第三話 『燃える北海』 その1


 ……深く寝ることが出来たおかげか、朝の九時には目を覚ますことが出来ていた。ソファーで眠っていたが、そのおかげで朝食の甘いコーン・ポタージュの香りで目を覚ますことが出来たのさ。


 それは幸せなことだったよ。オレが薄目を開けると、少し離れたトコロでイスに座っているリエルが見えた。マジメな森のエルフさんは、地図を見ていたよ。きっと、『ベイゼンハウド』の地理を覚えようとしているんだろう。


 地図にじーっと目を落とし、むー、と唸りながら記憶能力を使おうとしている。なんだか、尖ったピンク色の唇が可愛らしい。あれは、オレのものだしな……。


「……む?」


 見とれていたら気づかれたらしいな。


「起きたか、ソルジェ」


「……ああ。起きた……」


「よく眠れたのか?」


「それなりにはな。コーン・ポタージュの甘い香りに誘われて、目を覚ましてしまったのさ……リエルは勉強中か?」


「うむ。この土地の地図を覚えているのだ」


「そうか。いいことだぜ」


「『メーガル第一収容所』の図面はロロカ姉さまが暗記して、ジグムント・ラーズウェルと二階席で会議中だ」


 伸ばされたエルフの右の人差し指を追いかける。二階席には、人影が見えた。ロロカ先生とジグムント・ラーズウェルが仕事中らしい。作戦を考えているんだろうな。オレの視線に気がつくと、ロロカ先生が微笑みをくれた。


 オレも寝ぼけながら口元にスマイルを浮かべた。彼女は、すぐに仕事に戻る。適材適所と役割分担。そいつが実行中だ。


 あの収容所で、かつての弟子でもあるジークハルト・ギーオルガにジグムント・ラーズウェルは負けたらしい。崖から落とされた死にかけた……まあ、逃げ道が無いから崖から飛んだという状況だったらしいが……。


 つまり、ジグムントは知っているのさ。あの収容所がどんな状態なのかを、彼は知っている。ホフマン・モドリーの元を訪ねて、協力を得れば良かったのにな……裏切り者と関わることは、彼にはリスクがあり過ぎたか。


 モドリーに提供することが出来る対価を、ジグムントは用意することも出来なかっただろうしな……疲弊しきった亜人種の北天騎士たちだけでは、この状況を打破する力にはなり得なかったのも事実だ。


 国外勢力の助力もいる。現状、この国の旧体勢派の戦士たちは疲弊し困窮し、若く狂暴そうな連中は逮捕されてしまっている。


 ガルーナ人の傭兵であるオレが率いる『パンジャール猟兵団』……国の外の力を借りなければ、『ベイゼンハウド』を取り戻すことはジグムント・ラーズウェルにも出来ないのである……。


 それは屈辱的な選択でもあるだろう。『北天騎士団』の伝統にそぐわない気もする。それでも……哲学や生きざまを曲げてでも、変えねばならない現実がある。真の『ベイゼンハウド』の姿を取り戻すためには、これが最後の機会じゃあるのさ。


 ……人間族と亜人種の断裂が、今以上に深まれば?……文化も歴史も伝統も、全てが帝国の色に塗りつぶされてしまう。そうして、『ベイゼンハウド人』の魂は終わりを迎える。


 そうなりたくないから、なりふり構わないのさ。本当にしたいことがあるのなら、すべきことがあるなら……男は何だって犠牲に出来るし、全てを使うことが出来るんだよ。女もそうかな?……オレは男だから、女性のことまでは詳しくはない。


 ……とにかく。夜食のミルクトーストは、すっかりと胃袋の奥底へと消え去っているようだな。あくびをすると、腹まであくびしそうだった。


「……朝飯は?」


「もうすぐだと思うぞ。サラダは並んでいるな?」


「……そいつはいい知らせだ」


「疲れているな。激しい戦いだったのか?」


「熊に化けるヤツと戦ったよ」


「ジャン・レッドウッド的なヤツだな」


「まあ、そうなんだろう。獣に変わる呪われ人さ……」


「強敵を一人、排除したではないか。よくやったぞ、正妻の美少女エルフさんが褒めてやろう」


 ニコニコしてる正妻エルフさんが、オレの寝転がるソファーに近づいてしゃだんだよ。銀色の長い髪が、サラサラと揺れて、翡翠色の瞳が輝いている。彼女の指がオレの額を撫でてくれるのさ。


 よしよしされている。犬っころみたい。犬っころも、幸せなもんだ。満足げに微笑むけれど。オトナのガルーナの野蛮人は、犬っころと違って、二本の腕が生えている。リエルの胴体に左腕を回して、オレの方へと抱き寄せる。


