第四話 『パシィ・イバルの氷剣』 その10


 訓練されていたナイフは、オレの首元目掛けて放たれる。竜鱗の鎧があるのにな?……まあ、鎧の鋼をすべらせて、急所に差し込む技巧もあるから彼の手はそういう殺人を実行しようとしたのかもしれない。


 でも。


 オレの指はそのナイフを抜いた青年の腕を躱しながら、彼の手首を掴むのさ。


「……っ!?」


 青年は驚愕しているようだ。オレが反射したことにではなく、オレが死体に化けたはずの彼の行動を予想していたことに気づいたからだ。あまりにも容易く避けられたことに、彼は違和感を悟ったらしい。


 素晴らしい才能だよ。


 かなりの練度だ。まるで、猟兵に近しいものがある。でも、だからこそオレには通じない。この青年よりも鋭い動きをする者たちを知っているし……ギー・ウェルガーを知っているからな。


 か細い手首を、ガルーナの野蛮人の怪力でぐしゃりと握りつぶす。青年はそれでも動こうとする。左手にもナイフを握っているから、そっちで斬ろうとしたのかもしれない。


 でも、オレは残酷だし、敵に対しては全くの容赦を持ってはいないのさ。


 突き出されてくる左腕の手首に右手に握るナイフを突き立てて受け止める。


「バカな……っ」


 ほう、どうやら痛みを感じないらしい。橈骨と尺骨を分解するような圧を咥えている。手首が完全壊されているのに、悲鳴どころか顔色一つ変えやしないな。


 ギー・ウェルガーのお友達らしく、バケモノのような才があるのかもしれないが―――こいつはどうかね?


 オレは左手の拳を青年の腹に叩き込んでいた。床の反動を感じるほどに、深く、重く。彼の横隔膜を引き裂くほどの威力で、鉄拳を叩き込んでいたよ。思わず喋ったその瞬間にな。


 空気を吐き出そうと動いて緩んだ腹に、強打を浴びせていた。内臓にまで揺れが響き、生身のヤツなら衝撃で死ぬこともあるかもしれない。


 しかし、青年は死なない。悶絶している。悶絶して、言葉を無くしている。衝撃に引きつった体は、全く動けないようだが―――そこそこ元気そうだ。


「『ゴルゴホ』の蟲がいるわけか」


「な、なんて……そ、そんなこと……しっている…………?」


「あの世で、お友達のギーくんにでも聞いてみるがいい。じゃあな」


 衝撃からヤツの体が解放される前に、オレはナイフで腹を突いていた。そこにいるのが分かったからな。内臓じゃなく、骨でもなく、まして筋肉でもない、なにか鉛のような硬い何か。


 考えたくはないが、『ゴルゴホ』の『寄生虫』だろよ。色々いるらしい。こいつは、宿主の生命を極限状態でもつなぐタイプの蟲なんじゃないかな?


 ……よく分からんが、そんなところだろう。


 とにかく、オレのナイフはその蟲と思われる硬い物体にナイフを突き立てて、手首を回してえぐって壊した。


 オレが自覚している限り、3人目の帝国軍スパイを仕留めた瞬間だった。その蟲が壊れた瞬間、青年は即死していたよ。


 魔力の欠片も動かない……蟲が死なない限りは、よほどのことでも動けるのかもしれないが、蟲が死ねば、この通りというわけさ。


『……だ、団長。こいつ、何なんですか?』


 ジャンがドン引きしている。怖いとかは考えていないらしい。まあ、大して強くもないヤツだったからな。達人並みだが、その程度。猟兵の敵じゃない。


「……『ゴルゴホの蟲』。よく分からんが、ヤツらの寄生虫が体内にいると、脅威的な能力を発揮することが出来るようだな」


『な、なんだか、冷静ですよね……』


「二度目のヤツだからな。正確には、ギー・ウェルガーとは異なるタイプの蟲なのかもしれないが……こっちの方が、かなり弱かった」


 ギー・ウェルガーは巨大な蟲のカタマリに化けて、襲いかかって来たが。コイツにはそこまでの才能は無かったようだ。不死身の暗殺者ってところかもしれないが、種が知れたら凡庸なもんさ。


「……解剖するか?」


 ピアノの旦那は首を振る。そして、首を指で刎ねる動作をした。念を押して仕留めておけということらしい。


 オレは竜太刀を抜き放ち、そいつの首を断ち斬った。そして、胴体から蟲の触手でも出て来て、首を接合したりしないように、その切断した部分を『炎』で焼いておいたよ。これでも生き返って来るなら感動モノだが、多分、無いだろうさ……。


