第三話 『燃える北海』 その13


 ……睨み合うジグムントと敵の護衛たちに顔を向けながらも、オレは周囲をチラ見する。濃い霧が立ちこめていく……『ガロアス』の町を含めて、一帯が霧に呑まれていく。リエルにとっては好都合だった。


 倉庫の屋根にいるリエルの姿はますます隠れていたが、リエルは霧でも問題なく射撃を行える。森のエルフの耳の強さが発揮されている。


 夜の闇でも濃霧だろうが、いや、そもそも目隠しであったとしても、彼女たちの矢が敵を外すことはない。敵兵たちも、霧の向こうから正確に自分たちを射抜く矢が飛んでくることに対して、とてつもない恐怖に襲われているのさ。


 死の矢が飛び交う霧のなかに、彼らは数十人の名射手を見てしまうだろう……勇気と無謀の境目があやふやになっているその混沌とした空間に、帝国人の兵士は二の足を踏んでいた。わずかにいた勇敢な者たちも、すでに彼女の矢で始末されていたことも大きい。


 霧の砦にまで守られて、リエルはより安全を確保している。


 一方的な制圧射撃を行えているな。誰も、彼女に近づくことが出来ない。そんな状況であったとしても、森のエルフの弓姫は油断することはないのだ。


 マジメな彼女は作戦を守るよ。十分な戦果も作戦のための時間を作ったことを理解している。


 リエルは30人以上も射殺していたし、まだまだ殺せたが、深追いは止めた。この霧に対して異常を悟っているからだろう。そうだ、この霧に潜む気配に、森のエルフの弓姫が持つ感覚が反応しないはずがなかった。


 気配は……霧にある。霧から感じるのさ……。


 とにかく、リエルは撤退していく。霧に姿を隠すようにして走り、レイチェルが確保してくれていた小さなボートに飛び乗っていた。


 ボートが動き始める。漕いでいるのではない……レイチェルがあのボートを海面下から押してやっているのさ。素晴らしい速度を手にしたボートが、またたく間に戦場から離れていく……それでいい。リエルは離脱を完了させた。


 この得体の知れない霧の空間からは抜け出していた方がいい。そう悟らせる何かが、霧からは感じるのさ。


「……しかし……この霧は……?」


 異常を感じているのは、オレやリエルだけじゃない。セルゲイ・バシオンもその古傷だらけで硬くなった顔を、さらにしかめてしまいながら霧を睨んでいる。


 勘がいいのさ。


 ヤツもまた達人の領域にいる戦士。


 研ぎ澄まされた心身が、己に向けられる悪意じみたものを悟ってしまうんだよ。


「……睨まれているような、この霧……?もしや、北方野蛮人たちの、邪悪な呪いの産物なのか……?」


「……違うぜ。オレたちには、こんな呪いを使う趣味なんてものはねえよ」


 ジグムント・ラーズウェルが『北天騎士団』の誇りのためにそう答えていた。気高い先達たちのためにも、呪いを戦術に組み込む行為などを北天騎士が使うことを、彼は認めるわけにはいかなかった。


「……ふむ。そうか」


 やけにアッサリとセルゲイ・バシオンは信じた。北天騎士は嫌いだろうが、北天騎士の戦術を理解してもいるのだろう。たった二人で自分の首を狙いに来ることがあったとしても、呪いの霧など頼ることはないと。


 しかし。


 自然発生した霧であるようには、彼も考えてはいないようだ。あまりにもタイミングが良いしな……霧はますます、その濃さを増していく…………都合が良すぎることを除けば、オレたちにもバシオンにも好条件ではある。


 そうだ。バシオンが信じたのも、この濃霧は彼の逃亡にこそ有利だということもあるのさ。


 バシオンはこの場からの退却を計りたいだろうし―――オレたちはバシオンに対して元・北天騎士団の帝国兵が裏切ったという認識を与えたい。帝国兵の装備をしたオレが、北天騎士の剣と剣術で大暴れした。


 死体をあらためれば、北天騎士の剣技の痕跡を把握出来るだろうし、それ以外には残しちゃいない。


 ……想定外の状況にはなっているが、彼がこの霧に乗じて逃げてくれるのであれば、この場にいる全員がそれぞれに満足することが出来る結果を得られるのだがな。


「……閣下、ここは……」


「我々が、死守します」


「この霧では、ヤツらとて矢は放つことが出来ますまい……」


「…………分かった。諸君らの貢献と犠牲、忘れることはない……いや、あの北方野蛮人どもに勝ってみせろと命じよう」


「イエス・サー!!」


「閣下の命を、果たします!!」


 帝国兵たちは船の後方にくくりつけられていた、脱出用の小舟にセルゲイ・バシオンを乗せた。バシオンは、その熟練した船乗りの腕を用いてオールを漕ぎを始めていた。


 オレは、口惜しがる演技をする。そして、アピールもな。


「……クソっ!覚えてやがれ、セルゲイ・バシオン!!この北天騎士アレンさまが、貴様の首を断ち斬り、お前の弟たちと同じように我らの物語の一部にしてやるからな!!」


 安っぽい挑発だが、効果は十二分にあるだろう。バシオンの屈辱の火に油を注いでやることぐらいは出来た。アレンという名も覚えたさ。この『ガロアス』の出身者で、北天騎士だった青年の名……町の者の多くが、彼のことを知っている。


