第五話 『緋色の髪の剣鬼』 その17


 欲深いオレの甥っ子が戦場から退却する頃……黒い森のなかに隠れているルルーシロアは、『霧』が薄まりつつあることを悟り、ゼファーと『風』使いたちの魔術を嫌っていた。


『わたしに、さからうのかあああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!』


 幼い声が世界を揺らしていた。地鳴りの精霊どもを脅したかのように、ルルーシロアの怒りの歌がどの方角からも聞こえて、鼓膜と肌に振動を伝えてくる。


 どこから聞こえたのかを判断することは出来ず、まるで、そこかしこにルルーシロアがいるようだったな。


 孤高というよりも、孤独であった者のワガママを感じるよ。


 ルルーシロアは敗北を知らない。自分より幼いゼファーと、そして、たかがヒトの魔力に自分の術が邪魔されていることに機嫌を損ねていやがるのさ。


 ……竜の怒りの声が『霧』のなかで反響したことで、帝国兵たちも怯えてしまっている。自分たちが怒鳴りつけられたと考えていたようだ。


 竜の声は、本能を恫喝し、命じてくる。圧倒的な強者の怒りに晒されたとき、ヒトの身体からは活力が消えてしまうものだから。


 帝国兵もそうだったし、『バガボンド』の戦士たちも同じであった。


 強者に怯えてしまった者たちが、その動きを緩慢にして、周囲を怯えた瞳で見回している。この恐怖に根ざした沈黙が、『ベイゼンハウド』の黒い森に静寂をもたらしていた。そのおかげで、風が鳴る音がよく聞こえるんだよ。


 ルルーシロアは、『霧』が薄まりつつあることに激怒し、より強い魔力を行使して『霧』の魔術を維持させようと企んだ。上空から、風を寄せ集めている……。


 ゼファーと『風』の使い手たちで作り上げている、『霧』封じの上昇気流。それを押し潰すために、彼女は魔力を強めていた。こちらの抵抗をねじ伏せるように、力を見せつけて来やがる。


 いかにも竜らしい所業だ。力には、より強い力で応える。それこそが竜の哲学だった。


『……ぐるるうう!!』


 ゼファーは、荒れ狂う風に翻弄されていた。空を見あげると、『霧』の果てに右に左にと不安定に流されているゼファーがいる。まったくもって、上手く飛べていないようだな……。


 ……やはり、認めないといけない。


 『風』の使い方は、ルルーシロアの方が優れているのだ。それは知識や経験から来た結果だけではなく、おそらく生まれ持った資質の違いというものだろう。『風』に関しては、ルルーシロアの方がゼファーよりも上なのだ。


 だが。


 戦いってのは駆け引きなんだよ、幼いルルーシロア。力だけで強さの全てが決まるとは限らないんだぜ?


 『霧』が再び、その濃度を増していくのが分かる。ルルーシロアの魔力が勝っているようだ。遙かな高みから、凍えた風を呼び集め……地上に『霧』を再生していく。圧倒的な力だ。この力比べだけはお前の勝ちだぞ。


 しかし……少々、風を強く呼びすぎているな。『霧』を作ることは、それほどには簡単な行為というわけではあるまい。


 さてと。始めるぜ。


 オレはゼファーに心を繋ぐ。


 ……準備はいいな、ゼファー?


 ―――うん!!いける!!


 よし。始めろ!!


 ―――らじゃー!!


 ゼファーが風の暴れる上空で、強い羽ばたきを用いながら『風』を放つ!!上向きの『風』じゃない。ルルーシロアが望んだように、下向きの『風』さ。天空から凍えた大気が降り注いでくる。


 まるで冬のように寒くなり、呼気が白くなる……そして、ルルーシロアの作った『霧』もその濃さを増していく……逆効果?……そうとも限らん!!


「……キュレネイ、リエル、風が来ました!!お願いします!!」


「イエス。『風』よ、暴れるであります」


「……魔力は、言われていた通り溜めておいたぞ!……キュレネイに合わせて放てば良いのだな!!……『風』よ、吹き荒べ!!」


 猟兵女子たちの作戦がスタートするのさ。リエルとキュレネイの魔力を使い、下降気流を生み出すんだよ。この丘を目掛けて、空から降りてくる凍えた大気……それの勢いをさらに加速してやるのさ!!


 ルルーシロア、ゼファー、そして、リエルとキュレネイ!!……それだけの大きな魔力の使い手たちが、『風』を使い下降気流を生み出せば?……とんでもない暴風が生まれてしまうというわけだ!!


 ビュゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!風はうなりながら、空から冷気を連れて来る。この厳寒なる暴風は、地上を凍りつかせていくが……『霧』を掃き捨てる威力ともなる!!


