第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その16
カラフルな布たちに覆われた、狭いが美しい空のなかを飛び回る。竜の飛び方は最高だが、カミラと一緒に化けた『コウモリ』ならではの飛び方も、オレは好きなんだよな。
『闇』の『コウモリ』たちの翼が、赤い布や青い布を叩きながら、メイウェイ不在に静かな緊張感を帯びた『ガッシャーラブル』の街並みを飛び抜けていった。
昼間に飛ぶ『コウモリ』のことを、街の者たちは気にしない。『コウモリ』は、これだけ速く飛べるのに、軽んじられているところがあるな。
オレたちは街並みを覆い隠すカラフルな布のあいだを、遊ぶようにすり抜けたあとで、あのアジトへと帰還する。暖炉の煙突から入り、オレたちはヒトの姿に戻っていた。
そこで待ち構えていたのは、チャミードたっぷりのマンサフの香りだった。
甘酸っぱいヨーグルトの香りを覚えたからな。知らないにおいだが、ラシードが故郷の味を披露してくれようとしていることは、容易に理解することが出来たよ。
「いいかおりっすね」
「ああ。ラシード、これが、マンサフってヤツだな?」
厨房にいるラシードに訊いてみたよ。ラシードは、大鍋の前で両腕を組んだまま、巨人族の頭をゆっくりとうなずかせていた。
「……炊きあがるのを待っているのか?」
「そうだ」
「大切な儀式なのか?……そのマンサフを作るためには?」
「なるほど……っ」
「そんなことはないぞ、カミラ殿よ」
「え、えへへ。そうっすかあ」
カミラは冗談のつもりで口にした言葉のはずなんだがな。ラシードはマジメな顔で返答してくれるのさ。オレは、どうにもにやけてしまう。
「何がおかしいのかね、ストラウス卿?」
「……なあに。こっちのことさ。それよりも、皆を起こしてくるとしようか」
「あ。ソルジェさま、自分が皆を起こしてきます」
「そうか?」
まあ、乙女たちの寝室に、ガルーナの野蛮人が入って行くことはセクハラまがいかもしれないからな。
「頼んだよ」
「頼まれました!」
嬉しそうに笑う働き者のカミラがいた。カミラの足音が、アジトのなかを元気に走っていき、仲間を呼びに行ったよ。
「ああ。戻ったのだな、ソルジェ」
リエルがそう語りながらやって来たよ。その手には、書類がある。
「……そいつは、シャーロンからのか?」
「うむ。かなりの文章量だな」
「急ぎか?」
「団長以外にも解読しても良いものであったからな、私が解読しておいてやったんだぞ」
「よく働いてくれたな」
「うむ」
「撫でてやろうか?」
「こ、子供扱いするでない。そういうのはミアやククルにしてやれ」
「そうだな……」
我が正妻エルフさんには、もっと大人の撫で方というものが相応しいか……リエルの短いスカートの下にある、ちいさくて元気の良い尻でも撫でてやろうかな……とも、考えていたが―――。
―――それなりの緊張感のある瞳を向けて来る。
「何かあったか?」
「……アインウルフが近くまで来ているようだ」
「オレと話し合いたいと?」
「そうらしいぞ。どうするのだ?」
「どうもこうもない。一度は、話し合わなければならない相手だ」
「アインウルフか……」
ラシードが夫婦の会話に割って入って来る。
アインウルフは、『メイガーロフ武国』を滅ぼした男だからな。因縁深い相手ではあるさ。
「……問題はあるか?ラシード?」
「いいや。何もない。問題はない。私は、すでにバルガスという男ではなくなっているのだからな」
「……フクザツだな。将軍……いや、ラシードよ」
「まあ、なかなか……色々とあるものだからな、リエル殿。しかし、私も、どうにか割り切っているつもりだ」
つもり。
そう、つもりなのさ。
ヒトはそんな単純な生き物じゃないからな。どんなに理性で考えたところで、感情が安定してくれるとは限らない。
ラシードは、冷静な顔をしている。ベテランだからな。感情を表に出さないようにする術に長けているだけでしかないのさ。
「……今は、とにかくメシにしようじゃないか。それからのことは、その後で考えるとしよう」
「……ああ。そうしてくれ。今、マンサフは完成したんだ」
ラシードの手がマンサフたっぷりの鍋のフタを開いていた。
酸味のある香りが、部屋に漂ってくる。
米と羊肉を、ヨーグルトがやわらかくしながら煮込んだのさ。ああ、味についての好奇心がわいてくるな。
「いいにおいがするー!!」
グルメな猫舌の大声が聞こえたよ。
「イエス。間違いなく、美味しいにおいであります」
腹ペコな『ゴースト・アヴェンジャー』の声も聞こえた。二人の気配は、風のように速く、この食卓へと接近して来る。
リエルは二人に見つかる前に、シャーロンからの書類を丸めて、バッグの中に放り込んでいた。
仕事のハナシは、昼飯の後にってことさ。
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