第五話 『緋色の髪の剣鬼』 その23


 気配を消そうとはしていたが、やはり重傷を負った影響は否定しがたいモノがあるようだった。黒髪の人間族の女性が、礼儀正しい動作で入室して来る。ドアを押し開きながら、彼女はおしとやかな女の所作で頭を垂れた。


「失礼いたします、ルーベット・コラン、参上いたしました」


「る、ルーベットさん。もう動いても、大丈夫なんですか……!?」


「はい。ジャン・レッドウッドさん。このあいだはどうも。それに、サー・ストラウスとキュレネイ・ザトーさんも……ご無沙汰です」


 微笑みながらルーベットはそう言ってくれる。


「イエス。生きていて良かったであります」


「本当にその通りだよ。君の腹を縫い合わせた者として、元気そうで安心した」


「皆さまには、いくら礼を言っても尽くせませんね」


「……ルーベット?……では、この人物が、アイリス殿の部下の……」


「はい。初めまして、ジグムント・ラーズウェルさま。私は、ルーベット・コラン。ルード王国のスパイとして、この『ベイゼンハウド』の土地に潜入してた女です……貴方の領土を穢すような行為……すみません」


「いや。構わない。帝国との戦いのためというのならばなぁ。むしろ、君たちの情報は役に立ったよ……どこの北天騎士とつるんでいた?」


「ダグル・シーミアンさまです」


「……シーミアンか。なるほど、彼ならば『北天騎士団』の誇りは失わない。オレとは別行動で、反抗の機会をうかがっていたのか……」


「はい。『北天騎士団』が解散された後、多くの北天騎士は迷っていました。故郷であるそれぞれの都市の意向に沿うべきだと考える人々は多く……それゆえに、勢力をまとめ上げるための『器』は出来ませんでした」


「責任を感じる。オレたちは、きっと……一つになるべきだった。組織を作ることが、民草の願いに反する、『北天騎士団』の再建につながると考え……オレたちは、お互いの接触を禁じていたところがある……」


「……はい。この土地で抗っていた者は、数多く、そして、皆が孤独でした」


 『北天騎士団』は民草に仕える騎士団だからな。民草の代表である議会、それらが決めた選択に従うことにするというのが、彼らの本来の職業倫理だ。民草が帝国との戦いよりも、和睦と経済的な安定を求めたからこそ……彼らは解散することになった。


 その結果が、事実上、『ベイゼンハウド』の属国化にしかつながらぬ結果だったとしても……民草の祈りを全うするのが、北天騎士の生きざまだった。


 彼らは自分たちの哲学に縛られていたのさ。『北天騎士団/組織』を作らぬ、孤独な個別の戦いであれば、狡猾な帝国軍の前に個別に捕らえられてしまい、あの収容所送りとなったわけだ……。


「だが、今からは違う。民草は、願ってくれた。『アルニム』の議会がオレたち『北天騎士団』の復活を祝ってくれた。オレたちは、大手を組織出来る。オレたちは、帝国の犬ではなく、『ベイゼンハウド』の民草の剣であり盾であるからだ」


「……はい。私たち、ルードの戦士も、偉大なる『北天騎士団』の勇者さまたちの再結成に、心からの祝福を……そして、私たちはルードのスパイ。非公式ながらも、女王クラリス陛下の外交官……微力ながらも、『ベイゼンハウド』が主権を取り戻す解放の戦いに、協力させていただくことで―――潜入の非礼に対する詫びにさせていただきます」


 ルーベット・コランはそう言いながら、懐から十数枚の手紙を取り出していた。


 彼女はそれらの手紙を、ジグムント・ラーズウェルに差し出す。


 ジグムントは首を傾けていた。


「……こいつは、何だい?」


「『ベイゼンハウド』の各都市に潜む、私たちの協力者の血判状たちです。開けてみてください」


 血判状か……なかなか『ベイゼンハウド人』の心に響きそうだ。その古いスタイルがいいね。北方野蛮人の勇者は、こうでなくてはな……。


 ジグムントが、それらの手紙をテーブルの上で開いていく。各都市から集められたその手紙には……北天騎士たちの名前が描かれていた。


「これは……っ」


「もしも、『北天騎士団』が再結成されたあかつきには、そこに名前を連ね、血判を押した勇者たちは、いかな状況であろうとも、『北天騎士団』が生まれた土地に集まる。その誓約の証です……」


 ……ルード・スパイも、かなり手が込んだコトをしていたようだ。いや、違うか。コイツは、ルーベットたちには出来ない仕事だな……ならば、彼の偉大なる仕事か。


「これは、ダグル・シーミアン殿が、この数年のあいだ、『ベイゼンハウド』の地を巡りながら、反帝国の意志が揺らがぬ、そして、民草の意志のもとにしか戦士にならないという北天騎士の哲学に殉ずる勇者たちと志を一つにしていった証です」


