第六話 『北天の騎士と幻の竜』 その45


 ジャンの体が宙に舞っていた。狼に化けたジャンの顔面を巨大な拳が殴りつけている。脅威的な現象ではあるな。ジャンを殴りつけながら、岩製の壁を破壊したらしい。ジャンは白目を剥いている。


 いくら『狼男』でも、岩壁を破壊するような強打を浴びれば、意識を失いそうになるようだ。だが、ジャンは空中で身を捻り、ちゃんと脚から床に着地していた。


『……う、うう……お、驚いた。こんなに力が強いヒトって、いるんですね……っ』


「……驚いているのは、オレもだがな」


 黒い髪をした大男だった。自分が開けた壁の穴から、そいつはゆっくりと抜け出して来たよ。何だか見覚えがあるような気配だな……オレよりもはるかに賢いキュレネイ・ザトーが教えてくる。


「アイゼン・ローマン。あの『熊男』とよく似た顔をしているでありますな」


「ああ。なるほど、あのバルモア人の『熊男』か」


 我々の言葉に、バルモア人は反応していた。鋭い目をオレたちに向けてきた。周囲の状況を見て、把握している。オレも謎が解けていた。人間族のくせに、魔術も使わず、あの厚みがある壁をブチ抜く威力を出せた理由がな。


 バルモア人らしき黒髪がつぶやいた。


「……たった3人で、これだけ仕留めやがったのか……?」


「そうだ。お前はローマンの縁者か」


「……弟だ」


「なるほど。似ているよ。どこかで見た顔だと思ったが、オレが殺したアイゼン・ローマンに似ているのか」


「……お前が、殺しただと?……そうか、なるほど。赤毛、貴様がソルジェ・ストラウスだな」


「ああ。帝国軍のスパイの一人か、ローマンの弟で、『熊神の落胤』よ」


「……兄貴は、あの姿になってでも、勝てなかったのか」


「勝てなかったよ。お前には悪いが、斬らせてもらった」


「……ならば、分が悪い状況だな」


「撤退するか?」


「すると思うか?……オレが、貴様を逃すと思うか?……オレはセルゲイ・バシオンの気持ちを理解することが出来ている」


「だろうな。まあ、オレも貴様を生かしておくわけにはいかないが……ジャンよ、どうする?お前の獲物だが、オレが仕留めてやろうか?」


 『熊神の烙印』の動きは見ているからな。戦い方も殺し方も理解しているが……ジャンはダメージの残る頭をブンブンと振っていた。


『い、いえ!……ボクに戦わせて下さい!!』


「大丈夫でありますか?今、ジャンは負けていたでありますが」


『ま、負けてますけど。あれぐらいじゃ、一瞬、フラッとしただけだから、大丈夫!!』


 ……一瞬、フラッとしただけか。あの威力の攻撃をもろに浴びたというのに。まったく。相変わらず、規格外の頑丈さというかな。


 ジャンの発言に、ローマンの弟はプライドを刺激されていたようだ。


「……オレに殴られて、その程度だと?」


『……え、ええ。本気を出してないですよね?……それだと、ボクと似たようなヒトでも……そ、その。あまり力を出せていませんよ』


「……『狼男』か。『熊神の落胤』よりも、頑丈だと言うのか?」


『そ、それは分かりません。ボクだって、『狼男』についても『熊男』についても、そ、それほど、詳しくなんてないんですから。で、でも。と、とにかく。もっと力を出して下さい!!』


「はあ?……お前、手も足も出せずに、負けてるだろ?」


『ま、まあ。そうなんですけど……なぜだか、アナタには『闘犬殺法』が通じないわけですけど……』


「なのに。全力を出せというのかよ?……死にたいのか?」


『い、いえ……ここ。広い場所ですから。そ、その。ボクはまだ大きくなれます。それだと……勿体ないような気がするんです』


「ククク!勿体ないか!……ジャン、そうだな。たしかに勿体ない。せっかくの『熊神の落胤』を殺す機会。全力を出させてから殺すべきだ」


 ジャンが焦っていないから、リエルとロロカ先生の戦っている敵の強さも知れる。コイツよりは弱い戦士しかいないようだ。ならば、どう転んでも二人の勝利は揺るがない。それに、ジャンとコイツがここに来た時点で、色々と考えられるな……。


