第一話 『砂塵舞う山脈へ』 その18


 昼過ぎのいちばん暑い時間帯だからな。ブドウ畑が並ぶ、南側の斜面には人の気配はまばらだった。『ガッシャーラブル』の物見の塔には帝国兵がいるだろうからな、あまり近くを飛べば発見されてしまうかもしれない。


 神経質なほどに、物見の塔からは距離を取るようにしたよ。『ガッシャーラ山』の山肌は南の傾斜がキツいものの、起伏には富んでいる。物見の塔からの視線を遮るためために選ぶべき丘を見定めるのには、そう時間がかかるものではない。


 東側の稜線に隠れるようにしてゼファーを下降させるだけでもいいのだが、そのまま地表スレスレの低空飛行を楽しみながら、わずかながらに牧草の生えた丘の裏側に回り込む。


 こう飛べば、物見の塔からゼファーの姿を目撃されることはない。あまりイージー過ぎる降り方をするのは、つまらないからな。この土地の風の質を肌で実感しておくためにも、有益な行動だ。


 緊急時の動作は、平時の動作よりもおおむね鈍りが生まれる。慌てているからな、どうしても瞬間的な集中力と才能に頼って、最良の反応をする。間違いなく大なり小なりの失敗をしてしまう。


 コイツは慌てた時のための訓練だ。最良で無い場所での離着陸を学んでおくことで、悪い状況に備える。プロフェッショナルというのは、失敗しないベテランを言うのではなく、失敗をカバーすることの出来るベテランのことを指す言葉だよ。


 最良ではない条件下に備えるための、経験値稼ぎ。南から斜面を這うように走る風は熱く、不安定に揺れるということを、今、オレたちは思い知らされている。


 『メイガーロフ』の風は砂塵混じりで重たく、熱に踊り、起伏の多い土地は不意な風の不在をもたらす―――そういう情報は、よほどのバカでない限り、竜騎士なら想像力の範囲にある気象条件ではあるが、実際に体験することでリスクを肌になじませておきたい。


 ……そうすれば、想定外の状況に陥ったときでさえも、よりマシな行動が取れる。


 アイデアをストックしておくのさ。力任せに飛ぶだけでは、矢を躱せる速さは生まれやしないものだ。飛び抜けるのであれば、上昇気流に頼るか、この斜面をジグザクに下降しながら回避の軌道と加速を得るのが一番だ。


 その状況下で、『風』を使うことが可能なオレたちは、上昇気流を『風』の魔術で集めて、ゼファーの上昇を早めることも選択肢になるし。


 逆の状況下である『下って逃げる時』であれば、背後からの射撃に備えて、東に曲がる癖のある南風へ『風』を重ねてやることで、矢の軌道を妨害することもやれる。地上を『風』で力強く掃くことにより、砂と小石で敵の視界を遮ることも戦い方の一つになるだろうさ。


 ……あえて悪い条件の下で動くということも、竜騎士の経験値として活かせるわけだよ。説教臭くなり過ぎるから口には出さなかったが、ミアも地形によって風がどう動くかを調べていてくれる。


 ルルーシロアのパートナーになるという具体的な目標を得たからな、今のミアは竜騎士としての修行に集中している。オレが言わなくても、風を把握しようと努めてくれているんだからな。上出来さ。


 さて。オレたちは丘に隠れるように着地する。街道を移動する少数の商人からも目撃されることはなかったハズだ。いい飛び方だったよ。


 しかし、隠れるという行為の肝はどんな状況であっても、速やかに動くことだという事実は変わらない。ゼファーに告げるのさ。


「……上空をしばらく飛び回って、リハビリをしていてくれ、ゼファー」


『らじゃー!』


「疲れたら北側にあった湖で待機するんだ。『ガッシャーラブル』の周辺は、人目につくこともある、あまり近づくんじゃないぞ」


『うん。みつからないよーにしておくね!……じゃあ、みんな、がんばってね!!』


 ゼファーは元気な言葉を残し、瓦礫のような大きめな石が転がる地面を蹴りつけて走り、着陸コースを遡るような軌跡で飛翔することで、物見の塔の死角に入りながら空へと戻っていく。


