第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その65


 オレの腕のあいだから『聖なる呪われた娘』が飛び立つ。


「『闇の翼よ』―――』


 漆黒の『闇』が優雅に踊る。日光の力なんざ軽々とはね飛ばしてな。『吸血鬼』は太陽の光に負けることはない。伝説など、あてにならないということだ。


 『闇』はオレとゼファー以外の間をすり抜けるようにして走り、戦士たちを呑み込むと無数の『コウモリ』へと枝分かれしていく。


 青空のなかを広がる『闇』の眷属を見上げていると、その力の強大さを思い知らされる。本来はヒトには使うことを許されていない力―――神秘を感じるね。空を飛ぶ『コウモリ』たちの影は、青空を切り裂くように羽ばたいているんだ。


『では、行ってきますね、ソルジェさま!ゼファーちゃん!』


「ああ」


『がんばってー』


 『コウモリ』は地上へと向かう。戦士たちを戦場へと導く闇色の女神だ。『闇』の群れは地上にいる帝国人を目指す。


 『ラーシャール』の街のなかには破壊の火がつけられていた。あちこちが燃えている。帝国人どもの『浄化騎士団』とやらは、徹底しているようだ。民家も店舗もお構いなしというように見える。


 通りの店はもちろんのこと、そして貧しげな小さな家が建ち並ぶ区画からも煙が上がっていた。亜人種の店と家は燃やせという発想か……いや、燃やしているだけなら良いのだが、亜人種への殺戮も行っているだろう。


 ……罪深いことだ。


 騎士を名乗る者たちの行いとして、間違っている。だが、『正義』が違うということはこういうことでもある。帝国人の若者たちにとっては、亜人種を殺すことは『正義』でしかないようだ。


 背中の竜太刀が誇りの熱量を宿し、オレの背中にアーレスの心を伝えてくれる。怒り狂っているのさ。民衆を殺し、焼き払おうとする帝国人についてな……そいつは、そうだよな、アーレス。


 分かるぜ。


 お前がくれたこの左眼は、9年前、焼け落ちたオレたちの故郷を見たんだから。ああ、カミラがいつもより張り切っている理由は、それかもしれない。


 焼かれる民を見ることが、オレをどれだけ苦しめているかを、あのやさしいオレの妻は知ってくれているんだよ。


 ……冷静を装わなければ、戦略的な理由で心を縛らなければ、冷静さを喪失しかねない。復讐と怒りの衝動ってのは、何ともコントロールが難しい感情だからな。


 オレの代わりに怒ってくれているから、今日のカミラはいつにも増して魅力的に見えるんだよ。


 ゼファーの視覚を通じて、地上の光景が左眼経由に心へと届く。


 『コウモリ』の群れは、帝国兵士の一団の背後に降臨する。『闇』の使徒どもが走っていたな。ギュスターブ・リコッド、ラシード、そして、マルケス・アインウルフだ。


 ギュスターブは容赦なく帝国兵士たちを背後から斬り裂いた。飛び込みながら長剣で斬り捨てる。その直後は沈むように加速して、敵兵に近づいた瞬間にドワーフ・スピンを使うのだ。


 竜巻のようだ。ドワーフ族にしか、あの鋭さと強さは出せない。完全無欠のドワーフ・スピンによる回転剣舞は、残酷な鋼の旋風へと変わり、一人、二人、三人と斬り伏せる。回転しながら、地上を這うように直進する……人間族の体躯では難しい技巧だった。


 オレを嫉妬させる剣士は、そうはいないものだ。


 ギュスターブとの勝負には勝つことは出来る。だが、オレには出来ない技巧を、ドワーフ族の奥義の数々をギュスターブは使えるんだよ。


「―――き、貴様あああ!?」


「―――ドワーフの戦士だと!?」


「―――そうだ。一体、『どこ』から来たんだろうな?」


 ゼファーの聴覚が地上の言葉を拾ってくれる。ギュスターブは知恵も使うようになったのか?……鎖国された国を飛び出した剣士の話術は、帝国の殺戮者どもに疑問を抱かせたようだ。


 ……ギュスターブにしては、鋭すぎる心理戦か。ラシードの入れ知恵かもしれない。『浄化騎士団』の構成員がアルノアの騎士団の親衛隊たちである可能性は高い。全員ではないかもしれないが、主要な騎士はそいつらが含まれている可能性はある。


 『ラクタパクシャ』の行動を知っているヤツらもいるだろうってことさ。『ラクタパクシャ』が『大穴集落』を襲撃したことを知っているヤツらもいる。ドワーフ族の戦士の登場は、『大穴集落』襲撃が失敗しただけでなく、戦士たちが健在であり、報復のために北上してきている可能性だって連想させるのさ。


 唐突なドワーフ戦士の登場に、帝国人どもの一部は困惑しているな……そいつらはアルノアの親衛隊かもしれん。


 だが、ドワーフの戦士ばかりに気を取られている場合ではない。ラシードの槍が帝国人たちに襲いかかる!


「―――ぐうう!?」


「―――つ、強いぞッ!!」


「―――当然だ!!」


 巨人の槍は勢いよく振り回される。ラシードの槍を血塗られて剣で受け止めた帝国人の体が宙に飛ばされ、勢いを削ぐことのないままクリーム色のレンガの壁へと叩きつけられていた。背骨を痛めつけられて、呼吸も壊されただろう。


 呻きながら倒れかけたそいつの喉元に向かって、ラシードの槍の石突きの強打が命中していた。喉が壊されただろうし、頸椎も壊れたさ。出血に溺れながら苦しんで死ぬことになる。


 無慈悲な攻撃は、同胞を手にかけられた者の怒りの表れでもあった。あの帝国人の剣が血塗られていなければ……ラシードが、同胞たちの無残な死体を見なければ、もっと一瞬で死ねる技巧を使っただろう。殺すよりも難しい攻撃をあえて行うこともなく。


 ……帝国の若者は、人間族の男にも襲われることになった。


 マルケス・アインウルフ、帝国軍の将であった男だが―――今は無辜の民の死に怒れる男でしかない。アインウルフは素手だった。だが、別に問題とは想わん。オレは知っている。マルケス・アインウルフの特異な技巧。


 『不完全な雷』……ヤツは魔術の『才』を持っちゃいない。正確には『完璧な才能』を持っていない。だからこそ許された力でもある。『全身へのチャージ/筋力強化』、腕以外に『チャージ』を使えば、その力の強さにヒトの身は耐えられない。


 だが、『不完全な雷』しか使えないアインウルフは、不完全だからこその『全身強化』が可能となるのさ。羨ましいような気もするな、凡庸だからこそ極められた道でもある。


 アインウルフはそのスマートな体躯からは想像することも出来ない速さと、雄牛のような力で若い帝国人一人をねじ伏せていた。瞬発力で組み付き、腕力で圧倒した。大地に押し倒した帝国人の顔を拳で撃ち抜き、アインウルフはその兵士の頭がかぶっていた兜をブン取っていたよ。


 あくまで顔を隠すつもりだ。それでいい。自分の領地にいる家族のために、ヤツは匿名を守りたいのだからな。




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