第六話 『不帰の砂漠イルカルラ』 その86


「……気休めか。腹を刺された男には、そうかもしれん。だが、オレは違うぞ。地獄のような環境など、もはや何度も越えてきた。あきらめるな」


「……だが、な……」


 もはや、動くことも出来なさそうだ。出血は続いているな……だが、オレもようやく冷静になっている。仕事があるからな。


 目の前の男を死なせないようにする。そいつが、オレのすべきことだ。メイウェイの傷を魔眼で見抜けたよ。奇跡的なことに、左の腹を貫いた剣の刃は腎臓に向かう血管から、ギリギリで上を走り抜けている。


「……助かるぞ。死ぬことはない。この傷ではな……おい、お前」


「お、オレか!?」


「そうだ。お前でいいんだ。こっちに来い」


 すぐ近くにいた戦士を呼んだ、彼は緊張の極みといった表情になっているが、やらせることは単純なことだ。


「メイウェイを押さえつけておけ。剣を抜く。医者が来るより、先に初めるぞ」


「だ、大丈夫なのか!?」


「医者にはない目をオレは持っているんだよ」


 金色に輝く魔眼を見せつける。戦士は、緊張なのか、それとも畏怖が由来のものなのか、生唾を呑み込む音をノドから立てていた。


「……その目が、奇跡の勝利を呼んだのか……?」


 メイウェイは恨み節のような声音を使って訊いてきやがった。


「違うな。オレの勝利は、仲間たちと共に勝ち取ったものだ……魔法の目玉だけで、ヒトは奇跡など起こせん。だが……お前の傷を治療してやることは可能だ」


「……私は……」


「死ぬな。お前に死なれると、困ることになるんでな」


 ……そうだ。素直に告げるが、このままメイウェイが死亡すると、とんでもなく困る。メイウェイの軽装騎兵たちは、戦意を失いかけている。


 側近の一人が裏切ったんだぞ?……メイウェイのあとを継ぐヤツがいない。いたとしてもメイウェイが死んだインパクトは大きすぎる……ッ。


 死なれるとな……ここの軽装騎兵たちだけでなく、『新生イルカルラ血盟団』が危険だ。アルノア軍に片っ端から崩されかねん……。


「押さえろ」


「あ、ああ!……大佐、失礼します……っ」


「……すまんな」


 戦士にメイウェイの体を押さえさせて、オレはメイウェイの左の腹を貫いている剣を抜きにかかる……。


「動くなよ、メイウェイ。下手に動くと、大きな血管を切り裂くことになるぞ」


「……ああ」


「抜くぞ」


 角度に気を付けながら、慎重に抜いていく。痛みを感じさせるているだろうが、メイウェイは動かなかった。顔を歪めてはいるが、耐えている。我慢強い男で良かった。どちらかと言えば、メイウェイを固定している男の表情の方が苦しそうなほどだ。


 ……アルノア軍が近づいているなかで、指揮官が重症……最悪な状況だからな。


 オレは、今は治療のことだけに集中した。ガルフと購入した解剖学の教本を思い出しながら、魔眼で血液の流れを見切りつつ血管の位置を気取る……腹の動脈から、腎臓に枝分かれする動脈の位置……それから、刃を離すようにする。


 少しばかり、残酷な動きではある。剣を押し上げて傷口を広げた。そうして、スペースを作る。デカい動脈を切り裂くことに比べれば、腹の肉が切れた方がマシだからだ。


 当然ながら、腹の肉を切り裂く痛みを与えてしまう。メイウェイの苦悶が深まり、支える男は不安げになる。


「だ、大丈夫なのかよ」


「大丈夫だ。動くな。そして、動かすな。血管から刃は離した。これから、完全に引き抜くぞ……」


「……あ、ああ。大佐、がんばってください……ッ」


 殺すときの千倍は集中しながら、オレは剣を抜いていく……最も気をつけるべきなのは、剣の先端だ。最も鋭く、抜ける間際は最も動きやすい。不意な動作で、致命傷を与えかねない。


 オレはメイウェイの静かな呼吸を読みながら、メイウェイが息を吐いた瞬間に剣を抜いていた。横隔膜が、上がり、内臓と腹回りの筋肉が緩んだタイミングだ。武術を行う者ならば、読み切ることは容易いものだが―――医学の知識もなければ、この意味は分からん。


 剣が抜けた……その瞬間、メイウェイの傷口からは血があふれ出す。


「お、おい!?」


「押さえろ」


「あ、ああ!!」


 戦士の手が、必死にその傷口を押えていた。オレは、べつに慌てない。勢いはなかった。デカい動脈は切れていない。傷口から、体のなかにたまっていた血が一気に噴き出しただけに過ぎないことだ。


 抜いた剣を捨てて、腰裏にある医療パックから『血止めの秘薬』を取り出す。


「手を離せ」


「わ、わかった……っ」


 そう言ったが、戦士の手は動かない。気持ちも分かる。死をその手で押しとどめている感覚を持っているのだろうからな。


「大丈夫だ。オレを信じろ。オレは、この男を死なせたくない」


「……た、頼むぜ」


「任せろ」


 ようやく緊張の呪縛から解放されたのか、戦士はメイウェイの傷口から手を離してくれたよ。オレはエルフの秘薬を素早くその傷口に注ぎ込む。


「ぐううう……っ!?」


「痛む仕様だ。痛みと共に、傷口をキレイにする。そのあとで、出血を無理やりに止めるんだよ」


 メイウェイにそう言い聞かせながら、オレは傷口の出血が止まるのを確認する。確認したあとは、『造血の秘薬』が詰められた注射器を使うんだ。そいつをメイウェイの太ももの付け根に突き刺す。


 大きめの静脈がある。そこに針を突き刺して、エルフの秘薬の力に頼る。頼りながら、手の平を使って、傷口に集めるような圧力をかけながら、それが一秒でも早く固まることに期待する……祈りの時間だ。そして、思索の時間でもある。


 参ったな。


 どいつもこいつも葬儀の参列者みたいな面になっている……これから、十分もすれば、アルノア軍に遭遇するというのに……どうすべきだ?どうすりゃいい?考えなくてはならん。




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