 しかし、敵の前でべらべらとおしゃべりが過ぎたか。バルモア人が舌打ちしやがった。気分を害してしまったらしい。


「……テメーら、オレを舐めているのか?」


「そう思うとすれば、お前こそオレたちを舐めているぞ。この数相手に、今のお前が何秒もつと考えているんだ?……お前は単独でこの場に飛び込んだ時点で、負けている。ロロカの策に踊らされたな」


「イエス。ジャンに、誘導させられたでありますな。この部屋ならば、巨狼になったジャンは圧倒的に有利でありますから……お前は、おびき出されたのであります」


 敵を薄める、そういう戦術だったんだよ。ロロカ先生の前で、この『熊神の烙印』は力を見せつけた―――あるいは、一目瞭然かもしれない。武器を身につけていないからな。魔力も高くない。体術だけで戦場に出るバカなどいないものさ。


 我々は情報を共有しているからね、『熊神の烙印』についてもそうだよ。だから、ロロカ先生には推理して予想することも出来た。


 あるいはジャンの鼻に獣臭さがバレたのかもしれないが、どうあれ、狭い場所で『熊神の烙印』の強大な腕力とは戦いにくい。通路一杯に巨大化されて陣取られての力勝負、それは避けるべき状況だった。


 だからこそ、排除した。


 ジャンが独壇場になれるこの場所へと、コイツを誘導させたというわけだ。さすがは、オレのロロカ・シャーネルだよ。


 巨狼と巨熊がこの場所で暴れ回れば、敵兵を巻き込むことも出来た可能性もあるだろうし、敵を誘導する大きな音を放つだろうよ。それに、ここには遅かれ早かれオレたちと合流していたからな。この状況で損することはオレたちには一つとしてない。


 帝国軍のスパイ野郎は、舌打ちする。


「……チッ。薄々、イヤな予感はしていたんだがな……」


「撤退しないのは、オレたちを舐めているからか?」


「……いや、兄貴のためだな……そもそも……」


「ああ。そうだな。そもそも、逃げ場はない。ジャンに……うちの『狼男』に背を向ければ、即死するだけだぞ」


 ジャンは集中している。じーっと獲物を見つめているのさ。矢のような速さで飛びつき、背骨を噛みつぶしてやることも出来る。


 『熊神の落胤』はあきらめる他ない。あるとすれば、降伏することも出来るが……するだろうかな?この恨みでいっぱいの男は、それを選びはしまい。


「……兄貴が行方不明になったとき、悪い予感がしていたんだよ。殺されたのだろうと考えていたし……オレにも死期が近いのかもしれないとな。オレは、兄貴ほど組織に貢献することが出来てはいない。乱暴者だし、学も無い。ただの戦力として過ごして来た」


「有能な戦士であるのなら、それで十分な働きだったろうよ」


「……敵に慰められるとはな…………『熊神の落胤』だと知って、全く動じない連中に出会ったのは、オレは初めてだぞ」


「仲良くしたければ、投降するのもありだが……ムリだろうな」


「ああ。ここに来たということは、ジークも殺したんだな?……あの帝国人の鑑のようなジークを殺した。あいつは、お前たちにとっては悪人かもしれないし……正直、我々の組織とも、最終的には好調な関係のままではいられなかった」


「ジークハルト・ギーオルガは、ルード・スパイの件でお前たちを脅したか?」


「まあな。良い手ではないが、オレは理解してやれたよ。セルゲイ・バシオンの弟を殺したことで、露骨なまでの冷遇に晒されていた。いいヤツだったよ。政治的なややこしさを抜くと、オレたちは友人のようだった。いや、演技が下手なオレは、本物の友情を抱いていた」


「ならばオレたちは兄と友の仇か。全力で来るべき相手だな」


「……挑発に乗るなと、よく叱られちまったもんだが…………死ぬときぐらいは、素直に暴れるとするか。オレの名前は、ソーリッド・ローマン。帝国軍の特務軍曹だよ』


 バルモア生まれの帝国人は、その身を変貌させていく。兄であるアイゼン・ローマンと見分けがつかないな。まっ黒な巨熊へと至る。その骨格と筋肉が拡張されていき、皮膚からは黒い剛毛が生えていった。


 バルモア人が忌避する、邪悪な魔女の子孫たち……熊神の血を盗んだと言われる、被差別の呪われ人たち。その一員が、オレたちの前に再び姿を現していた。



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