第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その56


 ヒトには理想の中に生きたがる者がいる。妥協を許せず、潔癖で、とてもマジメな人物たちは、その傾向が強いかもしれない。


 ミシェール・ラインハット曹長も、そんなマジメな人物の一人なのだろう。彼女はオレの言葉に傷ついているようではないが、口惜しがってはいるようだった。理想主義者にとって、自分の理想が穢れることは大きな苦しみを持つものだ。


 彼女の理想はファリス帝国にあったのかもしれない。彼女の父親に大きな利益を与えて、彼女に人間族であることの自尊心を持たせてくれたのかもしれないが……帝国人は彼女から父親を奪った仇でもあった。


 うなる風のなかに、若い彼女の歯ぎしりが混じっていた。白い歯は若い葛藤のために、強く噛まれてしまっている。


「……世の中は複雑なものだな、ミシェール・ラインハット曹長」


「私の人生を、バカにするのか……?」


「そんなことのための言葉じゃない。オレは君の苦しみも分かるってだけだ。理想のために生きることを、軽んじることは出来ん」


「……竜使い」


「竜騎士だ」


「……竜騎士。お前たちが、アルノアの居城を襲ったのか?」


「ああ。そして、情報を君らに渡したつもりだがな。矢文に、アルノアが雇った傭兵団との契約書をつけて、帝国兵に向けて放った」


「……ねつ造したわけでは、ないのだな?」


「そこまで器用なことは出来ん。オレたちが『メイガーロフ』にたどり着いてから、二日しか経っていないからな」


「仕込む時間も無かったと……?」


「『メイガーロフ』の情報は、他国にあまり伝わっていない。内戦や紛争も多い土地だ。商いを考えれば、商人たちは口をつぐむ」


 『盗賊の被害』が想定される土地を渡る隊商には、投資を考えたときの大きなリスクが存在するからだ。盗賊に襲撃されて、全ての商品が奪われることもある。出資者になることを躊躇わせる不利な条件ということさ。


 『メイガーロフ』の情報が他国に伝わらない理由の一つを、オレは理解していたよ。商人たちが黙りこくっていたのさ。


「この土地で起きていたのは、武国の残党軍である『イルカルラ血盟団』のレジスタンス活動と、帝国人同士の覇権争いだ。アルノアは、欲深い悪人だな。他人の苦しみを気にせず、自己利益を追求するクズ野郎だよ」


「……そんなヤツに、父さんは殺されたというの……ッ」


「『ラクタパクシャ』を作った人物は、アルノアという名の帝国人の伯爵。それしかオレは知らないが、その事実には絶対の自信を持っている。自分で手に入れた情報だからな」


「……父さん……っ」


 口惜しさに耐えるために、白い歯には再び力が込められたようだ。マジメな彼女の奥歯は磨り減りが早いかもな。


 ……オレは、ミシェール・ラインハット曹長が『仲間』を刺し殺せた理由も分かった気がする。敵であるオレに確認などするまでもなく、彼女はとっくの昔に帝国人に抱いた理想と現実のあいだにある乖離に気がついていたのさ。


 『ラクタパクシャ』と同じような存在に見えたのかもしれない。メイウェイが信じた古株ではない兵士を、彼女自身は信じることが出来なかった。


 苦悩する少女兵士は剣の切っ先を下げる。意志が挫けそうになっている。戦うことは疲れることだ。彼女の葛藤という名の心の戦いは、彼女の精神力を大きく磨り減らしている。


 生きることの苦しみに疲れてしまいながら、彼女は悲しそうに瞳を細めた。


「……私は、こんなところで死ぬのかしら」


「いいや。君は死なないさ、ミシェール・ラインハット曹長。君とオレは根源的な意味では敵同士というわけではない」


「……敵じゃないなら、何なの?」


「さあな。まだ名づけられる段階にあるほど明確な形はしちゃいない。でも、オレは直感している。君とちょっとの間、語り合っただけだが、君と敵になる必要を感じていない」「私は帝国の兵士よ。現地採用だけど……腕は立つ」


「そうだな。君の強さは理解している。鋼に絡めた指の動きを見れば、君がどれだけの鍛錬を短期間で行ったのか、その鍛錬にどんな動機を持っていたのかも、君との会話で知れたからだ」


「……変な男だ」


「竜に乗る野蛮人だからな」


「……そうね。不思議な人間族だわ」


「……ミシェール。オレが知りたいのはメイウェイの行方だ」


「……話すと思う?」


「いいや」


「……そうよ。父さんと大佐は友人だったのよ?皮を剥がれていた父さんの遺体を抱きしめてくれた、数少ない人物だわ」


「メイウェイの悪い噂を聞かないな」


「いいヒトだもの」


「そうか。ならばこそ、生かす価値がある」


「どういうこと?」


「メイウェイはアルノアとの決戦に備えているんだろう?」


 無言が訪れる。これもまた雄弁ではあるか。否定しないんだからな。


「アルノアは若い兵士たちの支持を集めている……人間族を優先する政治をしたがっているからだ」


「……大佐が負けるとでも?」


「主力である若い兵士たちの心が傾いているのなら、可能性はあるかもな。現に、メイウェイはアルノアに暗殺されかけた。この土地の太守のはずなのに、砂漠を逃げ回っている状況だ」


「……大佐には、ベテランたちがついている」


「それと合流するつもりなわけだ。おそらく、『ラーシャール』で」


「……っ」


 沈黙は雄弁。彼女を見ていると、その法則を適応しやすい人物だと感じられる。


「メイウェイとアルノアのどちらもが潰し合ってくれれば、それが『自由同盟』にとっては理想的なシナリオの一つだが……敗色が濃厚なら、メイウェイは昔からの部下を犬死にさせることも望まないだろう」


 帝国軍人としての矜持は持っているようだからな。『ガッシャーラブル』ではなく、『ラーシャール』での戦いを選んだ。


 守るための戦いなら『ガッシャーラブル』の方が有利なはずなのに、それを選ばなかった。『自由同盟』との戦いを考えて、国境近くでの仲間割れを拒否するような男だ。自己利益を優先するような男ではない。


「善良な人物ってことさ。悪人と戦うには不利なところがある。メイウェイは、戦いで自ら降伏して死を選ぶかもしれん」


「そんな!!」


「……信じてくれるかは分からないが、オレはメイウェイを殺したいわけじゃない」


「それは、どういうこと?」


「ヤツを高く評価する人物は多いということだ。オレは、メイウェイの身柄を確保して、その命を守る。その結果として……協力者を増やすという仕事をしている」




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