呆然としているボクを非難するように見た。

「君は人を助けたことがないのかい?その刀を見るに、兵士なんだろ?それなのに、何も知らないなんて信じられない。」

「それは…」

 ボクが言いよどんだのに気づき、軽蔑するように言った。

「今まで誰1人として助けたことがなかったんだね?どうせ何も考えずに言われた通りに行動してきたんだろう?言われたままに何も考えずに行動するのは、確かに楽だ。だけど、それは人間的ではない。それを是として行動してきた報いだ。」

 冷ややかな口調で責められて、ボクは言い返せずに黙り込んだ。

 だが、同時に胸の奥から怒りが湧いてきた。なぜ、初めて会った人間にここまで言われなければならないのか。この人に、ボクの何が分かるというんだ。

 ボクが怒りに震えている間、その人は黙って止血を続けていた。だが、血は止まらない。アドニの命がこぼれ落ちていくのが分かった。

 その人は険しい表情で、血に染まった布を見つめた。すると、頭上で誰かが、こちらに叫んだ。

「何やっているんだ、!術が解けて、竜の宝石が逃れてしまった!すぐに逃げなければ、こちらがやられる!」

「…ああ、分かってるよ、。だけど、ちょっと待って。」

 ボクはその名前に聞き覚えがあった。レイトの長の名前だ。

 イズミルが地面に降りて、走ってきた。噂通り、緑髪に金色の瞳を持つ青年だ。歳はアドニよりも少し上に見えた。

 イズミルは、ヤレンが手を真っ赤にして、アドニを止血している様子に顔を歪めた。

「…なんで、人間を助けているんだ。」

「同情とか、そんなんじゃないよ。イズミル、竜の宝石をほんの少しでいい。足止めしてくれるかい?今、この場を襲われると困る。」

「ああ、分かった。後で説明してもらうからな。」

 そう言って、イズミルが民家に登り、空に手を伸ばした。すると、今まで晴れていた空に、雷雲が生まれ、雷鳴が轟き始めた。

 ヤレンは、止血しながら、ボクを真っ直ぐ見つめた。

「このままでは、アドニは死んでしまうだろうね…。君にとって、アドニは何を代償としても助けたい人かい?」

「はい…。」

「そう。僕とアドニは顔見知りだし、助けてもいい。だけど、1つ条件がある。」

 ボクはゴクリと唾を飲んだ。一体、どんな条件か考えただけで身体が震えた。だが、それでもボクはヤレンに救いを求めるしかなかった。

 ヤレンはボクの瞳をじっと見て口を開いた。

「僕は君の力に興味がある。その星空のような瞳から見て、君は宝石だろ?」

 ボクは動揺した。そんなはずはない。ボクの瞳は真っ黒な夜だ。

 ボクが答えないので、ヤレンが怪訝な顔になった。

「もしかして、気づいていなかったのかい?まあ、いい。君が僕たちの仲間になる。この条件をのんでくれるなら、アドニを助けてもいい。考えて。ただし、時間はないよ。」

 それはつまり、レイト人側に立つということだった。アドニを裏切れというのか。ボクは目の前が真っ暗になるほどの絶望を感じた。

 だが、ボクはそれを拒否することはできなかった。ボクはアドニの為なら、死ぬことも厭わない。

 ボクは、目を閉じ、深く息を吐いて、覚悟を決めた。

「…分かりました。だから、どうか…、助けてください。」

 それが、アドニを悲しませる選択になっても、ボクはアドニが生きている方がずっといい。これが、ボクの本当にことなんだから。

 ボクの答えを聞き、ヤレンが目を細め、止血していた手を離した。ボクは何をするつもりなのか分からず、黙って見つめた。

 ヤレンはアドニの心臓の上に右手をそっと置いた。すると、血まみれの手がきらめき、中指に金の指輪が現れた。

 ヤレンがまるで囁くように唱えた。

「我が名は竜、ヤナ・ブライト。我が盟約に従い、彼の者に祝福を与え給え。」

 ボクは、その呪文を聞いたことがあった。王がボクに唱えた呪文と同じだ。

 唱えた途端、アドニの身体が金色の炎に包まれた。あまりの眩しさに目を細めた。何が起こっているのかボクには分からない。だが、この金色の炎は理を外れ、再びアドニに命を与えていることだけは理解した。