 完璧な飛翔のルートだった。ミアは、この離陸についても目を離さない。予測の中にある風と、ゼファーの動きがどこまで一致するか。それを確認することも竜騎士の修行の内ってことさ……。


 稜線に消えたゼファーの翼跡を見つめながら、ミアは小さなアタマを何度もうなずかせていた。予測とゼファーの軌道が一致したことに、満足しているようだった。竜騎士にしか分からない感覚を、すでにミアは手にしているのさ。


 そのことが嬉しいから、ミアの黒髪をナデナデする。


「……いい勉強になったか?」


「うん!……ここの風、難しいけど……それだけに、覚える価値もたくさんあるカンジだよね!」


「ああ。興味深い風だ。夜になれば、冷える。風の動きも大きく変わることにも注意する必要があるな」


「そだね!……でも。今の風は……いいにおいっ!」


「……ああ。ブドウ畑の一部は、もう実っているようだ」


 ブドウは多くの種類があるものだし、ここの畑には、何種類ものブドウが植えてある。高い場所にある畑はまだ熟れてはいないようであったが、低い場所のブドウたちの中には実が丸々としているものも少なくない。


 食べ頃ってことだな。ワインにするよりも、甘味が強そうな香りがしている。そのまま食べたり、干しブドウにするのかもしれないな。


「……遅めの昼飯にワクワクしてくるな」


「ブドウ食べたい。ブドウ食べたーい」


「そうだな。そのためにも、まずは移動を開始する」


「団長、チームを分けた方が良いでしょう。あまり大勢では、警戒されるかもしれませんからね」


「ああ。オレを含めて人間族っぽく見える黒髪チーム、リエルとミアの『ガッシャーラブル』の住民に融け込むチーム、踊り子レイチェルとマネージャーのカミラ―――」


「―――まねーじゃー?な、何だか、難しそうな役回りっす」


「ウフフ。頼むわね、カミラ?」


「は、はい!おまかせあれ!」


 カミラは気合いを入れているな。そんなにマネージャーという職務に興味があったとは知らなかった。


「そして、その二人の護衛奴隷のガンダラってので、どうだ?」


「……ええ。美女二人の護衛奴隷なら、まあ、私も許容できる役目ですかな」


 ……美女二人の護衛奴隷なら、オレだってやってもいいかもしれない。喜ぶ男は少なくなさそうだ……もちろん、元・奴隷のガンダラがその立場を喜ぶとは考えてはいないのだがな。


「ガンダラ、お前には屈辱かもしれないが、カミラとレイチェルが帝国人に化けるのならば、そうした方が自然なんだ」


「分かりました。大丈夫ですよ、効果の消えた『魔銀の首かせ』をネクタイ代わりにするだけの、チープな変装をするだけですから」


 そう言いながらも、ガンダラはその太い巨人族の首筋に、『魔銀の首かせ』を装着していた。何とも痛ましい姿だな。友人のこんな姿を見たくはないものだが、仕事ならばガマンすることにするさ。


「……すまんな、ガンダラ」


「いいえ、問題はありませんよ。お気になさらずに」


「ああ……とにかく。この三つのグループで動くことにしよう。『ガッシャーラブル』の中に入っちまえば、ゴチャゴチャしているからオレたち全員の行動を怪しまれそうにもないが、城塞の中に入るまでは警戒される危険性を少なくするぞ」


「うむ。現地人に化けている私とミアが、先頭を務めようか?」


「……いや。オレとキュレネイとククルが先頭で行こう。二番手をリエルとミアだ」


「それは構わないが、何か理由でもあるのか……?」


「まずは人間族のグループを分けておきたい。大勢のグループほど、帝国の番兵は警戒を強めるだろうからな」


「なるほど。私とミアで、『区切る』というワケか」


「そうだ。旅人、現地人、旅人でな。オレたちは、どうにも商人には見えにくい。あまり大勢だと、山賊の類いかと疑われるかもしれない。種族で分かれている山賊が徘徊しているというのなら、人間族の山賊グループだっているだろう」


「人間族の山賊か。わかった、了解した。それぞれが街に入るタイミングも、少しずらした方が良さそうだな」


「ああ。可能な限り、怪しまれないように潜入するぜ……この街の情報を、オレたちはあまりに持っていないんだからな」




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