第2話
商人の馬車から樽と木箱が転げ落ち、その中に入っていたものが周囲に飛び散った。
一つはワイン樽だったため地面が真っ赤に染まり、もう一つの木箱からは詰め込まれていた野菜が勢いよく転がっている。
商人が慌てて御者に馬車を止めるように言っていると、野良なのか、犬や猫、さらには豚や鶏などが野菜に群がり始めていた。
それを見た商人は群がった動物を追い払おうと、勇んで馬車から降りようした。
だが、足を引っかけて、先に落ちたの野菜のように派手に転がった。
それを見ていた農民の女性たちがクスクスと笑みを浮かべ、面白がっている子供たちは大声で笑う。
その中でも誰よりも大きな笑い声を出していたのは馬に乗った少女――シャルル・ダルタニャンだ。
「見てみなよロシナンテ。メトロポリテーヌ王国の中心街はやっぱり活気があるね。ボクはもうこの街が好きになっちゃった」
顔に傷がある女性に湖へと落とされたシャルルは、あれから道端で火を起こして服を乾かした。
その数日後に、ロシナンテと共に目的地であるメトロポリテーヌ王国へとたどり着いたのだ。
村では見られない石畳の道や、大勢の街を歩く人々。
シャルルは、初めて来た故郷の首都は、なんて華やかなのだろうと目を輝かせている。
彼女はそれまで不機嫌だったが、憧れていた王国の街並みを見たせいか、もうすっかり機嫌が直ってしまっている。
そんな彼女の弾んだ声を聞いたロシナンテは嬉しそうに鼻を鳴らした。
ロシナンテにとっては、シャルルが元気なことが何よりなのだ。
意気揚々と街を進んでいくシャルルは、どこへ行けば銃士隊に入れてもらえるのか考えた。
まずは士官学校だろうか。
しかし、自分は剣の戦い方ならすでに知っている。
亡き父親に鍛えられた剣の腕前があるというのに、今さら何を学ぶというのだ。
そう思ったシャルルは、とりあえず街を回ってみることにした。
焦ることはない。
ここはもう、かつて父が武勇を轟かせた花の都なのだと。
大きな教会や宮殿。
それと声を出し、客を集めようとしている酒場や屋台の店。
街を歩く従者を誇らしげに連れた男たちや、大きな帽子やパラソルから顔をチラチラと見せている若い女性など。
田舎で生まれたシャルルには、どれも刺激的に映っていた。
陽も暮れ始めた頃。
シャルルは市場へとたどり着き、そこで馬――ロシナンテから降りた。
そして、水飲み場へとロシナンテに水を飲ませた。
どんなに空腹だろうが、喉が渇いていようが、ロシナンテはどんな馬よりも――いや、人間よりもかもしれない。
とても上品に飲食物を口へと運ぶ。
けしてガツガツしないロシナンテのことを、シャルルは誇らしく思っている。
ロシナンテが水を飲むのを確認したシャルルは、自分の荷物からまずはナイフ、それからパンとチーズを取り出して食事を始めた。
切り分けたチーズをパンの上に乗せ、口を大きくしてパクリと食べる。
その姿はロシナンテと比べると、ずいぶんと下品だ。
少し呆れたのか、ロシナンテがまるでため息でもつくかのように鳴くと――。
「あ……あれは……!?」
シャルルの目に、赤い制服を着た女性が映った。
十メートルほど先、値段のことで揉めている屋台の店主の中年女性と女の客の横を通り、人混みの中にその女はいた。
シャルルは目で女を追い、口にくわえていたパンを食べるのも忘れてしまっていた。
間違いない。
愛馬を侮辱して謝罪もせず、さらに自分とロシナンテを湖に落とした顔に傷のある女だ。
顔に傷のある女は、何か苛立った様子だった。
すれ違う相手を睨みつけ、わざわざ威圧するように歩いていた。
「逃がさないぞ。今度こそ決闘だ!」
シャルルはロシナンテにここから動かないように伝えると、パンをくわえたまま女を追いかけた。
混みあっている市場の中を、他人の迷惑も考えずに駆け抜けていく。
道で寝ていた豚が悲鳴をあげ、鶏がせわしなく鳴き出すと、周りにいた人々も声をあげ始めていた。
その混乱で屋台の商品であるリンゴは転がり、肩がぶつかったとシャルルに文句を言う者もいたが、彼女は頭を下げながらも相手にせず、女の追跡を続けた。
今のシャルルは、自分の家族――愛馬ロシナンテをあの女にバカにされたことで頭が一杯になっていた。
だが、必死で追いかけたものの、結局は見失ってしまった。
仕方がないと、ロシナンテのいる水飲み場まで戻ろうとしたとき。
振る向き様に、人にぶつかってしまう。
チャリーンと硬貨が地面を転がる音がした。
「あ、ごめんなさい!」
シャルルは先ほどの人混みの中を駆けていたときは違い、今度はしっかりと謝った。
頭を下げてから顔を上げると、そこには女性がいた。
その顔は凛々しく、背も高い。
そして、その雰囲気や仕草には気高さが感じられた。
シャルルは、もしかしたらこの女性は銃士か騎士なのかもしれないと思った。
「ぶつかったことは構わない。まあ、よくあることだ。私のほうこそ不注意を詫びよう」
凛々しい女性はそう言うと、穏やかな笑みを浮かべて頭を下げた。
シャルルは感動していた。
村を出てからは他人をバカにするような人間にばかり会って来たからだ。
それに、やはりこの凛々しい女性は銃士か騎士だ。
でなければ、女性が制服を着て剣を腰に下げているはずがない。
シャルルは、この女性と知り合うきっかけがほしくて何か話をしようとした。
だが、会ったばかりの人間に何を話せばいいのか。
シャルルがまごまごしていると、凛々しい女性が地面に転がった硬貨を探し始めていた。
それを見たシャルルは、何を口にすればいいのかを思いついた。
「いくら落としたんですか?」
「銅貨を三枚だ」
「なんだ。それくらいなら払うよ。落としちゃったのはボクのせいだし」
「“それくらいなら”……だと?」
凛々しい女性はスッと立ち上がると、物凄い形相でシャルルを睨みつけ始めた。
先ほどの穏やかな笑みはどこへやら、彼女は明らかにシャルルに敵意を抱いているのがわかる。
「銅貨を笑うものは銅貨に泣く。私がお前に金の価値というものを教えてやろう」
凛々しい女性は静かにそう言うと、腰に下げていた剣に手をかけた。
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