第四話 『パシィ・イバルの氷剣』 その8


『こ、こちらです、団長……っ』


 声を殺したジャンが、オレたちを誘導する。収容所の近くにある崖の上、そこが合流地点だった。ここからな収容所を見下ろすことが出来るからな、ゆっくりと目視で偵察することも可能だった。


 ピアノの旦那は、大きな筒状の望遠鏡を使っていた。巨人族はあまり夜目が利かないとされてはいるが、訓練次第で、それなりには利くようになる。それにピアノの旦那は明かりが灯っている場所を重点的に観察していたんだろう。


 そして。多分、ジャンは野良犬―――いや、野生の狼にでも化けて、あちこちを偵察していたんだろうよ。今、大きくない方の狼モードだからな……。


『ちゃーくち……っ』


 ゼファーが音を消して着地してくれた。


 ジャンとピアノの旦那から、最新の偵察報告を受け取る。この二人の偵察能力と、そしてピアノの旦那のインテリジェンスは高い。敵がどこにどれだけいて、どんなタイミングで交替しているかまでを、まとめ上げていた。


 ……ジャンは、この黒髪の巨人族と組めて、本当にいい経験値を稼いだと思うぜ。賢さを使うことで、どれだけ効率的に敵の作戦や意図を丸裸にしてしまえるかをな。


 真似るのは難しすぎるが、そういう世界もあると知ることで、ジャン・レッドウッドの視野と想像力は大きく拡張しただろうさ。


 そういう高度に加工された偵察情報があるからこそ、オレとロロカ先生、そしてキュレネイ・ザトーは戦況を理解することが出来るのだ。


 キュレネイを、リエルとレイチェルに組ませたのは、その知性を発揮してもらうためだ。


 リエルの森のエルフの弓姫としての野生の勘は桁外れに鋭く、マジメさゆえの集中力や、索敵・潜伏能力は超がつくほどの達人だ。


 それに、レイチェル・ミルラの天才的な感性は、感覚として戦場のおおよそを察知するだろう。人心を読むことに、レイチェルは長けているからだ。


 だが、リエルとレイチェルは、言わば『守備型』の猟兵。緊急事態の把握には強いが、高度で緻密な連携を指揮するほどの能力は、現状ではないのだ。キュレネイは『攻撃型』の猟兵、作戦遂行能力と、作戦の遵守に関しては、間違いなく猟兵で一番。


 複雑で隠密を旨とするこの戦場に分散する、三つのチームの一つを指揮することは、キュレネイになら可能なのさ。感覚的な二人を、知性派がコントロールするわけだ。


 まあ、作戦が崩れたとき……状況は『守備型』の能力に依存することが多い。退避ルートを走るのは、守るべき疲弊して非武装な北天騎士たちだからな。飛び道具の使い手が二人もいれば、広範囲に彼らのことを守れるというわけだよ。


 ……さてと。


 作戦を開始するとしようじゃないか。


 まずは、オレとジャンとピアノの旦那のチームがゼファーで出陣だよ。


 怪しげな『ジャスマン病院』の屋上から入る。あそこは病院とは言うものの、砦のように厳つい収容所群の一角だ。その場所に、オレたちは屋上から入ったよ。


 ゼファーからのロープを伝うことでね。5階建ての上空から、敵が侵入するとは考えていないのだろうな。


 『ジャスマン病院』の屋上には、敵の弓兵は配置されていなかった。第一と、その左右に並ぶ第二第三の収容所の屋上や監視塔には、多くの弓兵がいたがな……。


 だが……偵察済みの情報が、とっくの昔に皆が共有しているのだ。オレたちは、『ジャスマン病院』への侵入を開始する。ゼファーは、ここから飛び去り、他の仲間たちのところに向かう。


 作戦を実行するために、皆をあちこちに運ぶのさ。そして……『荷物』を取りに向かうんだよ。すぐに戻れる距離さ。オレたちが、あちこちで作戦をこなしている間にな。


 ……オレは、ホフマン・モドリーの悪夢の原因、『メーガル第一収容所』を見た。『ディープ・シーカー』を使って、色彩を犠牲にして時間を引き延ばしながらね。


 ……まるで、巨大な城塞だな。長方形で巨大な施設。その中央には大きな長方形の『穴』がある。採光と空気を送るための、とんでもなく大きな『縦穴』さ。


 その大穴のおかげで、あの内部には6000人も収容することが出来る。大きな縦穴の周囲に囚人用の檻が並んでいて、それは地下にまで続いている。二十数層にも及ぶらしい。


 膨大な人数を管理するために、そういう構造にしたようだ。


 よくそんなことを考えたものだ。


 縦穴があるおかげで、換気がいい。だから、異臭も比較的しないらしいし、大勢があの石造りの棺桶みたいな場所にいても窒息はしない。あとは、その『見晴らしの良さ』から、少人数でも監視がしやすいというメリットがいかにも監獄らしい建築哲学だな……。


