第一話 『ベイゼンハウドの剣聖』 その25


 希望は見える。この9年間に、絶対的に悪い状況ってのには慣れっこになっているからなあ。我ながら驚くよ。なかなか、あきらめの悪い男になってもんだ……。


 『ベイゼンハウド』の黒い森を飛び抜けて、ゼファーは空へと舞い戻る。オレとゼファーにすれば、故郷にも近しい風が吹いてくる。ここから南東向かえばガルーナがあるんだよ。


 剣のように尖った山々に囲まれた、オレたちの祖国であり……今は帝国の領土の一部でしかない場所がな。やがて、それも取り戻すさ。待っているがいい。ユアンダート、お前の首を斬り落とし、ゼファーの炎で焼き払ってやるからな。


 漆黒の翼が空を打ち、高い場所へと向かう。今回、ゼファーの背に乗る者たちの先頭は、カーリーではない。先頭はいつものようにミアだ。その後にオレ、オレの背中とリエルのあいだにカーリーがいる。


 あとはロロカ、キュレネイ、ジャンが続くのさ。カーリーをオレの後ろにしたのは、本当にここから先の北の空は寒いからだ。北海から吹いてくる、身を凍らすような風は、この時期でも強烈に冷えている。


 慣れたミアでもキツいだろうから。お兄ちゃんの右腕がずっと抱っこしている。ミアをそれでも先頭にしている理由は、トレーニングだからだ。竜乗りとして、女竜騎士として育てるつもりだ。


 ……いつか、次の竜に出逢うことがあったら。そいつをミアのための竜にする。ミアは竜乗りとしての才能にあふれている。ここまで竜を最初っから怖がらなかった者を、オレは知らない。


 おそらく竜騎士姫の再来と呼ばれるほどに、豊かな才能を持っているだろう。だから、北の風も覚えさせる。


「ミア、風を見ろよ」


「うん!ほっぺに当たる風だけじゃなく……ずっと先の風も見る。音も聞く!」


 黒髪の中から生えている猫耳さんが、ピコピコと動いてくれる。お兄ちゃんはそれを見ているだけで心が癒やされるんだ。


 愛しい猫耳に語りかけるのさ。


「北から来る風は強い。だが、その強い風を乗りこなせば、オレたちストラウスの竜騎士と竜は、大きな力を手に入れる。翼が生む風で、鋼を斬り裂くことさえ出来るようになる」


「……マジかー!!」


「ああ!マジさ!!……その内、ゼファーとオレで見せてやるよ」


『そんなこと、したことないけど、できるの、『どーじぇ』!?』


「出来るぜ。アーレスも、若い頃はやれた技巧だ。お前にも、そろそろやれるはずだ」


 ゼファーは若いが、才能があふれている。そして、アーレスよりも多くの空を旅しようとしているからな。空を識る度に、その翼が大きく太くなり、その身体は長くなっているんだ。鎧も新調したいほどに、ゼファーは成長しているな……。


 肉体がため込んできた経験値に、肉体が成長を促されている。より強く、より速く、より大きくなるために、成長速度が上がっているんだよ。


 雲海の上をかすめるように飛んでいく。オレたちストラウスの竜騎士の肌に、氷が付着する。薄くだがな……雲は、竜とヒトを凍らせようとするときがあるものさ。空は竜にだって厳しい貌を見せるんだ。


 しかし、竜の体温はそのために高い。空で凍りつくことを、許さないのさ。


 だが、竜騎士はヒトなんだ。あまりにも寒い時は……竜騎士は呼吸を変えることで体温を上げる。ミアは……教えていないのに、それをし始めているな。ホント、天才的な竜乗りだ。


 アーレスが生きていたら、感動しているだろうさ。


 ……天空の高いトコロを飛ぶ。蒼穹の一部になり、力強く翼で空を羽ばたかせる。


「高高度の世界は、身体に辛いほどの寒さがあるし、空気も薄い。だが、空気が薄いからこそ、速くも飛べる。身体に当たる風が、速さの割りには弱いだろう?」


「うん。分かる。だから、速くも飛べるし、速くも落ちちゃう」


「そうだ。だからこそ」


「翼で、たくさん空を叩かなくちゃいけない!」


「……正解だ」


「……『ここ』。とんでもなく寒いけど……スゴく、いい気持ち。速くて、何もない。竜と、竜騎士だけの世界だから!」


「……そうだ。竜と、ストラウスの竜騎士にだけ、許された世界。オレたちだけが、皆を連れて来ることが出来る」


「……それって、サイコーだよね!!」


「ククク!!」


「フフフ!!」


「ハハハハハハハハハハハッ!!」


「あははははははははははッ!!」


『あははははははあはははッ!!』


 竜騎士兄妹と竜とで笑うんだよ。オレたちだけの心に通じる感覚を、共有することを確かめられているからだ。


「……この兄妹、何、爆笑してるのよ?」


「フフフ。楽しんでおるのだ、竜騎士をな」


「リエルには、分かるの?」


「……70%くらい、だろうかな?」


「わらわ、ムリ。1%!」


「1%だけは、分かるのだな?」


「……う。ま、まあ、竜の背に乗るのって、楽しいしね?」


「うむ。全面的に同意する。私も、ゼファーの背に乗るのは楽しい」


「……空って、いいところなのね。寒くて、温かくて、高貴!!」


「ああ。とてもエレガントであるな。でも、温かい?」


「うん……リエルは、温かい!」


「うむ。森のエルフは、体温が高いのだ。その秘密を、知ってしまったな」


「そうね。わらわは、また賢くなった。今日は……色々なことを学べている。鹿肉も美味しかったし、キュレネイは大食いだ。ミアは元気でうるさいし、赤毛はスケベ野郎。ロロカはやさしくて巨乳で眼鏡で賢い。ゼファーは空を飛べるからスゴい」


