第六話 『北天の騎士と幻の竜』 その46


 漆黒の巨熊は、この開けたフロアに降臨する。『熊神の落胤』、バルモアの呪われ人、ソーリッド・ローマンは巨大な牙の列を見せつけながら、うなり声を轟かせる。


『ドルルルルルルウウウウウウウッッッ!!!』


「……ほう。世の中には、色々な男がいるものだなぁ」


 ジグムントは戦士としての血が騒ぐようだ。時と場合を選べるのならば、ソーリッド・ローマンとの戦いを望むのが戦士としての本能だろうが……今は、ジャンがヤツの目の前にいる。


 ジャンもまた巨狼へと化けるのさ。毛並みが波立ちながら膨れあがり、その体は『熊神の落胤』が化けた巨熊と同等の大きさへと変わっていた。


『ガルルルルルルウウウウウウウッッッ!!!』


 獣のようにうなりながら、ジャンも顔を歪めて牙を見せつける。呪われた存在という共通点を持つ睨み合う両者には、この邂逅は特別な意味を持っているような気がするのは、オレだけでは無いんじゃないだろうか。


 ……好きなようにやらせておきたいし、ジャンは薄々、気がついているのかもしれないが。オレは一応、アドバイスをしておくことにする。


「ジャンよ。『ヴァルガルフの闘犬』の技巧が通じない理由を教えておく。闘犬たちの技巧は威力は強く、効率的にお前の力を使わせているが……それゆえに読むことも容易い。合理的な技巧は、達人には読まれてしまうものだ」


『……はい。なんとなく、そんな気がしました』


「自覚があるのなら、手っ取り早いな。ジャン、お前の強さの神髄は、その桁違いの身体能力だ。矢を通さない毛皮に、鋼よりも硬い牙、馬を超える速さに、無尽蔵のスタミナ。技巧を使うことでも強くなるが―――強者には技巧に頼らぬ攻撃もある」


 何ともうらやましいことに、ジャン・レッドウッドにはその傲慢な行為が許されているのだ。


「ただ速く、ただ強く、噛みついて潰せ。技巧が通じぬ時は、お前の本質を行使しろ」


『イエス・サー・ストラウス!!』


 返事をしたジャンに対して、ソーリッド・ローマンはすでに突撃を開始していた。巨熊の体が床石に亀裂を入れながらジャン目掛けて跳びかかる、ジャン・レッドウッドでなければ避けなければならない攻撃だった。


 軽く1000キログラムぐらいはありそうな巨体の襲撃だからな、ヒトの膂力で防げるような重量ではないのは明白である。しかし、4メートルの巨狼であれば、それだけの威力に対しても逃げる必要がなくなるのだ。


 ……言葉遣いだとか、極端な人見知りのせいなんかで、臆病な人物だと誤解されがちのジャン・レッドウッドではあるが、戦いにおいて臆したことは一度もない。迷うことや戸惑うことはあるが、基本的にジャンは戦闘に関しては恐怖を感じていない。ある意味では怖いことにな。


 土砂崩れにでも遭った気持ちになるものだがな、『熊神の落胤』に飛びかかられた日には……それでもジャンは迷うことなく体を躍動させる。正面からの突撃に対して、正面からの攻めで受けて立つ。


 巨狼と巨熊が衝突し、ズシイイインン!!……という衝突音が鳴り響く。ジャンは頭部に巨雄の張り手を受けていたが、巨熊の脇腹に噛みついていた。ソーリッド・ローマンは気がついただろう。ジャン・レッドウッドの強靭さが、はるかに増していることを。


 2メートルの狼モードとはレベルが違う。縦横高さにそれぞれ2倍ずつだ。体重は8倍近くに膨れあがっているし、筋肉の量もそれに準じているのさ。ジャンは力でも重さでも、『熊神の落胤』に負けてはいない。


 もちろん、技巧は負けている。


 帝国軍のスパイたちに、シロウトからの脱却が始まったばかりのジャンとでは、あまりにも大きな差がある。戦いのエリートの前には、ひよっこの戦士の稚拙な技巧が通じることはないものだ。


 『ヴァルガルフの闘犬殺法』は素晴らしい技巧ではあるが、それを使いこなすためのジャンそのものに経験値が足りない。経験で錬磨されていない技巧では、武術の達人に勝ることは不可能だ。


 それゆえに、今のジャンはかつてと同じように突撃一つだった。ただ速く、ただ強く。それを実践する。『闘犬殺法』を教えてやることはオレたちには出来なかったのだが、敵の中心に向けて最速の突撃を与えろとは教えていた。


 オレたちが狼に化けたジャンにやられて、最も困る行為がそれだったからだ。シンプルな突撃。勇気あふれる者にしか使いこなせない、シンプルにして最強の攻撃。それをジャンは今日も実行してみせていた。


 風車さえも薙ぎ倒してしまいそうな破壊力がぶつかり合って、拮抗する……いや、後出しのジャンの方が軌道がより真っ直ぐであり、威力は大きくなった。跳びかかったほど、ソーリッド・ローマンの重心が浮いていたこともある。


 ジャンがゆっくりと押し込んでいく。噛みついている脇腹の奥、肋骨に対しても粉砕するような力を加えているさ。肋骨が折れないあたりは、さすがは『熊神の落胤』と言えるだろうな。