「こ、こら。朝食の前だぞ?」


「キスして欲しいだけなんだ。ナデナデだけじゃ、足りない。『熊神の落胤』とかいう怪物を倒してきたんだぜ?」


「む、むう……たしかに、そんな大仰な名前の怪物を倒したのに、ナデナデだけでは足りぬか」


「そうそう」


「軽い言葉を使うでない。愛だけでなく、勝利の敬意を込めた口づけは、それなりに重みがあって、とても神聖な行いなのだから……ほら、め、目をつぶらぬか」


 顔を赤くしながらオレの弓姫は恥じらいの言葉をくれる。その言葉を耳で楽しみながら、オレは安らぎと期待に導かれながら瞳を閉じた。


 エルフさんの動きは、速かった。


 オレの頭のよこに手をつくと、そのまま体を倒して、あのピンク色で柔らかな唇を捧げてくれる。温かい。森のエルフさんの体温は、ちょっと高めなのさ。


 『熊神の落胤』を、帝国軍の厄介そうなエージェントを倒したことを、そのキスで褒めて祝福してくれた後で、森のエルフのやわらかな温かさが唇から離れて行く。


 瞳を開けるのさ。エルフさんの恥じらいモードはまだ続いていた。こっちまで照れ笑いを浮かべてしまいそうになる。オレの照れ笑いは、ニヤリとしていて悪者っぽいと不評なんだがな。


 恥じらいエルフさんは言葉に困っているようで、目を閉じて、一差し指を立てながら祝福の言葉を続けていたよ。


「……よ、よくぞ、強敵を倒したぞ、わ、私の竜騎士よ」


「ああ。オレのお姫さまのためなら、いくらでも熊野郎どもを狩るよ。アレほどの熊野郎は、そうはいないがな」


「……いたら、困る」


「いたら、たくさんキスしてもらえるのだが」


「し、したければ、すればいいだろう。よく、してくるじゃないか」


「お前からしてもらう方がグッと来る」


「す、スケベめ……」


 スケベになるのかな?……分からん。


「オレが、ガーッとやるより、リエルからしてくれるキスの方が可愛いからな」


「む、むう。な、ならば、その……こ、考慮する!今後は、ときどき、そういうのもしてやらなくもないというか……っ?」


 恥じらいモードは深刻化しているようで、何だか顔が真っ赤だし、エルフの長い耳まで赤くなっている……。


 悪党みたいな微笑みを浮かべているのだろう。リエルが、再び、むーっと唸りながら、オレの頬肉を指でつまむんだ。


「スケベな笑みは、やめるのだ」


「……でも、クールでカッコいい笑みよりも、本能から嬉しいってことが、伝わるんじゃないかとかも思うんだが」


「それは、そーかもしれんが……あ、あまりニタニタされると、照れるのだー!」


 細くて温かい指が、オレの左の頬肉をビヨーンと引っ張って、解放してくれる。


「と、とにかく。目を覚ましたのなら起きるがいい」


「……ん。そうだな。ちょっとストレッチでもするとしよう。体が硬くなってしまっているからな……っ」


 起き上がって、猫みたいに伸びをする。背中と肩甲骨周りが、バキバキと鳴ったよ。


 戦いの疲労は、抜けきってはいないが……。


 リエル成分を補給できたし、そろそろコーン・ポタージュも楽しめそうだった。


「あら。朝からお盛んね」


 アイリス・パナージュお姉さんがコーン・ポタージュの入っていそうな鍋を抱えてやって来た。鍋をテーブルに置きながらの発言だったよ。


「さ、盛んだとか言うなである!?エルフは、清楚なキャラクターなのだ!!」


「清楚って?……既婚者が言っちゃいけない言葉よ?」


「そ、そんなはずはなかろう!?」


「フフフ。私もそう思っていましたが、今は認識を改めたわ。リエルちゃん。既婚者は、あまり清楚じゃないのよ?」


「うう!?なんだか、納得が行かないのである!!」


「……まあ、そんなどうでもいいことよりも、子供たちを起こして来てくれる?」


「う、うむ。私の清楚さうんぬんは、どうでも良いことでも無い気はするが、子供たちを起こして、朝ゴハンと行こうではないか……」


 清楚でいたいエルフさんは、腕を組みながら考え事をしつつ、そのマジメさゆえに新たな任務を実行するため、二階へと向かうために階段を踏むのであった。


「……あまり、うちのエルフさんをからかうなよ?」


「初々しいからね。三十路も半ばを過ぎたオトナ・エルフはからかいたくなっちゃうのよ。さて、サー・ストラウスも、こっちに。ゴハンにしましょう」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る