 『霧』が薄まっていく。魔術で生み出した特別なシロモノであろうとも、水滴ってことを普通の霧と変わらないからな。ならば、猛烈な風を浴びせれば?……排除することは出来るんだよ。


 視界を覆っていた白が晴れていく……ルルーシロアは、この構造に気づき、反応しようとするだろう。しかし、狙っているぞ。地上から『霧』が消えた今、ゼファーがお前を見逃さないとでも思ったか?


『みつけた!!るるーしろあ!!』


『……ガルルルルルルルウウウウウウウウウウウウウッッ!!』


 白い竜が黒い森から飛び出していた。3キロほど、北東だ。ゼファーはその白い竜を追いかけて、空を翼で叩いていた。


「リエル、キュレネイ!!二人とも、もう『風』はいりません!!ゼファーが、あの竜には対応するでしょう!!……皆さん!!『霧』は晴れました!!……敵を、狙って下さい!!」


「『北天騎士団』よ!!敵は崩れている!!……今こそ、オレたちの力を示す時だ!!剣を抜け!!」


 そうさ。強烈な下降気流だったからな。丘にいた帝国兵の連中はその強烈な風に当てられて、斜面をみじめなほどに転がり落ちてしまっていたよ。キュレネイが、そうなるように誘導したのさ。リエルの強大な魔力を、自分の『風』と重ねることでな。


 ……体力こそ弱ってはいるが、北天騎士ほどの猛者たちがこの好機を見逃すことはない。ジグムント・ラーズウェルが剣を抜き放ちながら、扉の向こう側へと飛び降りていた。彼に続いて多くの痩せこけた北天騎士たちも続いた。彼らは剣を抜く。


「……く、くそ……っ」


「て、敵が……き、来やがる……ぞ……ッ」


「こ、このタイミングでかよ……っ!!」


 凍えた暴風に晒された帝国兵たちの身体は、表面に霜が張りついている。オレたちも寒かったが、ヤツらはもっと寒かったのさ。


 あれほどに荒れた風のなかでは呼吸もままならなかっただろうし、今ではその血肉までが凍てついた。ヤツらは、今、とんでもなく弱っているぞ。


 ジグムントが叫び、北天騎士たちが叫んだ!!


「『北天騎士団』ッ!!突撃だあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


「仕留めるぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 寒い土地で育った戦士たちは知っている。凍えた体に熱を呼び起こすための歌をな!!闘志に燃える血潮が、北天騎士たちにかつての力を呼び起こさせる!!……虜囚の身となり、削られた体力を、瞬間的な精神力で補いながら彼らは戦場を再び駆けた!!


 ……彼らの邪魔をしたくはない気もするが、オレも命令を放つ!!


「『バガボンド』!!接近戦で、仕留めてやれ!!左右の崖から降りて、北天騎士たちと共に、ヤツらを包囲殲滅しろ!!」


「イエス・サー・ストラウスッッ!!」


「ハハハハハッ!!これで、決めてやるぞおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「我らの前に、沈めえええええええええええええええええええええええええええ!!」


 左右の崖からも、『バガボンド』の未熟ながら腕はいい戦士たちが戦場へと突撃していく。もはや、射る矢も尽きていた。それに……せっかく、最強不敗の『北天騎士団』が、どれほど苛烈な突撃をするのかを、間近で体験する好機を逃す手はない。


 オレも出るぜ。


「ジャン!!続け!!ジグムントの護衛につくぞ!!」


『は、はい!!ただちに!!』


 巨狼がホフマン邸の屋根から飛び降りて来る。オレは砦から飛び降りて、凍えた帝国兵たちを斬りつけていく北天騎士たちの後ろ姿を見ていた。敵は前方からの北天騎士たちと、左右からも来る戦士たちに怯えていた。


 三方向の敵の、どれを相手にすべきなのか……それを指揮する者は負傷して今は居ない。ただただパニックになり、斬り裂かれていく。北天騎士も短時間なら動けるさ。そして、『バガボンド』の戦士たちは、経験値は少なくとも精強ぞろいではあるからな。


 次から次に帝国兵が血祭りにされていき……ヤツらは『黄金律』を破る。北天騎士に対して、背を向けてはならない―――その方針を破り、帝国兵は逃亡を開始する。なぜ、そうしては行けなかったか?


 死をも恐れぬ北天騎士の攻撃を受けるには、同じような戦いが要る。死中に活路を見出すような、その戦い方をせねば、死をも恐れぬ特攻を行う者は止められない。帝国兵の隊列が崩壊し、北天騎士の殺戮の突撃は本領を発揮する。


 見事なまでの連携だった。敵の群れを斬り裂き、呑み込むように襲いかかる。対峙する敵は一対一で対応し、戦力をムダにしない。逃げる敵を背後から、片っ端に切り捨てて行った。


 動かずに拠点で耐え続けるからこそ、敵の攻勢を防ぎ切った直後の『反撃』に、彼らは脚を残しているというわけだ。北天騎士に、背を見せてはならない。それは、この見事なまでの『反撃』があるからだということを、帝国の兵士たちは忘れていたようだ。



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