第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その39


 ドワーフたちの亡霊はゼファーの翼に宿り、故郷の空を走る砂塵まみれの風を翼跡に切り裂かせるのだ。ゼファーは加速しながら、夜が訪れようとしている『メイガーロフ』の空を飛翔していく……。


 乾いた石が転がる荒野は、すぐに起伏の多い砂漠へと様子を変えていた。夜風は急速に気温を低下させている……寒暖の差は、やはり激しいな。北から吹く風は、夜が呼び込む寒さを帯びていた……七月だというのに、この冷たさだ。


「……冷えますね、ソルジェ兄さん……っ」


「ああ。いや……気温そのものは、低いってほどじゃないんだろうがな。温度の差が強すぎて、体が辛いようだ」


「リング・マスター、キュレネイ、ククル。分かっていると思いますけれど、こういう時は体を痛めてしまいやすいものですわ。動きと重心移動には細心の注意を支払うこと。突発的なケガをしないように、普段の鍛錬された動き以外は絶対にしないように」


 さすがは、サーカス・アーティストさまだ。オレが言いたいことぐらいは、すぐに口にしてくれる。そうだ、サーカス芸人という職種は、体の負担を考えて行動しているもんだよ。


 派手に身体能力を発揮して、大暴れしているように見えている内は武術家としてシロウト以下のクソだ。


 サーカス芸人や踊り子の類いほど、鍛錬した動きしかしない存在はいない。普段の立ち居振る舞いからしたって、レイチェル・ミルラの完成度は高いもんだ。


 足の運びや、指の使い方。足底にある母趾球への体重のかけ方に、背骨を逸らすことでの重心移動の見事さ……レイチェルは優雅さを目指しているわけではなく、骨格にも筋肉にも最も負担が少ないような動きをしているだけだ……。


 まさに、彼女の歩行は機能美そのもの。最も突発的なケガをしない動作でありながら、常に重心移動と肉体の整備に気を使った動き―――いきなり戦闘を始めようが、いきなり舞踏を刻み始めようが、レイチェルの体は最良を成す。


「イエス。体を大事に、でありますな」


「そうです。連戦になる可能性はありますものね。夜風を吸い込みながらも、手足も指も、ゆっくりと動かしておくのよ?」


「それは……体に、気温を馴染ませるような感じでしょうか?」


「いい感性ね。そういうことよ。体は、気温に応じて変わる。張りの強さも、しなやかさも。気温が変わったことを、血にも肉にも意識にも教え込んでおけば、負傷する確率は大きく下げることが出来る。風に己を馴染ませ、鍛錬を頼りなさい」


「練度の高い動きほど、体は負傷しないものですからね……『メルカ』にも、星の魔女アルテマからの叡智として、その概念は伝わっています」


「なら、実践するのも楽ですわね。竜騎士の呼吸法も、リング・マスターからマネして修得しようとしていますもの。サーカスの教訓を動きと意識に反映させるのは楽ですわ」


「……言うは易しって気もしますが……そうですね。何事も経験ですから。やってみますね、レイチェルさん」


「ククルはいい子ですわね。リング・マスターは、いい妹に恵まれる星の巡りに生まれたのですわ」


「……ああ。本当に、心からそう思うよ」


 セシル・ストラウスも、ミア・マルー・ストラウスも、ククル・ストレガも……もちろん、ククリ・ストレガも。オレの自慢の妹たちだ。


 ……しかし、やはり今は亡きセシルのことを、どうしても思ってしまうな。オレは、オレの脚のあいだにいてくれる、ククルの頭を撫でたくなる。


「なあ、ククル」


「はい、なんでしょうか、ソルジェ兄さん」


「頭を撫でてもいいか」


「え、ええ!?」


「……撫でておかないと、心が逸りそうでな。『妹成分』が足りないのさ」


「……ククル。『妹成分』を吸収させてやるといいであります。団長は、亡くなられた妹御のことを想い、ややナーバスでありますぞ。燃やされた子でありますから、大穴集落の火災を見て、心が辛くなっているのであります」


