第三話 『燃える北海』 その26


 ゼファーの治療はリエルとミアに任せて、オレはロロカ先生と共にホフマン・モドリーの屋敷へと入ったよ。


 屋敷のなかは相変わらず荒れ果ててはいるが、アイリス・パナージュお姉さんの料理が運び込まれているのだろうな。とても良い香りがしていたよ。海鮮パスタの香りさ。


 天才建築家、ホフマン・モドリーは1階の玄関ホールの奥にある応接間で、白ワインと海鮮の味に舌鼓を打っていたよ。


 かつては毎日のように、彼に仕事を頼みに来た客たちと、ここで職人的な議論を交わしていたのだろうが……今は、薄汚れた服を身につけた彼が、絶品のペスカトーレを食べるためだけに使われているのだから、切なくなる。


 落ちぶれ果てた天才は、たいそう笑顔であったよ。


「……美味い!!温かい料理を食べたのは、久しぶりじゃよ!!ワシなんぞが店に行ったら、冷たいパスタしか出されんのじゃ……」


 マジかよ。何だか哀れな言葉すぎて、涙腺が緩みそうになる……っ。


「そうなの、『ベイゼンハウド人』のイジメってハードね」


 かなりの田舎だし、閉鎖的な人々じゃあるだろうしな……。


「でも、モドリーさん。ここの厨房の使い勝手は最高よ!……あなた、ルードに亡命でもするといいわよ。いい建築家なら、いつでも歓迎されるわ」


「仕事は、あるんかい?」


「ええ。亜人種の難民の流入があって、開拓地の住居建設に需要があるんだから」


「……う、うむ…………ここの建築家でいたいが…………いや、仕事もらえんなら、ワシなんて、『ベイゼンハウド』から出てしまった方が良いのかもしれん……」


 人生に迷う天才がいたよ。


 そして、その天才を母国に引き抜こうとしている人物もな。


 ……まさかとは思うが、『ベイゼンハウド』の軍事要塞について詳しい彼を引き抜くことで、ルード王国の『ベイゼンハウド』に対する影響力を強めたいとか考えているのではないだろうか?


 怖いから、訊くのはやめておこう。真顔モードになったアイリス・パナージュお姉さんから、『そうだけど?』という冷たい言葉を耳にするのは……何だか怖かったからだ。


「……あら。サー・ストラウス!ちょっと遅刻じゃないの?」


「心配かけてすまない」


「笑顔ってことは、作戦は成功したのね?」


「問題無くな。遅刻の原因は、帰りしなに竜に襲われていたからだ」


「そう。本当に面白い人生を送っているわよね、サー・ストラウスって?」


「……褒めるなよ」


「皮肉を言っているのよ。分かってはいるでしょうけどね」


 ああ、もちろん。オトナの言葉遊びさ。敵の軍事施設を竜で爆撃しに行くヒトも珍しいだろうが、その直後に竜にケンカ売られるヒトは、さらに珍しかろう。


 ヒトにとっては災難かもしれないが―――でも、竜騎士さんからすると、竜との接触は幸運なんだがね。


 まあ。とにかく、アイリスに報告しよう。


「……色々あったが、ゼファーによる爆撃は成功したぜ」


「じゃあ、敵の目はあちらに向くわね」


「そうだ。おかげで、オレたちの狙いの守りが弱くなるだろう」


「はい。『メーガル第一収容所』の解放が、楽になります」


「ああ。色々と工作を施した甲斐があるってもんだ。それで、ホフマン・モドリーよ」


「なんじゃい、ストラウス殿よ?」


「……『岸壁城』の図面は描けたのか?」


「完璧にな。記憶の通りには描けているぞ、さっき、料理上手のエルフさんに渡した。彼女の夫の描いたという……空からのスケッチ?……とやらが精確だとすれば、大した改築は行われてはいないようだぞ」


「そいつは朗報だな。あそこの敵も排除しなければならんからな」


「今、ジグムントさんにその図面は渡って、彼が潜入作戦を考えてくれています。自分ならば、どう攻めるかを描いておくと……その攻め方は、おそらくジークハルト・ギーオルガには看破されると」


