戦国諸子文献から見る中国戦国時代の城郭について

ラーさん

はじめに

はじめに

 中国の都市は古くは殷代から都市に城壁を備えた城郭都市であり、その形態は様々な時代の変遷はあっても基本的に近代にまで受け継がれてきた。城郭都市という都市形態は中国史において普遍的なものであり、それは中国文明の特徴のひとつに数えてよいものであろう。

 古代中国の城郭研究は、古くは那波利貞氏の「支那都邑の城郭と其の起源」(注1)に始まり、古代中国の都市における城郭存在を示した。これを受けて古代中国の城郭研究の基礎を構築したのが宮崎市定氏である。宮崎氏は「中国城郭の起源異説」(注2)で、殷周時代を城郭都市の起源とし、始め王宮・宗廟だけを守っていた城が、都市の発達とともに、外敵からの住民の保護を目的とした郭を備えるようになり内城外郭の都城形式が登場したとした。しかし、外郭の防衛上の重要性が増すにつれ、次第に内城の機能が軽視され、ついに内城と外郭の防衛機能が一体化して、「郭」を「城」と呼称するに至った。宮崎氏は以上の城郭の発展モデルを氏族制度(先史時代)―都市国家(殷周春秋時代)―領土国家(戦国時代)―大帝国(秦漢時代)として、中国古代史の発展段階と順応するものとした。

 この発展史において戦国時代は城郭都市の発展した時代であるとされ、そのことは文献史料のみならず、近年盛んな考古発掘によって発見された多数の城郭遺構からも実証されている(注3)。

 この戦国時代の城郭の発展の要因については都市の発展と一体化して考えられ、特に二つの視点から研究がなされてきた。つまり宇都宮淸吉氏を代表とする、都市の経済的発達を重視する説(注4)と、宮崎市定氏を代表とする、政治的軍事的発達を重視する説(注5)の二つの説である。

 前者の説は具体的に、春秋戦国の間に発達した農業、手工業、商業の発展が、商品経済の発展につながり、それにともなって巨大経済圏が成立して各国に大商業都市と人口の都市集中が起こったとし、それを前漢に続く商工業の繁栄に結び付ける説である。宇都宮氏をはじめ、楊寛氏(注6)、兪偉超氏(注7)などがこの立場を取る。この立場にあっては、城郭を人口の増大や集中による都市規模の拡大のように、経済的発展の指標として用いる傾向が強い。

 対するに後者の説は、「戦国時代における大都市の発達は、純粋に経済的な原因によるものではなく、最も多く政治的、或いは軍事的な理由による繁栄だった」とする宮崎氏の前者に対する批判として打ち出された見解である。この見解では大都市は政治的理由により人為的になされた人間、物資の集積により二義的に商業が発達した特別な都市であり、大都市以外の多数の地方都市は依然微力な農業都市として止まっていたとされる。このような見解は、伊藤道治氏(注8)、影山剛氏(注9)、池田雄一氏(注10)、五井直弘氏(注11)、佐原康夫氏(注12)などの研究に受け継がれている。この立場にあっては城郭を防衛強化のために拡大した、都市の軍事的発展の指標として用いる傾向が強い。

 さらに江村治樹氏この両者の説を受けて、考古発掘資料から城郭の規模と分布の地域差を検討し、前者の説は三晋のある中原地域、後者の説はそれ以外の周縁地域にそれぞれ当てはまると、両説の地域別並存説を唱えた(注13)。

 しかし、これらの研究に共通する問題点は、城郭の存在を戦争や都市発展といった社会現象に付随するものとして捉えていることである。そのために戦国時代にあって城郭そのものがどのような機能を果たしていたか、またはどのような機能を期待されていたのかについて、主題とする研究はほとんどされてこなかった。

 また近年の考古発掘資料の増加は、城郭研究にとって歓迎すべき状況であるが、その利用機会が増えることによって、考古資料と照らし合わせるために本来必要な、文献上の城郭史料の整理が行われていないように思われる。それぞれの城郭史料の性格を検討せずに考古資料の傍証として引用することには問題があるであろう。特に活用できる文献史料の乏しい戦国時代にあっては、諸子文献の利用は避けられない状況である。しかし、これら諸子文献の史料は、諸子それぞれの思想的立場から社会の在り方を認識して再構築したものであり、そこに登場する城郭は、当然ながら諸子思想を背景に持つ諸子の城郭観である。我々が求めるべき、戦国時代の城郭実態は、その城郭観を取り除いたところにあると考えられるのである(注14)。戦国時代の城郭を研究するにあたって、諸子文献中の城郭史料の整理、検討は欠くことのできない基本作業であると思われる。この作業を行ってこなかったため、今まで利用されてこなかった城郭史料は多かった。

 そこで本稿では、戦国諸子文献の城郭史料と諸子の城郭観の整理を試み、そこから戦国時代に想定された城郭機能とその実態について検討し、その史料環境の改善を行っていきたい。以上の目的に従って、本稿では『孟子』『墨子』『荀子』『韓非子』『管子』『呂氏春秋』に見られる城郭史料の整理と、その城郭観の検討を行ってみた。



(注1) 那波利貞「支那都邑の城郭と其の起源」(『史林』一〇―二 一九二五)

(注2) 宮崎市定「中国城郭の起源異説」(『宮崎市定全集三 古代』岩波書店 一九九一収録)

(注3) 楊寛『戦国史(増訂本)』(上海人民出版社 一九九八)、五井直弘『中国古代の城郭都市と地域支配』(名著刊行会 二〇〇二)、佐原康夫『漢代都市機構の研究』(汲古書院 二〇〇二)、江村治樹『春秋戦国秦漢時代出土文字資料の研究』(汲古書院 二〇〇〇)、同『戦国秦漢時代の都市と国家―考古学と文献史学からのアプローチ』(白帝社 二〇〇五)など。

(注4) 宇都宮淸吉「西漢時代の都市」(『東方学』二 一九五一)

(注5) 宮崎市定「戦国時代の都市」(『宮崎市定全集三 古代』岩波書店 一九九一収録)

(注6) 楊氏前掲書。

(注7) 兪偉超「中国古代都城規劃的発展段階性―為中国考古学会第五次年会而作」(『文物』一九八五―二)

(注8) 伊藤道治「先秦時代の都市」(『研究』三〇 一九六三)

(注9) 影山剛『中国古代の商工業と専売制』(東京大学出版会 一九八四)

(注10) 池田雄一『中国古代集落と地方行政』(汲古書院 二〇〇二)

(注11) 五井氏前掲書。

(注12) 佐原氏前掲書。

(注13) 江村氏前掲書。

(注14) 陳力氏は儒家、管子、陰陽家の都市理論の思想的特徴を整理しているが、その思想の背後にある現実における都市実態までは検討していない。陳力「東周秦漢時代の都市理論について」(『阪南論集』三五―一 一九九六)

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