第一話 『砂塵舞う山脈へ』 その19


 作戦の通りに三つのチームに分かれて『ガッシャーラブル』へと向かう。地上に降りて歩き始めると、この土地の暑さが分かるな。


 街へと伸びる両サイドに無数のブドウ畑が並ぶ坂道……黒っぽく焦げて乾いた石を踏みながら、気温30度ほどの風に吹かれると汗が出て来そうだ。寒い土地から、いきなり南に降りて来た影響は大きい。


「……ソルジェ兄さん、汗が出てますね」


「……ああ。気温差が激しいからな。そのうち、慣れると思うぜ」


「イエス。いきなり砂漠の街に行かなかったのは、正解でありますな。徐々に暑さに慣れていくべきであります」


 そういう意味もあった選択じゃあるのさ。気温の差というのは、旅人としては気にしすぎることはないからな。


「キュレネイは暑いか?」


「イエス。さすがに。風通しの良いウールのマントは、重宝するであります……乾燥した土地の日差しは、強いでありますしな」


「高山は意外と日差しが強いものですからね」


 そう言いながらもククルの動きは軽やかなものだった。『ヴァルガロフ』のあるゼロニア平野も、それなりに乾燥しているし暑い土地ではある。ククルからすると気温の変化はそれほどでもないのだろうし……リズミカルに動くしなやかな脚を見ていると思うこともある。


「……久しぶりの高山地帯だから、嬉しいのか?」


「え?そ、そんな風に見えますか、ソルジェ兄さん?」


「ああ。『メルカ』はもっと寒いところだったが……標高の高い場所は、お前に故郷を想わせるのかなと……ちょっと思ったんだ」


「……はい。そうですね、少し、『メルカ』を感じます」


「ホームシックになるでありますか?」


「……そんなことはないです……って、言い切れるほどの自信はありませんね」


 ククルは素直に認めてくれた。『メルカ・コルン』として、生まれてからずっと『メルカ』で過ごして来たのだ。一人、故郷から離れる行いは、ククル・ストレガにとってさみしさを伴いはずがなかった。


「さみしくなったら、オレたちに甘えてくれ」


「は、はい……そ、そうしますね、ソルジェ兄さん」


「ああ。お前はオレの大切な妹分なんだからな、ククル」


「え、えへへ。ありがとうございます。でも……ソルジェ兄さんはもちろんですけれど、皆、私にとても良くして下さいます。カミラさんも、『ヴァルガロフ自警団』の方々も、とても良くしてくれています……」


 『メルカ』の外に出て、初めて長期間滞在した街が『ヴァルガロフ』というのは、思い返せば痛ましい気にもなる。アレほど不道徳で退廃的な街も、そうあるものじゃない。だが、ククルは適応してみせたか……ムチャさせ過ぎたかもな。


「……『ヴァルガロフ』では、苦労したか?」


「……未熟を思い知らされました」


「そうか。少し、話してくれるか?」


 斜面に沿うように並ぶブドウ畑のあいだは、妹分の苦労話を聞くには適しているような気がした。この長い坂道を歩くあいだに、ククルの物語にも触れておきたい。ククルとしっかりと話す時間を、取れてはいないからな。


 我が死せる妻、ジュナ・ストレガの最愛の妹たちの一人だ。オレは兄貴分として、ククルのことをもっと知っておきたいのさ。


 爽やかな甘さを放つ、たわわに実ったブドウたちに視線を向けながら、ククル・ストレガはゆっくりと頭をうなずかせていた。


「……私は、ソルジェ兄さんも知っての通り、『星の魔女アルテマ』の『ホムンクルス』の一人です」


「ああ」


「『星の魔女アルテマ』から、多くの知識や経験をそのまま特別な魔術や呪術を用いることで、受け継いでいます。長老ほどではありませんが、私にも、一般的な人々からすれば、数倍とか数十倍の知識が継承されている」


 『ホムンクルス』という存在は、そういう賢い存在らしい。基礎的な身体能力が高く、知性も高い。種族としては、人類の最高峰の能力を持っているかもしれないな。


 他の種族とは異なり、知識を個人から個人のあいだに手渡すように受け継げるという利点は、学術上の圧倒的な利点でもあるだろう。ククルの頭には、『星の魔女アルテマ』の叡智の何割かが備わっているのだ。


「……だから、私、ちょっと自信過剰になっていました。他の人より自分は優れているんだって、心の中で考えていたりして……でも、多少の知識があっても、世の中には通じないんだなって、思い知らされちゃいました」


「どんなことがあったんだ?」


「色々と、ミスをしちゃいました。カミラさんのお手伝いに、戦やヒト斬り事件の被害者の方の手術に立ち会ったりしましたが……『メルカ・コルン』相手とは、まったく違ったんです」