 その東西には、小さな一般的な監獄がついている。それでも一つずつが1000人収容なのだから、大きな施設だよなぁ……。


 ……『ディープ・シーカー』を停止する。


 事前情報の再確認だが、直接、その構造を把握することが出来たのは大きい。頭のなかにある地図に、その構造が完璧に入ったよ。そこを巡回している兵士たちの動きも、これで、大体は取り込めた。


 色彩が戻る。


 そして、オレは『ジャスマン病院』の色気のない殺風景な屋上を走り抜けていく。ジャンとピアノの旦那も続いてくれる。二人とも、音を消してよく走ってくれたよ。狼モードのジャンの肉球は、消音性が高い。


 ……ピアノの旦那は、体術を行使するのさ。高い技巧のおかげで、どんなに速く走っても足音が消せるようだ。何というか、無口だが、色々とハイスペックな人物だってことが次々にあきらかになる。


 さすがは、あのアイリス・パナージュお姉さんの夫ということだ。


 頼りになりすぎるぜ。


『……団長、ど、ドアがありますね?』


「……ああ。トラップはないようだが、さてと、鍵は……」


 指でドアノブを回す。ゆっくりとな。音ではなく、圧と振動で指で悟るのさ、鍵はしっかりとかかっていたよ。


 毎度お馴染み、鍵開けタイムだった。3秒ついやして、オレはその鍵を外してしまうと、ゆっくりとドアを押して開く。蝶番に重量も加速もかけないように、オレの体重にあちらさんの重心を乗っけるように、しがみついたまま開いていく。


 持ち上げてるようなもんだな。その方が、音を消せるんだよ。


 さてと、開いた……ああ、病院らしいというべきか、薬品の香りが染みついているな。内装は古い木造建築だった。足音が鳴らないように注意したいな―――しかし、この古い木の板……床にしろ壁にしろ天井にしろ、薬品が染みついていて、イヤな臭いだった。


 『狼男』のジャンの嗅覚には、キツかろうと視線を向けた。だが、ジャンはへっちゃらそうだった。


「……鼻はキツくないのか?」


『え?……あ、は、はい。こういう消毒薬の臭い、好きなんです。鼻の通りが、良くなりそうな気がしませんか?』


「そうだな……ちょっと、分かる気もするな」


 まあ、吸い込むと、なんだか鼻の奥の方までスーッとするけどね。アルコールにも近しい、もしくは喉のための薬液みたいなその清涼感を、ジャンは好むらしい。


 好みは人それぞれだから、別にいいんだがな……。


「ジャン。まずは、スパイどもの詰め所に向かうぞ。そこに、ピアノの旦那を運べば、盗むべき書類を発見してくれるだろう?」


 ピアノの旦那を見る。


 旦那は、あの鍵盤を強く激しく叩く親指を、グイっと立ててくれながら微笑みをくれた。任せろ!……そんな意志がしっかりと伝わってくるようだった。


 オレも、親指を立てて返事する。


 任せたぞ。


 その意味を込めた動作だ。きっと、ノリがいいから伝わっただろう。親指の一つだけでも伝わる信頼というのがあるのさ。


「ジャン」


『……は、はい。こちらへ、ついて来てください……っ』


 ジャンを先頭にして、オレたちは歩き始める。オレは『呪い追い/トラッカー』を使うよ。ああ……呪いの赤い『糸』はすぐに見えた。ジャンとカーリーの偵察で得ていた情報があるからな……。


 この呪いの赤い『糸』は……地下につながっているようだ。『召喚』の呪い。白い竜、ルルーシロアを呼んだのか……あるいは、カーリーの勘の通りに、『古霊』を呼んだのか。


 それとも、どちらともであったり、どちらでもなかったりする。どうあれ、先に到着するのは、スパイの詰め所のようだった。



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