 炎が消える頃には傷が跡形もなく消え、呼吸も落ち着き、顔色も戻っていた。ボクは、この奇跡にまた涙がこぼれ落ちた。こんなにも、アドニが生きていることが嬉しいとは思わなかった。涙が溢れて止まらない。

 ヤレンは、血塗れの手を己の服で拭い、ボクの涙を指で拭った。

「これで君の願いは叶った。次は僕の願いを叶えてもらう番だ。」

 ボクはどうしようもない運命に巻き込まれていく。だけど、今は自分の意志で、それを受け入れようと誓った。

 ボクが頷くと、ヤレンは目を細めて微笑み、アドニに小さく呟いた。

「アドニ、君の可愛い子を僕が預かるね。それが、まわりまわって、きっと君の為になる。どうか、神様、僕の友に祝福を。」

 そう言って、アドニの髪を優しく撫でた。ボクはその表情からアドニとヤレンは親密な関係である、又はあったことを察した。

 ヤレンは立ち上がって、ボクを見降ろした。

「アドニに別れの挨拶をしなくてもいいのかい?ほんの少しなら、待ってあげるよ。」

「でも、今は意識がないですし…。」

「大丈夫、聞こえるさ。きっと何も言わずにいなくなったら、アドニ怒るよ。」

 そう言われて、ボクはアドニの頬にそっと触れた。ひんやりと冷たい。ボクから触るのは、これで初めてだ。そして、最後になる。

「…ア、アドニ。ごめんなさい。ボクは…、あなたの共に歩むことができません。でも…、それでもあなたをいつも思っています。どうか…ボクのことは…忘れてください。」

 ボクはアドニの額に口づけした。初めてのキスは、ほんの少し塩辛かった。

 *

 髪がぐちゃぐちゃになるほどの強風に吹かれ、ボクは大きな生き物の背中に乗り空を飛んでいた。

 その生き物は鱗で覆われたトカゲのような形をしており、太陽に照らされて淡く金色に輝いていた。名前はと言うらしい。

 その竜の背中には、ボクとヤレン、そして、イズミルが乗っていた。ボクは竜の羽の付け根に座り、警戒しながら2人を眺めた。

「なあ、ヤレン。いい加減、説明してくれ。なんで人間を助けたんだ。それに竜の宝石を連れてくるなんて…。蜘蛛を入れられているんだぞ。罠だったら、どうするつもりなんだ。」

 イズミルが険しい表情でヤレンに問うた。ヤレンは竜の首を撫でながら、何でもないように答えた。

「なんでって、それは使えると思ったからさ。この子、僕が作り上げた魔術式をあっさり解いてしまったんだよ。あの竜の人間を助けるだけで、宝石が手に入るなら安いもんさ。それに、この子には蜘蛛が入ってない。そうだよね?」

「…そうですが…、なぜ分かったんですか。」

「雰囲気、臭いともいうべきかな。蜘蛛が入っている人間は、臭いがほんの少し異なるからね。」

 臭いと言われても、ボクにはピンとこなかった。だが、ヤレンが非常に特殊な能力者であることは、さっきの呪文で良く分かっていた。通常の人間には見えないものが見える人なんだろう。

 ヤレンは、顔にかかっていた髪を耳にかけた。

「しかし、さすがに手強いね。普通の人間は殺せたみたいだけど、宝石は誰1人殺せなかったんだろ?」

「ああ、傷1つ付けられなかった。作戦は良かったが、やはりただの罠ではだめだな。」

「仕方ない。それが、宝石だ。僕1人の力では、やはり限界がある。たとえ、竜に選ばれていても、ね。」

 ヤレンが苦しそうに顔をしかめた。その苦しそうな表情を、イズミルが悲しそうに見ていた。ボクはイズミルの表情にドキッとする。たまに、ボクを見つめるアドニの表情と似ていた。だが、ボクはその気持ちをぐっと内側に押し込み、表面上は感情を隠した。

 ヤレンもイズミルの表情に気づいたのか、一瞬目を伏せた。しかし、すぐに気づかぬふりをして口を開いた。

「まあ、この子が手に入っただけでも良しとしよう。そう言えば、自己紹介がまだだったね。僕はヤレンと呼ばれている。そして、この緑髪のお兄さんはイズミル。イズミル・レイトだ。君は、なんていうんだい?」