 しかし、ソーリッド・ローマンは慣れているようだ。自分の兄貴と訓練でもしていたのだろう。巨体同士の対決にも、熟練の技巧を見せて来る。ジャンの首に巨熊の腕を回して、そのまま持ち上げていた。


『……ッッ!?』


『……力で負けたのは、初めてかよ?』


 初めてだろうな。『狼男』に対して、筋力で勝ることなど夢のまた夢だ。『熊神の落胤』であるからこそ、可能な荒技であった。ソーリッド・ローマンは持ち上げたジャンのことを、思い切り壁に叩きつけていく。


 岩と同じぐらい硬いはずの壁に、大きな穴が開いてしまうほどの強さである。右に、そして左に身を捻り、巨狼に化けたジャンの体を軽々しくブン回しながら、ダメージを与えていく。


「……加勢しなくていいのかい、ストラウス殿よ?……ジャン殿は、不利なように見えるぞ」


「加勢は必要ない。そもそも、アレだけの巨体で暴れ回られてしまえば、近づく手段がオレたちにはないぜ」


「イエス。小屋が暴れているようなものであります。近づけませんな」


「小屋が暴れるか……確かに、そうだが」


「心配はいらない。ジャンは、アレぐらいではケガすることもない。『熊神の落胤』に化けたことが災いしている。熊の体には、ヒトほどの技巧を宿らせることが出来ていない。筋力こそあるが……重心に打撃を入れることが難しくなっている」


 デカい武器の弱点だ。破壊力を集中させることが難しいのさ。そして、防具としてのデカさもジャンを救っているな。体が大きい分、叩きつけられる面積も広くなっている。それだけダメージを分散しやすいってことだよ。


 威力は上がるが、鋭さにどうしても劣る。別の言い方をすれば、技巧の差が意味を持たなくなるのさ、巨大であればあるほどに。ジャンはさっきの8倍は頑丈になっている。顔面を的確にブン殴られながら、岩壁に叩きつけられたあの瞬間の8倍はな。


 見た目ほどに、ダメージなんてあるわけがない。オレたちのような貧弱さを、ジャン・レッドウッドは持ってはいないからだ。


 技巧が一欠片もなく、『パンジャール猟兵団』最弱の男であるのは変わらないかもしれないが……そもそも、オレたちの誰よりもタフでシンプルな強さを持っているのが、ジャン・レッドウッドだった。


 巨大化させたのも、策の内じゃある。想定通り、ジャンはさっきと打って変わり、圧倒的に優勢だったよ。


 どんなに振り回されても、壁に叩きつけられても、それでも肉と骨に噛みついている牙が外れることはなく、どんどん深みを増しているのだからな。


 肉が潰れ、肋骨に亀裂が入っていく音が聞こえている。暴れ回るほどに、ジャンの牙が揺れて、ダメージを強くしているわけだよ。ソーリッド・ローマンの脇腹から、大量の出血が始まっていた。


『……く、クソッ!!こ、コイツッ!!』


 作戦を変えたらしい。『熊神の落胤』はムダに暴れるのを止めて、ジャンの首を締め上げようとする。悪くない考えだった。打撃に切り替えようとか考えなかったことに経験を感じる。


 腕を放した瞬間、ヤツは終わる。ジャンの前進が、今の何倍も強さを増すからだ。


 そうなれば、そのまま壁に叩きつけられながら、脇腹をえぐり取られて、前脚で押さえつけられて動きも封じられる。巨獣との戦い方に慣れているな。兄貴に何度も吹っ飛ばされた経験があるようだ。


 この戦いは圧倒的にジャン・レッドウッドが有利なわけさ。巨狼の噛みつきに対応する方法は一つだけ。首を締めて落とす……しかし、巨狼の首の強靭さが、それを許してくれない。


 狼には多くの攻撃手段が許されてはいないが、それゆれに、たった一つの武器である噛みつきに対しては最高の性能がそろっている。牙の鋭さとアゴの強さ、そして首の頑丈さがな。


 ジャンが、ゆっくりと巨熊を押し始める。牙をより深く突き刺してやろうと、ヤツを押し込むようにして歩き始めていた。巨熊はこの動作に耐えても苦しく、耐えなくても苦しくなる。どうすることも出来ないまま、巨熊は押し込まれ、ついに壁に追い詰められた。


 固定した。獲物が動かないように固定した瞬間、ジャンの力はより効率的になり、巨大な牙が残酷なまでの破壊力を宿す。


 背中を押さえつけられて、歪んだ肋骨が何本かへし折れた。構造が破綻したそのとき、頑健さは失われてしまい、ジャンの牙の暴力に抗うことは出来なくなっていた。牙が深々とヤツの腹を抉る。肋骨を砕き、肺腑を引き裂き肝臓までも噛みつぶす!!


『がごおふッ!!』


 巨熊が悲鳴じみた声をあげるが、ジャンは攻撃を停止しない。前足を使い、獲物の体を前に押し付けながら、あの強力な筋力を用いながら反り返った。噛み潰した後は、食い千切りにかかる。それが狼の最大の攻撃だからだ。


 残酷な動作が実行されて、巨熊の腹がズタズタに引き千切られていた。血潮が爆ぜながら、『熊神の落胤』の力がそれに比例するように消失したとき、ジャンはその獣の首に噛みつき、一瞬のうちにその喉笛も噛みつぶしていたよ。


 断末魔の叫びも放つヒマはなく、『熊神の落胤』は仕留められていた。



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