 ……あれ。ジャンが出て来ないぜ?……後ろを振り返ることはしないけど、ジャン、ヘコんでそう……狼に変身したりするぐらいじゃ、インパクト足りないのかな?


 オレが子供だったら、目の前で狼に変身するヤツいたら、スゲーってなると思うんだが……?十回ぐらい連続で変身してくれって言いそうなのにな……男女の違いかね?


「……色々と賢くなった。でも、知りたいことは、まだまだあるわ。今日の内に、知りたいことが……あと、一つだけ」


「……なんなのだ、それは?」


「えーと……お祖父さまとの約束だから、秘密」


「そうか。『家族』との約束ならば、果たさねばな」


「……うん。リエルになら、教えてもいいかなって思うけど……赤毛が聞いてそうだから言わない」


 ……ここで、オレは聞いてないぜ?……ってセリフを吐かないようになったのが、成長した証だろう。オレはミアの頭にアゴを乗せて、前傾姿勢になる。


「……十分、スピードと速度を稼げた!!皆、掴まっていろ!!降下しながら、滑空で飛ぶ!!」


「了解だ。ほら、カーリー、ソルジェの腰に掴まれ。背中は、私が抱いていてやる」


「ねえ……赤毛、ロリコンとかじゃない?」


「シスコンなだけだから、安心するがいいぞ?」


「え?……何が違うのか分からない」


「う、うむ。そこは私にも、ちょっと分からん繊細なトコロだな」


 妹がウルトラ大好き。


 ただ、それだけのことさ……。


「いい?赤毛、わらわが身体に触ったからって、変な興奮とかしたら、須弥山の呪術僧が集まって、究極にマヌケな呪いを仕掛けるからね?」


「興奮しないよ。空にいる竜騎士は、いつだって空に恋い焦がれてしまうからな」


「……それは、それで、ムカつくんじゃないの、リエル?ロロカ?ヨメとして、空に負けてるとか言われてるわよ?」


「そんなことは言ってないだろ?……空もヨメも竜も妹も、ソルジェ・ストラウスさんは大好きってことだよ」


「イエス。団長は、節操がないのであります」


「きゅ、キュレネイ、それは言い方が悪いよ?」


「フフフ。ソルジェさん、そろそろ降下しても大丈夫ですよ。あまり高くにいると、カーリーちゃんが凍えてしまいますから」


「わらわは……ううん。体調管理も戦士の仕事!!プロは、嘘つかない!!……だから、寒いから、さっさと降りろー!!」


「ああ、了解だ!!羽ばたかないで、矢のように空を貫くように飛ぶ。カーリー、スゲー速く飛べるから、楽しんでくれ!!」


「上等!!やりなさい、ゼファー!!」


『がおおおおおおおおおおおおお!!』


 ゼファーは翼で空を打つのを止めて、ゆっくりと長い首を大地に向けて傾ける。翼を固定し、そのまま滑空していく。速さはどんどん増す。翼を打つ動作で無理やりに生んだ力ではなく……。


 大地が竜を引き寄せる力に身を任せ、翼で空を押さえつければそれでいい。空を射抜くように飛び抜ける―――とんでもなく速い!!だから、とんでもなく楽しい!!


 空の青が走り抜けていく!!きっと、流れ星はこんな光景を見ながら、空へと融けるのさ……。


 ああ。


 『ベイゼンハウド』の灰色の空から、黒い森へと降りていく。黒く深い森と、白波が暴れる海岸線……それらの先に、世界の果てのような場所が見える。


 大陸の北端、北海に角のように突き出した、大きな岬……その岬から続く海岸に広がるようにして、十都市連合の一つ、『ガロアス』はあった。大きな街だし、帝国の商船もたくさんある……。


 この街の東に……古い物見の塔がある。森に囲まれて、棄てられて久しい塔。あちこちが崩れながらも、灰色の空に伸びる石造りの牙……そいつが、『銀月の塔』。ジグムント・ラーズウェルが隠れている場所らしい。


「…………ついに、会えるんだ―――――」


 ―――カーリーは、やはり……ジグムント・ラーズウェルに会いたかったのだろうか。本物の手紙であって欲しい。オレたちと、カーリー・ヴァシュヌの理由のために。


 そう祈りながら、『銀月の塔』から二キロほど離れた地点に、着陸に適した空き地を見つけていたよ。



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