 ボクは名を尋ねられ、答えていいものか迷った。だが、ずっと「この子」と呼ばれるのも変だ。

「ボクはベオグラード・ファセスと言います。」

「…ファセス?」

 ボクが名乗った途端、ヤレンの顔に戸惑いが浮かんだ。立ち上がり、ボクの目の前に座た。

「今、ファセスって言ったよね?それが本名?」

「はい、そうですが…。」

「ファセス、ファセスか…。そういうこともあるか…。その名前は、あまり名乗らない方がいいね。特に君は女の子だから、その名を名乗ると不幸になるかも。」

「…ボクは男なので、その心配はありません。」

「え!そうなのかい。それは失礼。随分と可愛らしい顔立ちだったから、てっきり女の子かと思ったよ。」

 ヤレンが「ごめんごめん」と可笑しそうに笑いながら謝った。

 ボクは、ヤレンにだけは言われたくないなと思った。「僕」と名乗っているところを見てもヤレンは男性なのだろうが、美男と言っても過言ではないほど、美しい顔立ちをしていた。肌が雪のように白く、大きなアーモンド形の瞳に、高い鼻、形の良い唇が品よく並んでいる。女性と言われても、何ら不思議ではないほど美しい人だ。

 その美しい顔には、何だか疲れて見えた。人生に疲れている、そんな風に見えた。

 ヤレンが不思議そうに、ボクをじっと見つめた。

「君、さっきまで泣いてたのに、今は表情が消えたみたいに無表情だね。もしかして、その武器を見るに噂に聞く人形なのかい?」

「…元はそうです。」

「やっぱりね。あいつ、人形まで買ってたのか。僕は運がいい。元人形の宝石なんて、そうそう手に入らない。そう思わない?」

 ヤレンがイズミルに視線を投げた。イズミルはボクをちらっと横目で見て、何とも言えない表情になった。

「どうだか。私も君もこの少年を縛るすべを持っていないじゃないか。もし裏切られたら、どうするつもりだ。」

「んー、そうだね。その時は、僕が責任を持って彼を殺すよ。だけど、ベオグラードが僕を裏切ることはないと思う。この子の内面は優しくて穏やかだ。それに、さっきの人間を助けた恩を、この子は忘れないよ。」

 ヤレンはボクの頬に触れて、目を細めて微笑んだ。こうやって頬に触れられるのは2度目だ。アドニと同じで優しくて気持ちを落ち着かせる温かさがあった。

 ヤレンはボクにだけ聞こえるように、声のトーンを落として呟いた。

「アドニの為に、あんなに泣いていたんだからね。でも、もっと強くならなきゃ誰も守れないよ。僕のところで、それを学ぶと良い。そうすれば、もう失うことも奪われることもない。」

「ボクは…そんなに弱いのでしょうか…」

「ああ、弱い。君はその刀と一緒だ。縦には鋭く切れる。だけど、横の衝撃には容易く折れてしまう。君は戦闘においては鋭く切れるのだろうけど、他はてんでだめだね。」

 ボクは目を伏せた。確かにそうだ。ボクはただ言われるままに人間を殺す道具だった。それ以外は何1つできない。

 ボクがしゅんとしてしまったので、ヤレンが慰めるようにボクに言った。

「まあ、僕もね。さっきは偉そうに君に説教を垂れたけど、昔は世間知らずの愚かな子どもだった。大切な人を守れず、ただ殺されるのを息を殺して眺めていたことだってある。ようは自分の弱さ愚かさを自覚して、それを克服すればいいのさ。君はまだ若いし、伸びしろがある。大丈夫。努力する方向を間違えなければ、きっと強くなれるよ。」

 嘘のない真っ直ぐな言葉に、ボクは自分の中に炎が燃え上がるのを感じた。

 もっと強くなりたい。もっと人間の心が分かるようになりたい。もっと優しくてなりたい。そして、もう誰も奪われたくない。

 ボクの瞳に宿った光を、ヤレンが見ていた。彼の目にも同じ光が見える。だが、それは憎悪によって暗く濁っていた。

 ヤレンは立ち上がると、竜の首につかまり下を指さした。

「見えて来たよ。あそこが僕たちの街だ。そして、これから君が暮らすことになる。名は…霧の街。」

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