「……おお……ッ。ダグルよ……お前は……たった一人で、これだけの北天騎士たちの元を訪れて……帝国との反抗に、備えようとしていたのか……ッ!!」


 名前がそこにはあった。北天の星のように、たくさんの名前たちが。


 羊皮紙に記された、無数の名前たちがね。そして、名前の後ろには赤黒くなった血判が押されていたよ。『北天騎士団』の象徴だろうな、血があふれた親指の腹を使って、大小の十字が描かれている……彼らの剣を象徴しているのだろう。


 テーブルに広げられた、無数の名前たちを見ながら……ジグムント・ラーズウェルは大きくうなだれて、肩をふるわせていた。


「伯父上……っ」


 さまざまな想いが、去来しているのだろうさ。


 これほどの数の北天騎士たちが、闘志を失うことなく……反抗の時に備えていたことを、ジグムント・ラーズウェルは知ったのだ。


 そして……それだけの北天騎士たちを、訪ね歩いた一人の男の生きざまにも、ジグムントは感動してもいるのさ。


「……ダグル・シーミアン……っ。お前こそ、真の北天騎士だ……ッ!!これだけの、これだけの多くの仲間たちと、心を通わせた……どの種族とも、どの十都市連合の町にも、小さな片田舎の集落にさえ……まるで、全ての仲間に、会いに行ったかのようだ……ッ。ダグル……ならば、どうして、オレのもとには来なかったのだ……ッ?手伝わせて、くれなかったんだ……ッ?」


「……ダグル・シーミアンさまは……あえて、小さな集落にも向かわれていました。ジグムント・ラーズウェルさまを始め、高名であり、その哲学に揺るぎなしと考えた人物に対しては、彼はあえて接触しませんでした。信じておられたからです。機が訪れたなら、必ず、貴方は、立ち上がると……」


「……ダグル……っ」


「だから。だから、ダグル・シーミアンさまは、あえて小さな村も、あえて名は無くも勇気と哲学を持つ人物の元に、足を運ばれたのです。剣を捨て、鎧を捨て、農夫となっていたとしても……木剣を振りながら、『北天騎士団』の再結集に備えた者もいます」


「……彼らこそが、北天騎士の鑑だ……ッ。民草が望めば、剣を持ち。民草が望めば共に畑を耕す……この石だらけの、硬く不毛な土地を耕すことが、どれほどの困難なことか!!彼らこそが……真の、北天騎士だと……知っていたのだな、ダグル……ッ」


「……はい。そして、彼は……信じていました。いつか、必ず、『ベイゼンハウド人』の心は、再び十都市連合の総意として……人間族だけでなく、種族の垣根を越えて、全ての『ベイゼンハウド人』の幸福を求めると。必ずや『北天騎士団』は復活するのだと……」


「…………ああ……ッ。ダグルよ……ダグル・シーミアンよ…………お前は……お前こそが…………『パシィ・イバルの氷剣』を継ぎ、我らが、『北天騎士団』の『団長』に相応しい男だというのに…………ッ」


 ジグムントの青い瞳が、人目もはばからず大粒の涙を流している。そして、偉大なるダグル・シーミアンと共に密かな戦いのなかに生きたルーベット・コランもまた、その目から涙を流していた……。


 オレたちは、それで悟っている。


 彼の永遠の不在を。


「どうして、お前は……ここにいないのだ……ッ!!……どうして……こんな偉業を成し遂げたお前ではなく……ッ!!……弟子の一つも、ろくに躾けられることもやれない、オレなどが、『氷剣』を手にしているというのだ……ッ!!」


「…………彼とは、連絡が途絶えたままです……私たちの居所がバレた時、おそらく彼は捕らえられて拷問を受けた。拷問では、彼の心は屈しないでしょうが……おそらく、特別な自白の薬物を大量に打たれた…………ピアノの旦那が回収した資料に…………彼の、い、遺体の処遇についての……記述が…………っ」


「……クソが……ッ」


「か、彼は…………彼の遺体は…………身元が知られぬように、顔を潰され…………森へと投棄されました…………回収することさえ、おそらく、困難です……っ」


 ジグムントが怒りと共に吼えて、その拳で分厚い木製のテーブルを叩きつけていた。二百年は保つはずだった、太い木で作られたテーブルに、大きな亀裂が入っていたよ。


 悲しみの涙は、止まらない。だが、ジグムントは血判状の名前を継がねばならない。ダグル・シーミアンの生きざまと願いを継ぎ、『氷剣』の主として、『北天騎士団』の長として、全ての『ベイゼンハウド』の民草の剣と盾でなければならないのだ。


 彼は涙を流しながらも、フーレン族の鋭い牙で親指を噛み切り、その血判状の一枚に、北天騎士の証である赤い十字を刻む。


「…………ダグルよ、オレと共に、進むぞ。オレたちは、『北天騎士団』なのだから。この土地を、在るべき姿に、戻すための戦いを……始めようじゃないか……ッ」



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