第四話 『パシィ・イバルの氷剣』 その36


 ……すべきことは決まった。オレたちは帝国兵の捕虜をボートに乗せて、『ヒュッケバイン号』に運んだよ。40人ほどの捕虜をな。


 明るくなり始めている空をの下『ヒュッケバイン号』は灰色の海の白波を蹴散らして、相変わらずのスピードで北上して行く。


 ゼファーは楽しそうに、『ヒュッケバイン号』の横に並ぶようにして飛んでいたよ。『ベイゼンハウド』のクジラも美味しかったらしいな。お腹がふくらんでいたよ。たっぷりと食べたらしい。


 さてと、オレも仮眠を取ろう……さすがに疲れ過ぎているからな……。


 甲板上のハンモックに、毛布をまとって寝ちまうのさ。寒いから、ちょっとだけ酒も呑んだ後でね。少しでも、休息を取るべきだぜ。


 ドワーフたちの作ってくれた砦には、日が高くなれば敵が攻め込んでくるだろう。ロロカ先生の指揮と、『バガボンド』の精鋭たち500がいるからな。そう簡単に突破されることはない……敵も夜通し歩いて疲れてはいるさ。


 ……だが、その戦いにはオレも参加しておきたい。最前線で戦うかはともかく、不測の事態に備えておくべきだからな―――まあ、今は、とにかく眠ろうじゃないか……。


 アルコールと疲労と眠気のおかげで、すぐにオレは睡魔の虜となった。深く眠るのさ。短い時間であったとしても、眠らないよりはマシだからな……。


 ……。


 ……。


「ほら。サー・ストラウス、着いたわよ?」


 ……アイリスに揺り起こされて、欠伸をしながら首をわずかに右に捻る。朝陽に融けるようにして、特徴的な尖り屋根の列が見える。


 『ガロアス』の街並みが、3キロほど先に見えたよ……ゼファーはお気に入りの後部甲板で寝転がっていたな。


 海賊たちは、小さなボートに捕虜どもを乗せていた。


 捕虜は重傷者ばかりだ、この船旅で傷も開いたかもしれないな……。


「……何時間、寝ていたんだ?」


「一時間15分ってところかしらね。眠らないよりは、マシなんじゃない?」


「……まあな」


 アルコール臭い息を吐きながら、オレはハンモックから降りたよ。ジーンが歩いてくる。ヤツも眠っていたようだな。欠伸をしながら、酒瓶で肩を叩いていた。


「……おはよー、サー・ストラウス。よく眠れたかい?」


「体が固まっただけのような気がするがな」


「それでも、起きっぱなしよりはマシだろ?……オレも、眠気が強いケド。仕事の時間だよ?」


「……進捗はどうだ?」


「うちの海賊たちにボートで先行させて、捕虜の交換だと叫んで来た。場所は、ここから東の海岸だ」


「要求を飲んだワケだな」


「ああ。飲まなきゃ、全員、『ガロアス』の沖合いで処刑すると脅して来たからね」


「海賊が使うと、有効そうな言葉だな」


「有効だったみたいだぜ?……手に入るよ。元・北天騎士の人間族……帝国の兵士だけど。宗旨替えをしてくれるかなー」


「……しなくてもいいのよ?……私たちが欲しいのは、帝国人の捕虜と、彼らを交換したという事実だけだから」


「怖いお姉さんだよ」


「あら。私の言葉の意味が分かっている時点で、貴方も私たちと同類よ?……そうよね、サー・ストラウス」


「ああ。オレたちは、たしかに同類だよ」


 ……アイリスの言葉の意味を、よく分かっているのだからな。オレたちに必要なのは、元・北天騎士の帝国兵が、『北天騎士団』の『仲間』として認識されたという事実。


 自軍の捕虜は、敵に捕らえられた仲間と交換するものだからな。この作業で、あの40人の人間族たちは、オレたちの仲間になる―――復活した『北天騎士団』に、『帝国兵となっていた元・北天騎士が合流した』。その事実は、大きなメッセージ性を持つのさ。


 ……ジークハルト・ギーオルガの1000人の部下たちに、その事実が届けば、離反を招けるかもしれない。何より、彼らが『北天騎士団』の仲間であるという認識を、帝国人に与えることになるからな。


 疑いは確信に変わることになるわけだよ。敵の結束に、大きな亀裂を入れることになるさ。


「……ジグムントは?」


「捕虜をボートに乗せる作業に立ち会っているわ。帝国人の捕虜に、顔と名前を覚えてもらうのよ。この『反乱』の首謀者をね」


 細かな工作だなと感心してしまう。


 ジグムントの名前は、帝国人にはともかく『ベイゼンハウド人』には有名のようだからな。彼の名前を用いた方が、『アルニム』の占拠も、そして8000人の北天騎士の救出についても、より好意的に『ベイゼンハウド人』へ伝わることになるさ。