「……『メルカ・コルン』よりも、個性が多かっただろ?」


「はい!……『コルン』って、同じような考え方をしているし、同じ知識を持っているし……そもそも、意志の疎通が近くにいるだけでも成り立つトコロがあるんですが。患者さんを相手するには、患者さんそれぞれの性格を考えたりする必要があったんですが……」


「それが難しかったか」


「……知識の差や、負傷の理解の差。色々と感じました。私は、多くの医療知識もあるはずで、医療職の方々がなさることも、患者さんたちの症状も理解することが出来ました。でも、事実を冷徹に言うだけでは、医療の現場では役に立ちませんでした」


「不安にさせたか」


「ええ。もう助からないかもしれないほどの重傷な方には、皆、嘘をついてでも励ましたりするんです。そうすると、何人かは、私の予想をはるかに上回る生命力を見せつけた。生きる希望があるだけで、ヒトは強さを得るんですね。そういうことも、私、知らなかった」


「……いい経験になったな」


「はい!とても、有意義な経験でした。知識や気持ちを相手に伝えることって、本当に難しいですね。種族や、ううん、人それぞれに皆、心が違うんです。それってですね、私たち『メルカ・コルン』からすると、とても新鮮で、ちょっと理解するのが難しいことだったりもして……」


「世界観が広がったな」


「そうですね。とても広がりました。知識だけでは、理解することは難しいってこと、思い知らされちゃいまして……」


「いいことだ。今、こうしてブドウ畑を歩いている時間も、お前の世界観を広げているハズだぜ。『メルカ』でも『ヴァルガロフ』でも、見ることの無かった光景だ」


「……ええ。こんな過酷な環境でも、ヒトは農業を行えるんだと思うと、感動します。この高度で、これだけの果物がなるなんて……」


「上のほうの畑はワインに向くだろう。実が熟すのは、秋の初め頃になるだろうしな」


「はい。種類も違うんですよね」


「そうだ。上の方の畑にあるのは、小粒で酸味が強い種類だろう。そっちの方が、いい赤ワインに化けるんだ」


「……お酒の知識は、蜂蜜酒ぐらいしか『メルカ』には伝わっていません。アルテマはそれほど多くのお酒を好んだワケじゃないみたいです」


「もう少し大人になったら、オレがお前に酒の楽しみ方を教えてやるよ」


「お、大人の味を……ソルジェ兄さんに、教わっちゃうんですね……っ」


 何故か知らないが、赤面しているククルがそこにいた。


「そうだな。イヤか?」


「い、いえ。とっても楽しみです。ソルジェ兄さんとお酒を教わるの!」


「ああ、楽しみにしてやがれよ!」


「……そのときは、私にも教えてもらうでありますぞ、団長?」


 キュレネイ・ザトーがそう主張する。オレの顔をのぞき込みながらね。


「ああ。皆で酒を呑める夜を楽しみにしているよ」


「素敵な夜にするであります」


「そ、そうですね!……独り占めもしてみたいですけど……っ」


「……そのときは、もちろんククリも呼ぶぞ」


「はい。ククリも呼ばないと、拗ねちゃいますからね」


「団長は、美少女に囲まれて幸せ者でありますな」


「ククク!ああ、本当にそうだな」


 幸せな時間だったさ。今みたいに美少女二人と一緒に、爽やかな甘さの香るブドウ畑のあいだを歩くなんてことは。


 暑さも気にならなくなるほどに、脚は進んだ。ククルはそれからも色々と『ヴァルガロフ』での苦労話をオレに聞かせてくれたから。


 ガンダラの仕事の手伝いで、膨大な書類を整理していたら、何カ所も間違えてしまい、ちょっと落ち込んだコトとか。トミーじいさんの店にお使いに行ったら、迷子になってしまい、西地区のスケベな店が建ち並ぶ場所に出てしまってパニックになったとかな。


 ヒトの苦労話ってのは、少し笑えるから不思議だよな。でも、ククルだって、その苦労話をどこか楽しそうに語ってくれるんだから、この微笑みは罪深さを持たないだろう。


 ……兄貴分と妹分として、素敵な時間を過ごしたよ。楽しい時間はすぐに過ぎて、古い巨大な城塞都市が近づいてくる。ブドウ畑のあいだを走る坂道の終着点、巨大な山を背負うようにした古い街、『ガッシャーラブル』がそこにあった。


 軽装鎧を着込んだ番兵どもが、その大きな石造りの正門の前には二人いる。槍を持った帝国兵どもだ。さて、トラブルなく、街へと潜入するための演技を始めようか。




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