「ならば、それに対してのオプションをロロカやオレたちで用意すればいいわけだな」


「ええ。幾つかは考えられました」


「さすがだ、図面を丸暗記したな?」


 ロロカ先生は微笑みながらうなずいた。だから、頭をナデナデしてあげるのさ。


「……な、なんか、照れちゃいますけど……?」


「照れてもいいさ。別に、誰の迷惑にもならないんだからな。オレのヨメの賢さを感心させてくれよ?」


「……クソ!離婚して、一家離散したワシの前で、いちゃつきやがって!!」


 ……オレたちが夫婦でいちゃつくと、傷つくヒトがいたらしい。ペスカトーレのパスタをすすりながら、天才ホフマン・モドリーは涙目だ。彼はドワーフの大きな口で、憎々しそうにパスタを噛みつぶしていたよ。


 他人に当たるなよ、アンタの孤独を?……そんな言葉が頭に浮かぶが、オレはオトナの社会人なんで、言っちゃいけない言葉ってのが存在していることを理解しているんだ。


「……そいつはすまなかった」


「……なんというか、申し訳ございません」


「……いいんじゃ。眼鏡で金髪で、あと角の生えたべっぴんさん……ワシにもかつては素敵な家庭があったことを思い出して、なんだか腹が立っただけだ。クソ!……税金、払っておけば良かった……帝国人の横暴に屈してなッ!!」


「……そんなに自棄にならないの。ムチャな食べ方をしていると、ムール貝を口のなかに入れちゃって、歯を痛めちゃうわよ?」


「ドワーフの歯は、ムール貝なんぞに負けんのじゃ……」


 なかなか地雷というものは、どこに埋まっているのか分かったものじゃないな。


 ホフマン・モドリーの精神状態は、どこかおかしい。きっと、教会の僧侶なんかに三週間ぐらいかけて相談を訊いてもらった方がいいのかもしれない。


 人生を悲観しすぎて、どうにかなっていそうだが…………それだけに、仕事に対しては期待が持てるというものだったな。


 仕事好きな男じゃあるってことは、あの未練たっぷりの建材の山を見ていれば分かるから。


「と、とにかく。作戦は順調です!」


 オレの不用意な夫婦愛が招いてしまった混沌に対しての終止符を打つため、ロロカ先生はそんな言葉を使ったよ。勢いの良い言葉でまとめる。これもオトナのトーク術じゃあるんだ。


 イヤな流れをぶった切るタイプのね。


「ソルジェさん。ゼファーちゃんは、飛べますね?」


「もちろんだ。腹の傷といっても、裂けているわけじゃない。黒ミスリルの鎧がぶっ壊されただけだ」


「……黒ミスリルの鎧を壊すだなんて、とんでもない力なのね、竜って」


「かなり強かった。名前は、ルルーシロア。十才ちょっとの可愛らしい女の子だ。9メートル以上はあるがな」


「9メートルの可愛い少女なのね。火を吐いて空を飛んで、色は闇の色?」


「彼女は白い竜だ。ゼファーと同じ、才能ある存在」


「……『ベイゼンハウド人』が聞くと、ドン引きしちゃいそうね?竜騎士を唸らせるほどの才能がある竜が、この土地の近くを飛んでいるんですって?」


「素敵なことだろ?」


「……ガルーナ人のセンスって、面白いわね」


「世界には竜が足りないと、いつも考えているんだがね」


「怖いヤツがいるぜ。ガルーナ人ってのは、ちょっとおかしいぜ、エルフの姉ちゃん」


「魔王サンらしいけれどね?」


「……うむ。まあ、たしかに」


 オレを訝しむような顔面をしたまま、天才建築家はペスカトーレを食べることに夢中となっていく。


 ロロカ先生は、コホン!と咳払いをした。オトナの話術その二だな。次の話題に行くための行いだった。


「では、ゼファーの休息が終わり次第、この場所に例のモノを運んで下さい」


「……『彼ら』は来てくれているな?」


「はい。フクロウが、伝えてくれました。『アルニム』に近づいてくれています」


「なるほどな。挟み撃ちをすることで、『アルニム』を奪うことは出来そうだ」


「『アルニム』が我々の手に陥落すれば……戦力の問題は解決します。このホフマン・モドリー邸こそが、『ベイゼンハウド』解放戦の始まりの地になるでしょう。この集落を落とされないことが……生命線ですよ」



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