 英雄になってもらわなくてはならん。いや、とっくに本物の英雄なのだが、より有名で政治力にあふれた英雄となってもらう必要がある。


 カリスマを作りたいんだよ。『ベイゼンハウド人』の事実上の『王』に、ジグムント・ラーズウェルはなってもらいたい。北天騎士の哲学とは反する行為かもしれないが、彼の名が上がることで、『ベイゼンハウド』での戦いが楽になるだろう。


 どの町にも、元・北天騎士の男たちがいるんだぜ……?敵の本拠地となっている、『ノブレズ』にさえもな。


 彼らが新たな伝説、ジグムント・ラーズウェルの元に集結してくれれば、この戦は楽になるんだ。


「……さてと。ジグムントさんたちは浜に向かうみたいね。私とサー・ストラウスもゼファーちゃんで向かいましょう?ジーンくんは、どうする?」


「オレはここにいる。敵に変な動きがあれば、カタパルトで『火薬樽』を撃ち込んでやるよ」


「まあ。それは頼りになるわね」


「正確無比の爆撃さ。帝国人は嘘つきだから、罠にハメようとするかもしれない……ああ、アイリス姐さんの作戦上は、『それでもいい』んだっけ?」


「……あくどいことを考えているようだな」


「その考えを読めてしまうあたり、サー・ストラウスも性格の良い子ってワケじゃないわよね」


 性格が悪いのかね?……まあ、戦場の駆け引きが身に染みついてはいるんだ。善良なままなハズがない。


 オレは捕虜の交換が行われる予定の浜辺を見たよ。丸い灰色の石が無数に転がるその海岸の東に、林が見えたよ。その林に……10人ほど敵兵の姿を見つけられる。隠れてはいるが、魔眼だとか、凄腕女スパイの感覚を逃れることは出来ないな。


「……ジグムントは当然、気がついているわけだな。あの伏兵に」


「ええ。連中、10人の刺客を放っているわね。捕虜交換の後、私たちを襲おうとしているわ」


「露骨な作戦だ。理性ではなく、感情が先走っている。軍の命令じゃなく、ヤツらの暴走だろうな」


「そう見えるわね。帝国人たちは、元・北天騎士たちを許したくないのよ。あいつらは個人的な報復者ね。サー・ストラウスたちの襲撃で、身内を殺されたのだけれど、その責任を元・北天騎士たちに見ているらしいわね」


「……オレのせいか」


「いい仕事をしてるわよ。彼らの憎しみを予定以上に煽っていたようね」


 ベテランのスパイに褒められた。悪い気持ちにはならない。帝国人に深い混乱をもたらすことに成功したわけだからな。


「あいつらは、動きが悪い。軍の命令に違反することに対して、ビビっている。もしかしたら、見張りだけのつもりかもしれないけれど……攻めてこなければ、こちらから仕掛けて、『戦いにする』」


「あはは!……ホント、おっかねー」


「あちらが悪いのよ?……とにかく、捕虜交換において、あちらがルールを破ったことを目撃させるわ。私たちが捕らえている捕虜たちにね」


「不信感を持たせられるわけか」


「そういうこと。捕虜交換をマトモに行えないと知られたら、帝国兵たちは恐怖心を強めることでしょうね」


 敵サンの戦意を削る行為にもつながるということさ。捕虜になっても仲間が助けてくれないのなら、捕虜にされる可能性があるような戦い方を、兵士たちはしたくなくなるだろうからな。


 アイリスは、とことん状況を利用して、我々の勝率を上げようとしている。敵の力を、とにかく弱める―――アイリス・パナージュの哲学は、それらしい。『狐』の戦い。一緒に戦っていると、少しはガルーナの野蛮人も賢くなれそうな気がするぜ。


「それに……10人。いいデモンストレーションよね?……『伝説』の武器を使うには、練度不足の雑魚だけど……目撃者と犠牲者は、多い方が『宣伝』になるわ」


「……そうだな。アイリス、ゼファーに乗ろう。最初の捕虜たちのボートが、浜辺に辿り着こうとしている。護衛につくぞ」


「ええ。捕虜交換の後は……私が、あの連中を攻撃する。先にされないようにするつもりだけど……してくれた方が、楽なんだけどね?……赤毛の見るからに強いお兄さんが一緒だから、ビビって逃げちゃうかも。逃がさないように、気づいてないフリしてね?」


「ククク!……ああ、分かっているよ。少々、血を流すことになりそうだ。交渉相手をハメようという行為が、どれほど失礼なコトなのかを知らしめてやるとしよう」



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