「……ソルジェ兄さん……はい。で、では、思い切り、妹成分の方を、吸収しちゃってください!」


「ああ。吸収っていうか、撫でてるだけでも十分だよ」


 魔獣の革が張られた篭手の内側で、戦士の指で頭など撫でられても……心地良さもないだろうが。オレは記憶の底から浮上してくる怒りのせいで、どこか粗雑になりつつある心を沈めるために、ククルの妹成分に頼るのさ。


 黒い髪を撫でると、甘い洗髪液の香りが風に乗る……セシルにはない、大人の女の気配もククルは持ちつつあるのだ。17だからな、子も作れる立派な女だ……セシルも大人になれば、美しい少女になっただろう……。


 それを見ることも出来ず……想像することも許されない。


 親しい者の死がもたらす、影響の大きさたるやな……。


 手足と背が伸びきり、美しい乙女になったセシルのことを想像することが、オレにはどうにも悲しくて、出来ないのさ。現実には、絶対にありえないことを、想像することは、オレのような武骨でバカな蛮族の心には難しい。


 死というものが刻みつけた現実の重さが、オレの心のなかに永遠の7才を作っているのだ。いつか……ストラウス家の『未来』を継ぐために、新たな赤毛の竜騎士を産むはずだった、我が妹のことを想う……。


 ……悲しみだけでなく、怒りが心に広がるのだ。


 しかし、オレは竜騎士という生き方以外に、ガルフ・コルテスから猟兵という生き方を教わった戦士なのさ。


 怒りを精密な戦術のために使うことを、知っているんだ。


 そして、レイチェル・ミルラのコトバの裏も知っている。体と心は、レイチェルたち『人魚』や、あるいはサーカス芸人のなかでは、切り離すことが不可とされる、表裏一体の存在なんだよ。


 冷えた風を喰らうことで、オレの体は夜に馴染む。


 そして、それだけではなく……冷静さが血に走りもするのだ。炎が呼び覚ます痛苦と激怒と屈辱の感情は……夜風を喰らい、ククル・ストレガの『妹成分』を感じることで、落ち着いている。


 体は、心の容れ物だ。


 そして、だからこそ、体からの刺激や、体を動かそうとする意志の働きが、オレに冷静さをくれもするのだ。


 ……そうさ。


 オレは猟兵女子たちに、気を使われまくっているんだよ。大穴集落での戦いは、荒々しさが過ぎていたのかもしれん。


 自分の意志の統御を離れて、衝動的で雑な攻撃になっていたかもな。キュレネイ・ザトーのセミ・モードだって……アレは、けっきょく、オレのためだった。キュレネイだって、オレの妹みたいなもんだからな。年下の『家族』で女……。


 ……オレの可愛い『家出娘』かもしれないが、ああして妹っぽい者の命の重みや温かさに触れているとな。自分のことを少しは大事に出来るようになるのさ。オレという男は、そういうものだ。


 自分のことを大切にしようと心がけるのに、女に頼らなくちゃならない悪癖は直っちゃい亡いってことなんだよ、ガルフ・コルテス……アンタは、酒だけで全ての苦しみからも解放されていたからな……その境地にまで達するには、オレの髪は赤すぎるか。


 アンタぐらい、まっ白になるまで生きて、『白獅子』なんて言われるぐらいに、ボロボロになるまで生き抜かなきゃ、酒が真の万能薬になる日は来ないのかもしれんな。


「…………ククル、ありがとう」


「は、はい。妹成分は、補給できちゃいましたか?」


「出来たよ。オレは、おかげで冷静でいられるんだ。頭も、普段並みには回るだろう。お前やキュレネイに比べれば、鈍足もいいところだろうがな……だが、冷静に戦える。だからこそ、より多くの敵を殺せるというものだ」




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