 ……ピアノの旦那は、物色に入る。無数の本棚を見ているが、指を伸ばすことはない。何かを探っているようだ。法則性を読もうとしているのかもしれない。


 暗号みたいに、何かパターンで封じられておけば、この無数の書類の中から『当たり』を引けるのは、その法則を知っている者だけだ……でも、色々とそれを推測する手段はある。


 数学的な方法とか?……オレにはムリだけど、ロロカ先生なら簡単にやるかもしれないな。


 賢さが必要なことは、オレのようなアホの蛮族には不可能だからね。オレが出来るのは、羊皮紙の歪みや、ホコリの付き方を見ることぐらい。触らないモノはキレイ。触るモノは汚れるものさ。


 そういう歪みを察することは、人間族の瞳でも可能なもんだが―――まあ、ピアノの旦那なら、上手くやるだろう。ルード・スパイは有能だからな。


 オレは……このスパイの死体を漁るとしよう。解剖するのは時間がかかるし、ちょっとグロいからやらない。蟲の形状を知ったところで、だからどうしたというトコロだしな。


 今後の戦いに活かせる教訓は、帝国人のスパイを殺したぐらいで安心してはならない。そんなところだな。オレはそいつの上着を探る。


 何かがあるかもしれない。スパイならば、大事なものを身につけていることだってありそう。とくにコイツは、暗殺されても死なないという特技の持ち主。


 痛みも薬か何かで消していた。衝撃には弱い、蟲にダメージが入ったら、苦しんだ。薬じゃなくて、蟲が何か痛覚を乗っ取っていたのかもしれない。


 ……オレが予想するに、コイツは死んだフリをするように訓練していたハズなんだが、どうしてか咄嗟に攻撃して来てしまった。凡人なら当たる技巧。まあ、どうということはない……。


 そうだ。死んだフリをしていてもいいのに、攻撃した―――オレがあまりにも強いから怖くなってという可能性もある。最初のナイフでの攻撃のさいに、ヤツは抵抗しようと技巧を使っていたのに、全部、オレの力と速さと精密さで、その抵抗を潰してやったからな。


 一瞬の攻防で、天と地のように遠い実力差を知っていたはず。怯えたから、間違いを選択することもあるかもしれないが……体を調べられることを、嫌ったという方が、スパイの発想のような気がするな。


 ……勝つしか、大事なモノを守れない。そんな発想でなら、死体のフリでなく戦うことを選ぶかもしれない―――あるいは、『リロイ』。そうオレを呼んだ。あえて気配に気づかせるために、『油断してみたら』、そう言ったな。親しそうに。


 リロイを守るために、オレを殺そうとした可能性もある……どっちかな?……あるいは、どっちもかもしれん。


 階級章を見つけた。特務少尉のな。


 そして……何かの書類。まるめられた羊皮紙が、ヤツの上着の内側に無理やり詰められていた。あまりにも怪しい。でも……開かない。『本の呪い/ブック・カース』が施されているかもしれないから。


 開くと燃えるかもしれない。『呪い追い/トラッカー』で見ると、赤い『糸』が見える。リボンが絡むように、この巻かれた羊皮紙の表面を赤い『糸』は走っていた。


 ……他は、小銭、ハンカチ、香水も瓶。


 それぐらいだな。価値がありそうなものはない。オレはこの死体を見張ってくれているジャンに訊いた。


「この死体の中に、蟲の気配はあるか?」


『……い、いえ……たぶん、死んだと思います。いえ、絶対に、死んだはず。何も音がしませんし……混じっているのは、ヒトと、一種類の臭いだけです。それも、多分、一体だけ』


「……これだけデカい寄生虫が、体内でそう何種類も共存するのは、困難だろうしな。栄養奪い合って、宿主が死ぬか、自滅しそうだ」


『……燃やしますか?』


「そこまでしなくてもいいさ」


『そ、そうですね……』


 オレは彼の死亡を認定する。魔眼でも『狼男』の嗅覚でも、死体としか認識出来ない技巧があるなら、最初から『もっと死んでいて』、機会をうかがったんじゃないかな。


 ……次に行こう。


 コイツは死んだ。


 オレはピアノの旦那を見た。旦那は、書類の群れの中から、何枚かを抜き出していた。それらが『当たり』のようだな。抜かれると、呪いの赤い『糸』が見えるのさ。ホント、ルード・スパイってスゴいぜ。



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