 ……彼が親・帝国派だったことも知っているかもしれないが、彼は死亡して黒い森に捨て置かれている。逃亡兵だと認識されているさ。セルゲイ・バシオンは冷静な分析よりも、このチャンスに喰らいつくだろう。


 使命感を新たに、自分の弟たちを殺した北天騎士たちを帝国軍から排除しようとするはずだ。彼以外にも、130人近くが死亡した状況では責任を追及される者は出て来るだろうからな……。


 そういう身分の者たちも、保身のためにも元・北天騎士たちに責任をなすりつける。軍事的な失態の責任を被れば、その人物は永久に出世することは出来ない。責任をなすりつけられる相手がいるのなら、必ずそうするさ、軍人ってのは戦士じゃなくて役人だからな。


「さあ、かかってこい、北天騎士どもよ!!」


「我々とて、お前たちに負ける気はない!!」


「名誉にかけて、貴様たちを斬る!!」


「ファリス帝国、万歳いいいいいッッッ!!!」


 大柄な兵士が走ってくる。特攻精神か。こういう危険な人物は、ゲストじゃなくてオレがやる。命を捨てた男の剣は、ときに奇跡を起こすかもしれないからな!!


 北天騎士の剣と共に、そいつ目掛けて走っていく。


 鋼と鋼をぶつけ合うが―――『剛の太刀』を習得したオレの打突を受けるには、力不足だというものだ。ああ、この護衛たちは大剣を装備している。サーベルならば砕け散っていたところだがな……意味は分かる。


 セルゲイ・バシオンは信じていなかった。帝国への恭順を示した『ベイゼンハウド人』のことを。だからこそ、自分の最も近いところにいる護衛たちには、大剣を装備させていたんだよ。


 この大きさの鋼でなければ、北天騎士の剣を防ぐことは出来ないからだ。いつの日か、元・北天騎士たちが敵に戻る日を、バシオン自身が誰よりも信じていたのさ。


「ぐうううううッ!?」


「……北天騎士の太刀筋を、舐めるな」


 この甲板では踏み込めるからな、帝国の騎士剣術でこの打突を防ごうというのは、難しいのさ。正面衝突の威力で勝った。ヤツの剣を弾き、オレは返す刀で横薙ぎを放つ。


 帝国兵士の腹が鋼によって裂かれていた。


「……ぐおおおっ」


 致命傷を負った。腹筋が断たれた彼は、二度と重たい騎士剣を構えることは出来ない。北天騎士の哲学にならい、彼に慈悲の一刀を与えた。死に行く者の首を刎ねて、楽にしてやったのさ。


「……クソ!!続けッ!!」


「この黒髪野郎を殺すぞ!!」


「地獄に落ちろ、北方野蛮人がああああああッッ!!」


 残りの三人が捨て身となる。死。自身に刻みつけられるであろう運命を否定するためには、実力をもってその現実を破壊する他ないのだからな……。


 オレとジグムントは並ぶ。どちらかが、二人を相手することになる。オレであるべきだな。たとえそれが戦友であったとしても、戦場で誰かに遅れを取ることを許せない気質というものがある。


 北方野蛮人の魂なのかもしれん。


 オレもジグムントも、戦場では最強の男で在りたいと願っている。オレより15以上も年上のハズなのに、ガキっぽくていいね。ジグムント・ラーズウェルよ!!


 オレたちが帝国兵との戦いに備えた瞬間だった―――オレの直感が……いや、ストラウス家の血に宿る竜騎士の伝統が、それを察知させていた。


「……伏せろ!!」


「なに!?」


 叫びながら、ジグムント・ラーズウェルを押し倒していたよ。敵兵の血で赤く染まる、その鉄くさい甲板の上に、ジグムントを押し倒す。


 しかめっ面をされる。戦いを邪魔されたと感じたのだろうが―――竜騎士の血の予感は、オレの行動の正しさを保証してくれた。


 炎が。


 炎が、霧の中から放たれていた。強烈なる劫火。紅蓮に渦を巻く灼熱の赤。


 圧倒的なその炎が、甲板に伏せたオレたちの頭上で暴れ狂っていた。その炎と犠牲となったのは、オレたち目掛けて走って来ていた兵士たち。彼らは火だるまになり、燃えながらもがき、海に救いを求めて飛び込んでしまう。


 オレは分かっている……あの炎は強すぎる。海に飛び込むまでに、彼らは焼かれ過ぎている。助かりはしないだろうし……そもそも、『それ』は海にいるのさ。


「ぎゃがあああああああああああ!?」


 骨がバキボキと砕かれる音と共に、断末魔が上がった。帝国兵士の体が粉砕されたのだろう。強靭なアゴの力によってな。オレは……直感する。こんなことが可能な生物を、ストラウスの一族は一つだけ知っている。


「……竜」


 その可能性を、オレの唇は語っていた。困惑に満ちた硬さと共に―――。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る